2016/12/17

ゾウを救え! ディカプリオとプーチンの元側近が個別にドキュメンタリー映画を制作

セルゲイ・ヤストルジェムブスキー(Sergey Yastrzhembsky)は元ロシアの外交官。1953年12月4日生まれ。歴史学の博士号取得後官僚となり、ボリス・エリツィン(Boris Yeltsin)やウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)の報道官、EU大使などを務める。

プーチン側近時代のヤストルジェムブスキー(The Times

2008年に退官してから、どういう経緯からか、アフリカでドキュメンタリー映画の制作を開始。2012年、プロデューサー兼監督として初めての作品を発表。アフリカの部族の生活を描いた『Africa, Blood and Beauty』(アフリカ 血と美しさ)だ。

ドキュメンタリー映画監督になったヤストルジェムブスキー(Bank of Cyprus Cultural Foundation

野生動物を殺すのも好きらしい(Sportsmen on Film

最新作は今年公開された『Ivory: A Crime Story』(象牙 犯罪物語)。3年かけて、30か国で撮影。250時間もの映像を1時間27分にまとめた。制作費用100万ドル。野生のゾウが15分に1頭という空恐ろしいペースで、象牙目当ての密猟のために命を落としている現状を憂えて制作したというこの映画は、中国、ベトナム、タイの大物象牙バイヤーを名指しで非難している。

2016/12/09

愛らしいフランス人女性による「マケバ」がユーチューブで話題

うら若いフランス人歌手によるビデオ「マケバ」が話題になっているという。11月30日にユーチューブにアップされ、12月9日現在で85万ヒットを超えている。

「マケバ」とは、南アの国民的歌手で反アパルトヘイト活動家「ミリアム・マケバ」(Miriam Makeba)のこと。
「ママ・アフリカ」と呼ばれたミリアム・マケバ(Originalpeople.org

歌っているのは「Jain」。フランス語読みすると「ジャン」だろうか。本名「Jeanne Galice」、1992年2月7日生まれ。マケバが亡くなったのは2008年11月9 日。ジャンがまだ16歳の時だ。そんな女の子がなぜマケバの歌を?

2016/12/05

黒人女性に相変わらずの人気 美白クリーム

南アの黒人女性の間で美白クリームが流行っているという記事(「美白クリームが黒人女性に大人気」 )を4年前に書いたが、危険な成分を含んだ美白(というか漂白)クリームはいまだに市場に出回っており、また、美白クリームの人気は依然として衰えていないことが最近の調査でわかった。

ケープタウン大学と米ペンシルベニア州立大学の合同調査に協力した600人の黒人・インド系南ア人のうち33%が、「肌を白くする製品を使っている」と回答したのだ。調査結果は『SA Journal of Science』に発表された。

なぜ南アの有色人種女性は肌を漂白するのか。その理由は、肌が白いと「特権が増える。社会的地位が高くなる。雇用に有利になる。結婚に有利になる」と思われているため。「歴史的な人種差別感」や「化粧品会社のマーケティング」も原因と考えられる。

以前紹介した南アのセレブ、ムショザ(Mshoza)は「美白クリーム」どころか、漂白作用のある物質を皮膚に注入した。『ドラム』(Drum)誌のカバーに登場したときの見出しは、「醜い私にうんざりしたの」(I was tired of being ugly)。整形し肌を漂白したおかげで、「彼が前より愛してくれるようになった」という。そんな男とはさっさと別れた方が良いと思うけど。。。

2016/11/28

南アで余生を送るブラジル生まれのみなしご猫ネルソン、波乱万丈の人生が本に

ネルソンは気難しい猫だ。冷淡で攻撃的。撫でられたり、抱かれてたりするのが大嫌い。飼い主のノーラ・ミッチェル(Nola Mitchell)さんにも平気で噛みつく。17歳という高齢ながら、他の猫と大喧嘩する。

飼い猫、それも老猫にしては超硬派。可愛げがないこと、この上ない。しかし、ネルソンの半生を知れば、そんなタフガイになってしまったのも頷ける。

ネルソン(Get It Durban

生まれはブラジルの港町、カベデロ(Cabedelo)。トラックの荷台で生まれたらしい。母親が生後数日の子供たちを安全な場所に移そうしたとき、一家は犬の群れに襲われる。騒ぎを聞きつけ駆けつけたのは、ケープタウン出身のヨットマン、ボブ・ヘイワード(Bob Hayward)さん。猫一家は皆殺しに殺されてしまった。溝に身を潜め、九死に一生を得た子猫を除いて。。。

