2013/01/29

国の現状を憂うのは「国家反逆罪」? 「民主主義」政権の不思議な言い分

2013年1月17日、南アフリカの大手銀行「FNB」(ファーストナショナルバンク First National Bank)が大キャンペーン「You Can Help」(君も力になれる)を開始した。南アフリカの将来を担う子供たちに、この国の未来に関する夢や希望や思いを語ってもらおうという趣向。

テレビコマーシャルというと、代理店が周到に準備し、依頼主が承認した台本に従って撮影するのが常だが、FNBのキャンペーンは斬新そのもの。子供たちが自分の言葉で語る映像を、テレビやウェブサイトで生放送するというのだから。

「普段あまり耳にしない子供たちの声に、今こそ耳を傾けるべきだ。私たちが今日、築いている南アフリカを明日引き継ぐのは、子供たちなのだから」というFNB。日々の生活に影響を与えるものについて語る場を子供たちに提供することにより、「より良い生活・国作りを目指すブランド」というイメージを作り出すことがキャンペーンの目的。いずれも、もっともであろう。

2013/01/20

中流層の3人にひとりが麻薬使用 最新調査

南アフリカの中流層の34%が気軽に麻薬に手を伸ばしていることが、麻薬反対連合(Anti Drug Alliance。以下ADA)の調査で明らかになった。

調査に協力した5万7809人の大部分がハオテン州や西ケープ州(つまり都市部)に住む22歳から45歳で、フルタイムの職を持つ典型的な中流層。それどころか、アルコールは飲まない、または飲んでも週2、3回。刺青なし。タバコを吸わず、ポルノも見ず、ギャンブルもしない。かなり真面目な人たちである。

たしなむ麻薬で最も多いのが大麻(南アではダッハdaggaと呼ばれる)(32%)。続いて、コカイン(cocaine)、エクスタシー(ecstasy)、キャット(cat。メトカチノンmethcathinoneの通称)(以上3つはいずれも12.1%)。そして、LSD(9.3%)、マジックマッシュルーム(magic mushroom)(6.4%)、クラック(crack。コカイン系)(5.7%)、ティック(tik。メタンフェタミンの俗称。メタンフェタミンは日本人が合成した覚醒剤!)(4.2%)、ヘロイン(heroin)(3.6%)、ニャオペ(nyaope。大麻とヘロインを混ぜたもの)(2.1%)。

前年度の調査と比較すると、大麻を使用する人が11%増、ニャオペ9%増、キャット82%増。ティックに至っては88%増!コカインの値段が上がったことから、それまでコカインを愛用していた人々がティックに移ったためとみられる。マジックマッシュルームとLSDも、人気が出ているらしい。

2013/01/13

2020年にクルーガー公園からサイがいなくなる可能性。最新報告書が予測する絶望的な未来。

ントンビ(Ntombi)ちゃんの目の前で、母親が惨殺された。犯人たちは母親を取り囲んで、なにか作業をしている。まだ乳飲み子のントンビちゃんに、難しいことはわからない。恐らく母親が殺されたことも。。。とても怖くて、ただ、お母さんの傍に行きたいだけ。。。

うるさがった男たちは、ントンビちゃんを追い払おうと、斧やナタで切りかかった! ントンビちゃんは顔などに18か所も深い傷を負ってしまう。だが、頭蓋骨を切り裂くほどの重傷にも関わらず、奇跡的に命を取りとめる。。。

この事件は今年早々、首都プレトリアから北に250キロ、リンポポ州のマコパネ(Makopane)近くで起こった。ントンビちゃんは生後2か月のシロサイの赤ちゃん。

2時間おきにミルクを飲むントンビちゃん。「Sunday Times」より。

2013/01/11

貧乏国の作品は、アカデミー賞候補になれない? 南アの監督、落選に驚かず。


2006年、ギャヴィン・フッド(Gavin Hood)監督の『ツォツィ』(Tsotsi)が、南アフリカ映画として初めて、米アカデミー賞最優秀外国語映画に選ばれた。それ以来、南ア映画は候補にも挙がっていない。

トライしていないわけではない。今年は、ダリル・ルート(Darrel Roodt)監督の『リトルワン』(Little One)が南アを代表したが、最終候補作5作に選ばれなかった。

