2014/05/06

ネルソン・マンデラ国際映画祭、実現なるか? 第1回は2015年12月

2014年4月4月23日、ニューヨークで「ネルソン・マンデラ国際映画祭」(Nelson Mandela International Film Festival)が旗揚げされた。

「ニューヨークでマンデラ映画祭が始まる!」というのは早とちり。マンデラ家の跡取り、マンドラ・マンデラ(Mandla Mandela)がマンハッタンの「トライベッカ映画祭」(Tribeca Film Festival)で発表した、という話だった。

マンドラ・マンデラ(SABC
トライベッカ映画祭は、2002年、ロバート・デニーロ(Robert De Niro)ら3人が創設した映画祭。世界中から300万人が訪れ、年間6億ドルの収益があるという。

「第1回ネルソン・マンデラ国際映画祭」は2015年12月3-12日に、南アフリカの港町ポートエリザベス(Port Elizabeth)で開催される予定。

何故、この町で…?

ポートエリザベスを中心とした拡大都市圏は「ネルソン・マンデラ湾大都市圏」(Nelson Mandela Bay Metropolitan municipality)という行政地区。「ネルソン・マンデラの名前を冠した唯一の都市だから」とマンドラ。単純明快と言おうか、短絡的と言おうか。勿論、マンドラが映画祭の「チェアマン」。マンドラのこれまでの活動履歴からすると、またネルソン・マンデラの名前を使った金儲け手段だろう。

ポートエリザベスが位置する東ケープ州は、9つある南アフリカの州の中でもかなり貧しい方だ。当然のことながら、州は映画祭を歓迎している。

東ケープ州経済開発担当のムケビシ・ジョナス(Mcebisi Jonas)によると、ポートエリザベスが映画祭の開催地に選ばれたのは国の「中心に位置するから」。

・・・中心って・・・?
南アフリカの地図。ポートエリザベスは真ん中の南(赤)。

地理的には、確かに東西の真ん中。しかし、南北では南端。決して中心ではない。ましてや、政治、経済、観光、産業などのどれをとっても、「中心」とは言えない。気持ちはわかるが、はっきり認めなさい! 単に、名前のお蔭だと。

東ケープ州とネルソン・マンデラ湾大都市圏では、この映画祭に世界中からスターが集まり(カンヌ映画祭をイメージしているのかな?)、世界中から投資が集まり、ひいてはポートエリザベスが世界的な都市になることを期待している。

だが、南アフリカには既に、結構沢山の映画祭がある。その殆どがジョハスバーグかケープタウンで開催されている。この2都市以外では、ダーバンの「ダーバン国際映画祭」(Durban International Film Festival)がよく知られており、今年35回目を迎えた。

ダーバンを擁するクワズールーナタール州では、ダーバンで映画産業を盛んにしようとここ数年努力を続けているものの、大きな映画産業が確立しており、世界中から映画やコマーシャルの撮影が集まるケープタウンに全然対抗しきれないでいる。ポートエリザベスでも映画産業を興したい意向らしいが、ゼロからの出発の上、全く「売り」の要素がない。州が貧しいのは、それなりの理由がある。前途多難どころではない。

映画祭そのものも、「マンデラ」の名前だけで人とお金が集まると考えるのは余りに短絡的。モノを言うのは中身である。しかし、今のところ、決まっているのは「ネルソン・マンデラ国際映画祭」という名称だけ。何のコンセプトもない。「南半球で最大の国際映画祭になる」というフレコミだが、何を主眼に置いた映画祭なのか皆目わからない。(芸術性、インディー、若手育成、アフリカ、ブロックバスター・・・。)

ジョナス氏は今年3月末、「詳細は公式な旗揚げ時に公表する」と述べているが、トライベッカ映画祭での旗揚げで、詳細の公表はなかった。

2000年に設立されたネルソン・マンデラ湾大都市圏は、これまでもマンデラの名前を利用して、経済成長を目論んだことがある。「ポートエリザベスのどこからでも見える巨大なマンデラ像を建設し、世界中から観光客を呼び寄せる」というもの。「市の名前以外、マンデラに何の所縁(ゆかり)もなく、観光地でもないところへ、わざわざマンデラの像を見るためだけに、世界中から観光客が押し寄せる」なんて、夢を見ているとしか思えない。市もそのうち気がついたのか、いつの間にかボツになった。

「第1回ネルソン・マンデラ国際映画祭」開催で、決まっていることがひとつだけある。アメリカの詩人・エッセイスト、マヤ・アンジェロウ(Maya Angelou)が映画祭の「名誉世界大使」(Honorary Global Ambassador)になることを承諾したのだ。

マヤ・アンジェロウ(Sowetan

1960年代の初頭カイロに住んでいた時、マンデラに初めて会ったという。マンデラが亡くなった時は、弔いの詩「His Day is Done」を発表している。

詩人本人による朗読がユーチューブにあった。アップしたのは米国務省(US Department of State)。



「ネルソン・マンデラ国際映画祭」の開催まで、僅か1年半。資金調達、場所の確保・ロジ、コンセプト決定と作品の選定、宣伝、運営…。やることは山積みしている。一体どうなることやら。マンドラ、大丈夫かい?

無事開催できても、1928年4月4日生まれのマヤ・アンジェロウは87歳になってしまう。それまでお元気で!

(参考資料:2014年4月22日付「Sowetan」、「The Times」など)

【関連記事】
マンデラの遺書公開 元妻ウィニーへは一銭も残さず (2014年2月4日)
マンデラ対マンデラの戦い マンデラ家の跡取り、家族に訴えられる 遺体を勝手に墓場から移動 (2013年7月5日)
金儲けに恥も外聞もなし マンデラ家の醜態 (2013年4月15日)

1 件のコメント:

  1. マヤ・アンジェロウさん、今日(5月28日)、亡くなってしまいました。ご冥福を祈ります。しかし、これで、「ネルソン・マンデラ国際映画祭」で決まっていることがゼロに。。。

    返信削除