2016/11/20

お値段7万7千円から 南アの契約殺人

日本で殺し屋を雇うと、一体いくらくらいかかるのだろう。

そんなことを思ったのは他でもない。南アフリカにおける研究結果が、世界的に権威のある学術誌に発表されたからだ。


論文の題は「The Commercialisation of Assassination: Hits and Contract Killing in South Africa 2000-2015」(暗殺の商業化:2000年ー2015年の南アフリカにおける暗殺と契約殺人)。掲載された学術誌は「African Affairs」。ロンドンに本部がある「ロイヤル・アフリカン・アカデミー」(Royal African Academy)の季刊誌で、オックスフォード大学出版局(Oxford University Press)が発行している。

ケープタウン大学(University of Cape Town)のマーク・ショー(Mark Shaw)教授と博士課程の学生キム・トーマス(Kim Thomas)が分析に使ったのは「メディア」。2000年から2015年までの16年間に報道された、暗殺や暗殺未遂1000件以上のデータベースを作成したのだ。もちろん、誰にも知られず殺され、報道されなかったケースも数多くあるだろう。

マーク・ショー
キム・トーマス

アパルトヘイト時代の南アでは、暗殺や契約殺人は珍しいものではなかった。アパルトヘイト政府が解放運動の活動家を殺害しただけでなく、解放運動内部でも、「問題」と見なされたり、政府のスパイと疑われたりして殺された人がたくさんいる。いずれにせよ、アパルトヘイト時代の暗殺の多くは、政治を動機とした、組織によるものだった。

それが変わったのは1994年。アパルトヘイトが終わり、民主総選挙が行われ、アフリカ民族会議(ANC)が政権を取ってからのことだ。イデオロギーの違いを原因とした政治組織による暗殺から、個人が政治的経済的利益を得るために殺し屋を雇うことに変化したのだ。そして、人を使って殺することで問題を解決しようとする事例が、近年増えているという。

2016/11/11

トランプ大統領はアフリカにどう影響するか

ドナルド・トランプがアメリカ合衆国の次期大統領に選ばれてしまった。

実はこの半年以上、毎日、米大統領選の動向を追っていた。そして、知れば知るほど、トランプという人間のひどさに唖然とした。

2004年に始まったリアリティ番組「アプレンティス」(The Apprentice)により、有能で容赦なく、素晴らしいリーダーシップを発揮する大物ビジネスマンのイメージを米国民に植え付け、「トランプ」は「成功」の代名詞となった。だが、現実は違う。詐欺まがいの、あくどい事業のやり方。数えきれない事業の失敗。過去30年間に抱えた訴訟は3500件以上! 

自分の利益のためなら何でもする超利己的人間。財力と知名度をフルに使って、好き勝手にやり放題。しかも、人間としては超未熟。「自伝」のゴーストライターによると、3分も注意を集中できない。自由時間の大半を、テレビを見ることとツイッターに費やす。自分をコントロールできず、些細な挑発に乗ってしまう。異常な虚言癖、超ナルシスト、人種差別、女性蔑視、セクハラ・・・。未成年女子のレイプ容疑まである。

しかし、どんなスキャンダルも、多くの国民の頭をスッと通過してしまう。ウォーターゲート事件を暴き出し、また計47ものピュリッツァー賞を受賞している、あの『ワシントンポスト』紙の記者がコツコツ調べ上げ、「ピュリッツァー賞受賞間違いなし!」と絶賛された報道をしても、すぐに忘れられてしまった。ジャーナリストとしてさぞかし悔しかったことだろう。

生まれた時から大金持ちで、他人を踏み台にして70年間生きてきて、ベルサイユ宮殿を模したキンキラキンのマンションに住み、自家用ジェット機で移動するドナルド・トランプ。そんな人間が自分の利益を代表してくれると、多くのアメリカ人がなぜ信じることができるのか摩訶不思議だ。

2016/09/18

新刊『ネルソン・マンデラ 私の愛した大統領』 個人秘書の回想録

ネルソン・マンデラの個人秘書だったゼルダ・ラグレインジの回想録、もうすぐ邦訳が出ます。



マンデラ関係の訳書は、日記、手紙、未発表の自伝原稿などを集めた『ネルソン・マンデラ 私自身との対話』、名言集『ネルソン・マンデラ 未来を変える言葉』に次いで、私にとってこれが3冊目。出版社はいずれも明石書店。