ルート監督は「意外ではない」という。「もっと資金があったら、選ばれる可能性はあった」というのだ。「アメリカで上映会を行うのには一回約8000ドルかかり、何度も上映する資金がなかった。しかし、第71位から13位くらいには上昇したから。。。」と自分を慰めている。

宣伝に25万ランドかけることができたら、最終候補になっていた。しかし、この映画を製作するのに、有り金全部ハタイタので、家賃を払うのにも苦労したほどだ。」

2013/01/08

南アフリカの英語 「交通信号」は「ロボット」!?!

「3つ目のロボットを左に曲がって・・・。」

南アフリカで道を聞くと、こんな返答が戻って来る。

といっても、道路の各所にロボットがつっ立っているわけではない。交通信号機のことだ。

交通信号機が一体またどうして「ロボット」? 南ア人に聞いても、明確な回答が得られない。せいぜい、

「う~ん。信号が南アに初めて設置された時、あまりのテクノロジーのスゴサに皆驚いて、ロボットみたいだ、と思ったのかな~」程度。

「ロボット」=「人の代わりになんらかの作業を行う装置」という定義に基づけば、交差点に立って交通を誘導するお巡りさんの代わりということで、「交通信号機」=「ロボット」でもいいのかな~???

フェイスブックで最近、こんな一覧表を目にした。題して、「Howzit my bru? - Talk like a South African」(やあ、兄弟-南ア人のように話そう)

2013/01/03

ジョニー・スタインバーグ著『リトル・リベリア』 本国の内戦を逃れ、ニューヨークのスラムで生きるリベリア人たち

Jonny Steinberg
Little Liberia: An African Odyssey in New York City
Vintage Books 2011
ISBN 9780099524229
ノンフィクション

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ニューヨークのスタテン島(Staten Island)に、リベリア人のコミュニティがある。通称「リトル・リベリア」(Little Liberia)。

「パークヒル」(Park Hill)という「ハウジングプロジェクト」(housing project:低所得者用公営住宅団地)は、リベリア人で溢れている。そこに、同胞の生活向上に情熱を注ぐふたりの男がいた。

ひとりはジェイコブ・マサコイ(Jacob Massaquoi)。1971年生まれ。ギオ(Gio)族だったジェイコブの父親ドゥアズアは、支配階級「アメリコ・ライベリアン(Americo-Liberian)」(アメリカ系リベリア人)との間にコネを築き、10人を超える子供たちに出来る限りの教育を与えた。

しかし、1980年にクラン族(Krahn)のサミュエル・ドウ(Samuel Doe)曹長がクーデターを起こし、アメリコ・ライベリアンの支配が終わる。旧政権に近かった人々の多くが処刑・追放された。その後、内戦中に何度も命を落としそうになりながら、ジェイコブは運と機転に助けられ、遂にはアメリカまで逃げ延びる。

リベリアでは物理学者になりたかったというジェイコブだが、アメリカでは持ち前の行動力と組織力を生かして、リベリア人の老人、女性、子供たちの生活改善のために、身を粉にして働いている。

もうひとりの主人公は、ルーファス・アルコイ(Rufus Arkoi)。サッカーを通じての人材養成をライフワークとする。

リベリアではサッカーチームのオーナーだった。1986年に渡米。稼いだ賃金の殆どを故国の家族とサッカーチームに仕送りする一方で、エンジニアリングの学位取得を目指し、いつかは故郷に錦を飾ることを夢見た。

ところが、1989年に内戦が勃発。サッカーを大々的に推進したサミュエル・ドウ政権が倒れ、ルーファスの夢は打ち砕かれた。しかし、内戦を逃れアメリカにやって来た難民とその子供たちが付近に急増するのを目の当たりにして、一念発起。子供たちのサッカーチームを年齢別、性別に次々と設立。子供たちに教育の大切さを説き、勉強を教え、優秀な子供たちにはサッカー奨学金を確保し大学に送った。

やがて、それぞれの信念に従い、リベリア移民・難民のために真摯に努力する精力的なふたりが、小さなコミュニティを舞台に衝突することになる。。。