2015/11/08

キャンディー2個とタバコ1本のために失われた命

約半年前のゼノフォビア(Xenophobia)騒動時に命を落としたモザンビーク人の露天商エマニュエル・シトレ(Emmanuel Sithole)さん。襲撃の現場が一部始終カメラに収められ、更に事件が世界中に知れ渡ったことから、4人の犯人が迅速に逮捕され、このほど裁判で判決が下された。
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事件の経緯はいたってシンプル。4月18日の朝7時を回った頃、17歳の少年がシトレさんからキャンディー2個とタバコ1本を盗む。少年の後を追ったシトレさんは、少年の友だちに取り囲まれ、殺されてしまった。

襲われるシトレさん(Eyewitness News

11月6日、4人のうちのふたりムティント・ベング(Mthinto Bhengu。22歳。事件当初は「ムティンダ・ベング」と報道)とスフンド・ムジメラ(Sfundo Mzimela。21歳。同「スフンド・シェジ」)に殺人罪の有罪判決が下った。

シズウェ・ンゴメズル(Sizwe Ngomezulu。20歳)はシトレさんを襲った証拠がないとして無罪。襲撃したところが写真に写っておらず、証人もいなかったのだろう。

殺人の発端となる盗みを働いたアヤンダ・シビヤ(Ayanda Sibiya)は、運よく殺人犯にならずに済んだ。肉切り包丁を手にしているところを写真に収められたが、包丁をシトレさんに振り下ろすのを勇敢な通行人が押し止めたのだ。シビヤはその直後、シトレさんに蹴りを入れたため暴行罪、それに窃盗罪で有罪となった。

罪の重さは12月初旬に決定される。

逮捕された4人(Eyewitness News

裁判を通じて明らかになったのは、シトレさん殺害がゼノフォビアと何の関係もなかったらしいこと。4人はぐでんぐでんに酔っ払っており、事件の日、すぐ近くでゼノフォビア襲撃が起こっていることすら気がついていなかったという。シトレさんはキャンディー2個とタバコ1本のために殺されてしまったのだ。

一方の犯人たちは17歳から22歳の若さ。コネも学歴もない貧しい家庭の若者が、失業率25%を超える国で、一旦刑務所に入った後、社会復帰してちゃんとした仕事につける確率は限りなく低い。

シビレの母親は語る。「シトレさんの家族に謝れるものなら、息子に代わって謝りたい。」「(シトレさんは)私の友だちと言ってもいいくらい。毎朝シトレさんからお菓子を買っていた。快活な人だった。私の息子のせいで、ひとりの人間の命が奪われることになったのは本当に辛い」。

この事件で唯一の明るい話題は、『サンデー・タイムズ』紙の読者から遺族のために、今日現在で総額11万1000ランド(約110万円)もの寄付が寄せられたこと。一人当たり300円から5万円まで、それぞれの財布に合わせた善意の志が集まった。

とはいっても、一介の新聞社に寄付金の管理や他国に住む遺族への援助までできない。そこで『サンデー・タイムズ』紙は、モザンビークの「コミュニティー開発財団」(Foundation for Community Development)と手を組み、財団から遺族に、食料、衣料、生活物資、自転車、水タンクなどの必要品を支給した。

寄付金全部を一括支給しなかったこと、また現金ではなくモノを与えたことは、現地の事情を知った人の賢い判断。貧しい人に大金を渡した場合、賢く少しずつ使わず、あっという間に全額なくなってしまうパターンが多いからだ。大金が入ったことを知った親類縁者、知人、友人、果ては赤の他人までたかりにやってくる場合もあれば、金を受け取った当人があとのことを考えずパーッと使ってしまう場合もある。私の知っている例では、せっかく大きな援助を受けることができたのに、「金が入った!」と大喜びで牛を2頭購入し、殺し、料理し、やってきた人たちに振る舞い、数日後にはまた以前と同じ極貧生活に戻ってしまった人がいた。

『サンデー・タイムズ』紙に寄せられた寄付のうち、まだ90万円ほどが残っている。この先、シトレ家が困った時の援助に使う予定とのことだ。

(参考資料:11月8日付「Sunday Times」など)

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