以下、訳者あとがきから。

* * * * * * *

南アフリカに暮らす外国人にとって、魔訶不思議なことがある。「アパルトヘイトを支持していた」という南ア白人にまず会わないことだ。

アパルトヘイトは、1948年から1994年まで政権を担当した国民党による人種分離政策である。その間、定期的に総選挙が行われ、アパルトヘイトに反対する野党が存在したにも関わらず、毎回国民党が圧勝した。つまり有権者(白人のみ)の大半は国民党の政策アパルトヘイトを支持していたはず。それなのに、アパルトヘイトが終わってみると、「人種差別は良くない」ことで国民の意見が一致し、かつてアパルトヘイトを支持していたという白人にお目にかからないのだ。

そんな中、自分がレイシスト(人種差別主義者)だったこと、国民党より更に右翼の保守党に誇りを持って投票したことを正直に認めるゼルダ・ラグレインジは新鮮である。過去を認め、過去と向き合って初めて、自分を変えることができる。現実に前向きに対処できる。人間として成長できる。

そして、ゼルダ・ラグレインジの目を開かせたのは、20世紀が生んだ世界的偉人、南アフリカ初の黒人大統領ネルソン・マンデラだった。

***

ゼルダは、政治とは縁もゆかりもない、ごく普通の家庭で育った。毎週日曜日に教会に行く、信心深い家庭。まわりの人々も皆そうだった。大人になったら、結婚して子供を持つ以外、とりたてて夢はなかった。

ゼルダが育ったコミュニティを形成するのは、オランダ語から派生したアフリカーンス語を第一言語とする、「アフリカーナ」と呼ばれる白人たち。黒人が人口の大半を占める南アフリカだが、ゼルダと黒人の付き合いは住み込みのメイドのジョガベスだけ。黒人は劣った存在、怖い存在と教え込まれ、その肌に触れることは「タブー」だった。ゼルダが「ある意味で我が家の一員」と感じ、ゼルダの「母親代わり」「命綱的存在」だったジョガベスにしても、アパルトヘイトの法律により、夫や自分の子供と一緒に住むことができない。収入を得るために他人の子供を育てながら、自分の子供の傍にいて、愛情を注ぎ、成長を見守ることが許されないジョガベスの境遇を、ゼルダはおかしいと感じない。

ごく「普通」と思っていたことが、現代世界の価値観からするとまったく「普通」ではないことに気がついたのは、大統領執務室で働き始めた20代のことだ。「まるで、これまで別の惑星に暮らしていたかのように感じた」とゼルダは本書の中で告白している。自分の国の現状や歴史にあまりに無知だった。黒人に居住の自由がないことも、1976年のソウェト蜂起で数多くの子供たちが殺されたことも知らず育った。ネルソン・マンデラについては、長年刑務所に入っていたテロリスト程度の知識しかなかった。

2016/09/02

リオ五輪、南アのメダリスト 注目したい3人

4年に一度の夏季オリンピック。我が家にはテレビがないので、大抵、知らないうちに始まって、知らないうちに終わってしまうのだが、リオ五輪は友人たちがフェイスブックに記事や動画を投稿してくれたおかげで、南アチームの活躍を垣間見る機会があった。

中でも、目立ったのがこの3人。

ルヴォ・マニョンガ(Mail &Guardian

まず、走り幅跳びで、銀メダルを取ったルヴォ・マニョンガ(Luvo Manyonga)。25歳。個人最高の8.37メートル。金メダルとは僅か1センチの差だった。

銃と麻薬と暴力に囲まれた、ケープタウン近くの貧しいコミュニティに育つ。2009年、コーチのマリオ・スミス(Mario Smith)に見い出され、2010年にIAAF(国際陸上競技連盟)のジュニア世界選手権で優勝。名声を得たことから、家族や友人たちがまだ10代のルヴォの稼ぎを当てにするようになり、ルヴォに走り幅跳びに専念して欲しかったコーチは、自腹を切ってルヴォの家族を養うはめになる。

そんな中、ルヴォはティック(覚醒剤)に溺れていく。2012年、薬物検査で陽性。18か月の競技出場停止処分を受ける。通常は2年の停止処分が18か月で済んだのは、貧しい家庭環境や麻薬に関する教育不足を理由として、スミスが尽力してくれたおかげだ。

2014年、ルヴォを何とか立ち直らせようと、ルヴォの家に向かっていたスミスが交通事故で死亡。ルヴォは葬儀に参加せず、ティックでハイになっていた。麻薬漬けの毎日で、死と隣り合わせだったという。

