2012/02/05

英語の婉曲表現

英語学習本のようなタイトルで恐縮だが、これには深い訳が・・・

・・・あるわけではない。『エコノミスト』の記事が面白かったので、その一部をご紹介しようと思ったまで。

記事の冒頭を飾るのは、1945年8月15日の「玉音放送」。「世界史上最高の婉曲表現のひとつ」だという。「原爆を2つ落とされ、300万もの国民が命を失い、本土決戦を目の前にして、無条件降伏を国民に伝える」のに使った表現が「戦局必ずしも好転せず」。・・・なるほど。

『エコノミスト』が「婉曲表現の世界チャンピオン」と呼ぶのはイギリス人。

その良い例が死亡記事。死んだ人を悪く言うのは礼儀に反するので、どうしても婉曲表現を使うことになる。「死ぬ」こと自体、「die」ではなく「pass away」(過ぎ去る)という。

「宴会好きの」(convivial)、「愉快な」(cheery)と形容してあれば、故人は「大酒飲みの酔っ払い」。「耐えられないほど、つまないことをくどくど言う人」は「社交的な」(sociable)、「熱意にあふれた」(ebullient)。「他人に対して辛辣な話や全然おかしくない話をする人」は「機知に富んだ」(lively wit)。「惨めで落ち込みがちの人」は「厳粛な」(austere)とか「控え目な」(reserved)。「女好き」は「女性と一緒にいるのを楽しんだ」(enjoyed female company)。「男狂い」は「とても活発」(notable vivacity)。「欲望を抑制できない人」は「充実した人生を送った」(He lived life to the full)と描写される。

生きている人だと、訴訟される可能性があるから、記者は更に慎重になる。

イギリスの公人が「喉が渇いた」(thirsty)と表現されれば、「大酒飲み」のこと。「疲れて感情的」(tired and emotional)は「酔っ払っていることが一目瞭然」。部下に「実施指導」(hands-on mentoring)するのは「不倫」。「変動の激しい」(volatile)性格とは、「恐ろしいほどの癇癪持ち」。「手に負えない」(rumbustious)経営や「議論を呼ぶ」(controversial)、「曖昧な」(murky)または「疑わしい」(questionable)行為と書かれている場合、違法行為を働いているとジャーナリストは思っているが、はっきりそう記事に書いてしまって訴訟されたら、法廷で証明できないことを意味する。

政府高官と交流を持つには、独特の婉曲表現をマスターしなければならない。

「川向うの友人」(our friends over the river)は「諜報機関」。部下に「勇気がある」(courageous)と言われたら、褒められたわけではない。あなたが下した決定が「出世に影響するほど不評」であることを暗に示唆している。「冒険的」(adventurous)となると、考え直した方が良いかも。「絶対うまくいかない、気が狂ったとしか思えない決定」だからだ。

「率直な議論」(frank discussion)は「口論」、「活発な意見交換」(robust echange of views)となると「怒鳴り合い」。

イギリスの婉曲表現は、英語が流暢な外国人でも難しいという。例えば、「incidentally」。「ところで」「ついでながら」という意味だが、「ついで」なんてとんでもない。「この話し合いの本当の目的は」というのが本音なのだ。「with greatest respect」(最大限の敬意を払って申し上げますが)と言われて喜んではいけない。「君の言うことは間違っていて、馬鹿げている」という意味だという。

こうなると、もう判じ物である。こういうもったいぶった言い方をするのは、中の上以上の階級に属する人が殆どだから、良家の子女と会話する際は気をつけないと、「田舎者」「成金」扱いになる。

不動産業者も負けてはいない。

住居が「チャーミング」(charming)、「居心地良い」(cozy)、「コンパクト」(compact)なのは「狭い」こと。「活気に満ちた」(vibrant)というのは「耳をつんざくようにうるさい」。「有望な」(up and coming)は「犯罪が蔓延している」。「便利」(convenient)は「不愉快なほど近い」。「個性的」(characterful)と言われたら、前に住んでいた人は変人だったか、全然手入れをしなかったと思っていい。

新聞の「personal ads」も婉曲表現に溢れている。

異性(場合によっては同性)に巡り合うことを目的とする個人広告だ。これを読んだ人が「連絡してみよう」と思うほどの魅力がなければならないが、実際に会うわけだから嘘は書けない。応募する側は行間を読む達人である必要がある。

「抱き締めたくなるような」(cuddly)とあれば、「太っている」こと間違いなし。「ロマンチック」(romantic)は愛情に飢えていたり、やたらベタベタする習性がある可能性大。自称「社交的で、楽しいことが好き」(outgoing and fun-loving)な人は、過剰なお喋りか、平気で二股をかけるヤツか。。。

善意から出た婉曲表現もある。知恵遅れの子供を「特別なケアが必要」(special needs)、ヨボヨボしたり、ボケたりする老人を「か弱い」(frail)と表現するのがその良い例。

「婉曲表現のない文化は、より正直だがより粗野でもある」、と『エコノミスト』は締めくくる。そして、婉曲表現を全く使わず、一日過ごすことを提案している。驚くべき結果をもたらすだろう、という。

はっきり「ノー」を言わない日本人には、結構難しいかもしれない。「前向きに検討させていただきます」なんてダメですよ。

(参考資料:2011年12月17日「The Economist」)

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