2012/02/29

「人種差別」を理由に亡命する南ア白人たち

アメリカ合衆国在住のアフリカーナの一家が、必死になって国外退去処分に抵抗しているという。「身の安全」を恐れて名前は公表していないが、一家に雇われた弁護士レヒム・ババオグル(Rehim Babaoglu)氏は現在、「人種差別のため、南アフリカには戻れない」という家族の主張を裏付けしてくれる学者を探しているところ。

既に、テキサス州メンフィスにあるローズカレッジ(Rhodes College)のマーク・ベア(Mark Behr)教授とメンフィス大学のデニス・ラウマン(Dennis Laumann)博士に断られている。

ラウマン博士は弁護士からの依頼に、文書でこう回答した。

「人種差別がない民主的なアパルトヘイト後の南アフリカで、差別されると主張するアフリカーナを助けることに、私は全く関心がない。」「学者としての意見を言わせてもらえれば、一家がたとえどのような証拠を提示しようと、彼らの主張には全く根拠がない。」

ベア教授はアフリカーナだ。家は代々農家だったが、土地を失った経験を持つ。それでも、弁護士にこう語った。

「貴法律事務所が弁護しようとしている人々が人種差別の被害者だとしたら、それは悲しいことだが、作り物の人種差別、彼らの頭の中にしか存在しない人種差別だ。」

アパルトヘイト後の南アフリカを脱出しようという白人は、この家族だけではない。

1994年以来、約44万人の白人が国外に移住し、「難民」として外国に居住する南ア人は世界で800人と推定されている。

2012/02/22

アフリカーナのバンド「ディー・アントヴアルト」 欧米で大人気

アフリカーナ(Afrikaner)は比較的新しい民族だ。17世紀半ばから南アフリカに入植したヨーロッパ人の子孫が混合して形成する。割合が一番多いのはオランダ人。それに、フリーシア人、ドイツ人、フランス人が混ざって中核をなす。イギリス、北欧、ポルトガル、ギリシャ、イタリア、スペイン、スコットランド、アイルランド、ポーランドなどからの移民の血も入っている。

初期の入植者たちが異人種とも交わったことから、DNA鑑定によると、アフリカーナには白人以外(コイサン、マレー、インドなど)の遺伝子が5-7%も入っているという。

じゃあ、なんでもあり? みたいだが、アパルトヘイト時代は、ゲルマン系の言語「アフリカーンス」(Afrikaans)語を第一言語とする(一見)白人が「アフリカーナ」とされ、南アフリカ政治社会の頂点に立った。

アフリカーンス語は17世紀のオランダ語から派生した言語で、長いこと、オランダ語の方言と見做されていた。独立した言語として南アフリカの公用語となったのは、1925年のことだ。

つまり、アフリカーナもアフリカーンス語も、南アフリカ生まれ。マイノリティー民族、マイノリティー言語である。

アパルトヘイトが終わり、アフリカーナは政治力を失った。アフリカーンス語は11ある公用言語の単なるひとつに成り下がった。アフリカ黒人やイギリス人と戦って勝ち取った地位が「過去の栄光」になった。アフリカーナのために設立された大学は、次々と英語で授業をするようになった。

人口僅か360万人。歴史的役割は終了し、これからは細々と生き続ける・・・との予想もあったが・・・。

保守的で土臭いイメージの強いアフリカーナから、ビッグなラップ&ヒップポップバンドが生まれた! そして、全世界、特にアメリカ合衆国で大人気というのである。

2012/02/15

マンデラ紙幣発行で通貨と株価が下落!?!

南アフリカのジェイコブ・ズマ(Jacob Zuma)大統領がマンデラ紙幣の発行を発表。その影響で、ドルに対するランドの価値が2.6%、ジョハネスバーグ株式市場の全株指標が1.1%、トップ40が1.27%下がったという。

といっても、ネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)が紙幣の顔になるから下がったわけでは当然ない。

発表のやり方が問題だった。

「明日、大統領による記者会見がある」と発表があったのは、2月10日の金曜日。つまり、記者会見の日は土曜日なので市場が閉まっている。土曜日の記者会見の如何によって、月曜日に損失が出ることをなるべく避けたいから、金曜のうちに出来るだけの手を打っておきたいというのは人情。

ところが、「紙幣の顔がマンデラになりま~す」という金融政策にも国家財政にも関係ないお知らせなのに、それを告げなかった。それどころか、大統領、ジル・マーカス(Gill Marcus)準備銀行総裁、プラヴィン・ゴーダン(Pravin Gordhan)蔵相という、超大物3者による「国家的重要事項」(a matter of national importance)の発表と予告したのだ。

「国家的重要事項」の発表、それも金融取引が行われない日に・・・。これは市場にネガティブな影響を与える政策発表に違いない・・・。

2012/02/10

埋葬されたミュージシャン、2年後に「生還」!?!

南アフリカの音楽に「マスカンディ」(Maskandi)というジャンルがある。ズールー族の伝統的音楽に、ギターなど西洋音楽の要素を取り入れたものだ。ジョン・ベング(John Bhengu)、別名「プズシュケラ」(Phuzushukela)が1930年代に作り上げたとされる。

長年、西洋音楽界からも、アフリカ音楽界からも無視され、ズールー族の伝統の中に留まり続けたが、「白人ズールー」ジョニー・クレッグ(Johnny Clegg)のおかげでメジャーになった。

戻って来た「ムグメニ」
そのマスカンディのスター、クレカニ・クワケ・ムセレク(Khulekani Kwakhe Mseleku)、別名「ムグメニ」(Mgqumeni)が戻って来た。

「戻って来た」といっても、音楽活動を暫く休止していたとか、外国で活躍していたとかいう訳ではない。

墓場から戻って来たのである。

ムグメニは2009年12月19日、伝統的祈祷師師(traditional healer)が調合した「薬」を飲んだ後、死亡した・・・はずだった。

2012/02/05

英語の婉曲表現

英語学習本のようなタイトルで恐縮だが、これには深い訳が・・・

・・・あるわけではない。『エコノミスト』の記事が面白かったので、その一部をご紹介しようと思ったまで。

記事の冒頭を飾るのは、1945年8月15日の「玉音放送」。「世界史上最高の婉曲表現のひとつ」だという。「原爆を2つ落とされ、300万もの国民が命を失い、本土決戦を目の前にして、無条件降伏を国民に伝える」のに使った表現が「戦局必ずしも好転せず」。・・・なるほど。

『エコノミスト』が「婉曲表現の世界チャンピオン」と呼ぶのはイギリス人。

その良い例が死亡記事。死んだ人を悪く言うのは礼儀に反するので、どうしても婉曲表現を使うことになる。「死ぬ」こと自体、「die」ではなく「pass away」(過ぎ去る)という。

「宴会好きの」(convivial)、「愉快な」(cheery)と形容してあれば、故人は「大酒飲みの酔っ払い」。「耐えられないほど、つまないことをくどくど言う人」は「社交的な」(sociable)、「熱意にあふれた」(ebullient)。「他人に対して辛辣な話や全然おかしくない話をする人」は「機知に富んだ」(lively wit)。「惨めで落ち込みがちの人」は「厳粛な」(austere)とか「控え目な」(reserved)。「女好き」は「女性と一緒にいるのを楽しんだ」(enjoyed female company)。「男狂い」は「とても活発」(notable vivacity)。「欲望を抑制できない人」は「充実した人生を送った」(He lived life to the full)と描写される。

生きている人だと、訴訟される可能性があるから、記者は更に慎重になる。