2016/07/05

カナダの森林火災救助に駆けつけた南アの消防士 ほとんど働かないままスト

2016年5月1日、カナダのフォートマクマレー(Fort McMurray)で森林火災が発生した。5月3日には住宅街に広がり、約2400軒の家屋やビルが焼失。住民は安全を求めて逃げ出し、アルバータ州史上最大の避難民が生まれた。火災はその後も広がる一方。収まったのは6月中旬に雨が降ってのことだ。カナダ史上、最も被害総額が大きい自然火災となった。

避難する住民(Wikipedia


南アフリカの消防士301名が2週間の救助に駆けつけたのは6月上旬。エドモントン国際空港で歌い踊る雄姿が報道され、なかなか頼もしかった。



ところが、救援活動5日目の6月8日、南アの消防士たちはストに突入してしまう。民間企業の労働者はもとより、人命を預かる看護婦や、教育を司る教師や、囚人の警備に当たる看守や、市民の生活を守る警察官まで平気で違法ストをするお国柄とはいえ、異国の苦境を救うために派遣されていながら、仕事をそっちのけでストライキとはよほどの事情があったのだろうか。

・・・と思ったら・・・

2016/06/21

やっぱりレンジャーがグルだった!南アフリカのサイの密猟

きっとそうだろうな、と疑ってはいたが、事実としてはっきり目の前に突きつけられて、唖然愕然とする。クルーガー国立公園でサイを守る立場にあるレンジャーたちが密猟に加担していたのだ今月に入って、既に4人が逮捕され、2人が停職処分を受けたという

20世紀の初頭、アフリカ、アジアに約50万頭生息していたと推測されるサイは、1970年頃には7万頭、現在では2万9千頭にまで激減している。うち一番数が多いのは南部シロサイの約2万頭。その9割が南アフリカに生息する。

サイの生息分布状況(Save the Rhino


南アフリカにおけるサイの密猟数は、2000年(7頭)から2007年(13頭)の間、年6頭から25頭の間を上下していた。それが2008年、83頭に急増し、その後も毎年、飛躍的に増加。2014年には、なんと1215頭ものサイがツノ目当てに殺されてしまった。2015年は1175頭と前年より多少減少したが、それでも油断できるレベルではない。(今年は5月8日現在で363頭。)

南アにおけるサイの密猟数 2007年-2015年(Save the Rhino


被害が断然多いのが、クルーガー国立公園。南アフリカに数ある野生動物保護地域の中でも世界で一番有名であり、南アのサイの半数以上がここを住処とする。

2016/05/11

最高のキャンプサファリ ボツワナ

仕事で何度か、ボツワナでキャンプをする機会があった。

国立公園のど真ん中、ライオンやハイエナやゾウやバッファローなどがいるところに、特別な許可を取って、柵も何もなしにキャンプを張る。といっても、設営はプロのスタッフがやってくれる。通算で50泊くらいしただろうか。

1日24時間サファリ状態。夜、まわりに人の気配がないキャンプを取り囲むのは、漆黒の闇。頭上には、大きなカゴに山盛り入った星をワシづかみにして振り撒いたような、満天の星空。くっきりと白い天の川は「ミルキーウェイ」(ミルクの道)という英語がぴったり。聞こえるのは野生動物の声だけ。そして、信頼できる、腕の超確かなガイド、シェフ、スタッフがサポートしてくれる。焚火と鍋だけで、こんなに美味しい料理ができるなんて感動もの。

左上や下部の星が見えないところは木があるため

ボツワナという国がまた素晴らしい。1966年の独立時には、世界でも最貧困国のひとつだった。それが1970年代初頭、ダイヤモンドの発見により一躍裕福になる。しかし、権力者が富を独占し、私欲を肥やし、国民の生活を顧みない国が多かった当時のアフリカには珍しく、大統領をはじめとして立派な政治的指導者に恵まれた。


「ダイヤはいつか枯渇する」と、観光と教育に力を注ぐ。10年間の義務教育は無料。公共の医療機関も無料。

環境保護にも余念がない。チョベには、世界のどこよりも多くのゾウが集まる。一時はゼロだったサイの再導入も、大統領の全面バックアップを得て始まった。大型動物のハンティングどころか、狩猟は全面禁止。公園内に銃の持ち込みはできない。陸軍の密猟取締り班が目を光らせ、密猟者はその場で射殺される。また、外国人観光客の国立公園入場料や公園内宿泊料をかなり高く設定する一方で、ボツワナ国民・居住者は誰でも払えるような安値で公園を楽しめる。

