エマニュエルさんの故郷は南アフリカの隣国モザンビーク。ベイラ(Beira)から南西400キロに位置するンハチュンガ(Nhachunga)村だ。ゼノフォビア騒動を避けるため、故郷に戻る予定だった前日に殺されてしまったという。後に残されたのは、母親、若い妻2人、幼児3人。父親は去年亡くなった。
エマニュエルさんの妻、子供たち、母親(Times Live) |
エマニュエルさんが南アフリカにやって来たのは7年前。2008年のゼノフォビア騒動時は南アに留まった。昨年、路上で襲われ何週間も入院したが、やはり南アを去らなかった。半年に1回くらいしか国に戻らず、自分は質素な生活を守って、毎月欠かさず約1300ランド(1万3000円)の仕送りを続けた。
独身だったエマニュエルさんが28歳の時、寒村ンハチュンガを出て南アフリカにやってきたのは、仕事を見つけるため。家族に少しでも良い暮らしをさせ、結婚資金を貯めることが目的だった。伝統的な部族の結婚では、ロボラと呼ばれる結納金を花嫁の家族に払わなければならないのだ。
南アフリカに不法入国し、露天商としてコツコツお金を貯め、ロボラを払ってセリナ(Selina)さんと結婚。商売は繁盛し、昨年、2人目の妻イサベル(Isabel)さんを娶った。現在、セリナさんとの間に3歳の息子と1歳の娘、イサベルさんとの間に1歳の娘がいる。
エマニュエルさんの夢は、家族のためにレンガ作りの家を建てることだった。しかし、エマニュエルさんが亡くなったことで、レンガの家どころか、食料さえおぼつかない。
エマニュエルさんの母親によると、貧しいンハチュンガ村の生活は天候に左右される。今年は作物の出来が悪かった。お金がある家庭は、食料を買うことができる。家畜を持っている家は、牛を何頭か売って食費を調達できる。しかし、お金も家畜もなく、自分で植えた作物しか食べるものがない一家は飢え死にするしかない、という。