2014/05/31

新刊『ネルソン・マンデラ 未来を変える言葉』 マンデラの名言集

拙訳『ネルソン・マンデラ 未来を変える言葉』が、いよいよ2014年6月1日、刊行される。



思えば、朝日新聞のK氏と「マンデラの名言集を出したいね~」と話していたのは、10年以上前のことだった。今から考えると、その時実現しなくて良かった。当時アクセス出来たマンデラの言葉は、演説など公の文書しかなかったからだ。手紙や日記など私的文書を含んだ引用集は、2010年のConversations with Myself (邦訳『ネルソン・マンデラ 私自身との対話』2012年)を待たなければならなかった。

『私自身との対話』を訳し終えてすぐ、短い引用を集めたBy Himself (2011年)の訳に取り掛かった。『私自身との対話』同様、ネルソン・マンデラ財団が編集したマンデラ公認の引用集である。

By Himsef は2000もの引用を300以上のカテゴリーに分けて編集したもの。高さ1ミリくらいの細かい文字がぎっしり詰まっていて、見るだけでうんざりしてしまう。しかも、同じような引用が多い。更に、日本人には全く意味をもたないものが沢山ある。マンデラ財団の職員とっては、どれもこれも大切な言葉で、何千、何万もの文を泣く泣く削りに削ったのだろうが、また、1次資料としては大変貴重だろうが、こんな本を訳しても、殆どの人は読む気にならないないだろう。

そこで、原著出版社の許可を取って、引用を削る作業に取り掛かった。内容が重複したものや、日本人の心に響かない言葉を割愛していったのだ。

そうこうしているうちに、アメリカでNotes to the Future が出るという話を聞いた。By Himself と同じ編集者だが、約300の引用を厳選したものだ。是非、翻訳を!と願ったものの、諸事情によりやっと今年に入って明石書店が邦訳の版権を獲得し、出版実現の運びとなった。

2014/05/28

新財務相、就任早々災難 偽物がツイッター

南アフリカでは4回目の民主総選挙が無事終わり、大統領就任式も無事終わり、新政権の閣僚が発表された。

予想通り、選挙前の公約はとても達成できそうにない陣容。大臣としての能力は、ほぼ完全に無視。ズマ大統領への近さや貢献度、与党ANC(アフリカ民族会議)内の力関係が物をいう「ご褒美」人事。ご褒美をあげる人数を増やすため、閣僚数がまた増加した。「国政に必要だから」ではなく、「大臣職をばらまく必要があるから」の増職だ。

1994年、ネルソン・マンデラ大統領が任命した閣僚は44名。ターボ・ムベキ大統領が2007年に任命したのは50名。2009年、第一期ズマ政権の閣僚は63名。今回はなんと73名! GDPや税収がずっと多い、アメリカやドイツや日本より大臣が沢山いるのである。

2014/05/12

子供は養子に出すより捨てた方がいい 祖先崇拝に基づくアフリカ流論理

路上のゴミ箱の中に新生児が捨てられていた、というニュースを時々耳にする。子供を捨てる母親は「貧しくて子供を養うことが出来ない若い女性」とか、「望まない妊娠をしてしまった無責任でふしだらなティーンエイジャー」とか、「トラウマや鬱など精神的に問題がある女性」とか勝手に推測されているが、これまで子捨てに関するきちんとした調査はなかった。

ディー・ブラッキー(Dee Blackie)さんが、プスプスと燃えるゴミの山の中で小さな赤ちゃんの死体を見つけたのは2011年のこと。大きなショックを受け、「なんとかしなければ」と「全国養子縁組連合」(National Adoption Coalition)の結成に尽力した。「どうしても赤ちゃんを育てることができないお母さんのために、養子縁組を促進しよう」と考えたのだ。

全国養子縁組連合ウェブサイトから)

貧困、極度の性差別、暴力などが原因で子捨ては増加の一途を辿っているのに、どういうわけか養子縁組は減っている。捨てられる赤ちゃんの殆どは黒人である。

2014/05/06

ネルソン・マンデラ国際映画祭、実現なるか? 第1回は2015年12月

2014年4月4月23日、ニューヨークで「ネルソン・マンデラ国際映画祭」(Nelson Mandela International Film Festival)が旗揚げされた。

「ニューヨークでマンデラ映画祭が始まる!」というのは早とちり。マンデラ家の跡取り、マンドラ・マンデラ(Mandla Mandela)がマンハッタンの「トライベッカ映画祭」(Tribeca Film Festival)で発表した、という話だった。

マンドラ・マンデラ(SABC
トライベッカ映画祭は、2002年、ロバート・デニーロ(Robert De Niro)ら3人が創設した映画祭。世界中から300万人が訪れ、年間6億ドルの収益があるという。

「第1回ネルソン・マンデラ国際映画祭」は2015年12月3-12日に、南アフリカの港町ポートエリザベス(Port Elizabeth)で開催される予定。

何故、この町で…?

2014/05/02

マンデラの70歳誕生日コンサート、ドキュメンタリーに

1988年6月11日、ロンドンのウェンブリー・スタジアム(Wembley Stadium)でネルソン・マンデラの70歳誕生日コンサート「The Nelson Mandela 70th Birthday Tribute」が開かれた。

マンデラ70歳誕生日コンサートのポスター

プロデューサーはイギリス人のトニー・ホリングワース(Tony Hollingsworth)。構想を練ったのは1986年の初めという。イベントの主眼は、「ネルソン・マンデラをはじめとする南アフリカの政治犯の釈放」「アパルトヘイトの撤廃」「南アフリカへの制裁」の3点を求めること。世界の注目を集めるためには、大物ミュージシャンの出演とテレビ中継が欠かせない。

大物ミュージシャンとテレビ中継を確保するため、ホリングワースは走り回る。その努力は並大抵のものではなかった。