国民性も好感が持てる。特に南アフリカから来ると、その違いに愕然とする。もちろん、どこの国にも色々な人がいるものの、ボツワナ国民は概ね、温厚で働き者。民度が高い。

南を南アフリカ共和国、西と北をナミビア、東をジンバブエ、北をザンビアに囲まれた内陸国(Wikipedea


すっかりボツワナファンになってしまった私。なんとか応援したい。

そういうわけで、昨年日本に一時帰国した際、ボツワナという国と国民、そしてキャンプサファリの素晴らしさを熱っぽく吹聴していたら、「行ってみたい!」という声が続出。そこで、参加者を募り、今年のゴールデンウィークにプライベートツアーを企画してみた。一橋大学イノベーション研究センターの米倉誠一郎教授(兼日本元気塾長兼プレトリア大学日本研究センター顧問兼NPO「アフリカ象の涙」顧問)と一緒に南アフリカに来たことがあるメンバーを中心とした、夫婦2組(1組は新婚旅行!)、シングル女性3名、シングル男性1名、それに私の計9名。

2016/03/05

マンデラ家の跡取り、4度目の結婚 イスラム教に改宗

マンデラ家の跡取り息子マンドラ(Zwelivelile "Mandla" Mandela)がイスラム教徒に改宗して、イスラム教徒の女性と結婚した。人種も文化も宗教も違う女性と結婚するとは、さすが「和解の人」ネルソン・マンデラの孫息子!

でも、・・・マンドラって、結婚してなかったっけ?

マンドラは1974年、ジョハネスバーグのソウェトで生まれた。父親はネルソン・マンデラと最初の妻エヴェリンの息子マハト(1950-2005)。1995年までスワジランドの中等学校で教育を受けた後、南アフリカのローズ大学に入学。卒業したのは、なんと2007年、30歳を超えてからだ。その間、働いていたわけではなく、学生生活を楽しんでいたようだ。

マンデラ家は東ケープ州ムヴェゾ(Mvezo)の首長だったが、ネルソン・マンデラの父親が1900年代の初頭、地元の裁判官と問題を起こし首長の座を追われる。跡取りのマディバ(ネルソン・マンデラ)は弁護士であること、解放運動に身を尽くすことを理由に、若くして首長職を継ぐ権利を放棄。それが、約70年ぶりにマンデラ家の首長職を再興しようという話になり、マハトが既に死亡していたことから、マハトの長男マンドラが2007年、32歳の時に首長に就任する。

ムヴェゾは人口わずか800人。行政は地方政府が行なうから、首長の仕事は伝統的な行事を執り行うこと程度。だが、首長には政府から給料が支給される。農村部で力のある首長を取り込むことで、住民の票を確保しようとする与党ANC(アフリカ民族会議)の政策である。

マンドラはまた、晩年ぼけて衰弱し、自分の意志を通すことのできないマディバをANCの集会に担ぎ出したりしてズマ現大統領に貢献し、2009年の総選挙後、国会議員にしてもらう(南アの国会議員は比例代表制選挙で選出される)。首長の給料に、国会議員の給料が加わったわけだ。更に、ズマ家と近いマンドラは、ズマの家族と一緒に事業を起こし、マンデラ家とズマ家の名前とコネを思う存分私利私欲に利用している

マンドラはマディバが亡くなる何年も前に、「マンデラの葬式の報道権を300万ランドでSABCに売った」として問題になったこともある(「AP通信とロイターがマンデラをスパイ? 警察が監視カメラを撤去 根拠はアパルトヘイト時代の法律 」)。また、マディバが危篤状態の際、マンデラ家の人間3人の墓を家族に無断で掘り起し、遺体をクヌからムヴェゾに移動して家族に訴えられている(「マンデラ対マンデラの戦い マンデラ家の跡取り、家族に訴えられる 遺体を勝手に墓場から移動 」)。

・・・といったような調子で、マンデラ家の跡取りには残念ながら、あまり芳しい評判がない。

結婚に関してもそうだ。なんと過去12年に4回も結婚しているのだが、これが問題続き。

最初の妻はタンド・マブンダ(Thando Mabunda)。2004年6月に、正式に結婚した。

最初の夫人タンド(Tims Live

内務省に「配偶者」として登録できる妻はひとりだけ。ズマ大統領には複数の妻がいるが(「ズマ大統領 また結婚 「現役妻」は4人」)、一夫多妻を容認するアフリカ部族のために、第2妻以降にも配偶者としての権利を認める法律があるからで、ズマ大統領にしても内務省登録の妻はひとりだけである。