2012/02/22

アフリカーナのバンド「ディー・アントヴアルト」 欧米で大人気

アフリカーナ(Afrikaner)は比較的新しい民族だ。17世紀半ばから南アフリカに入植したヨーロッパ人の子孫が混合して形成する。割合が一番多いのはオランダ人。それに、フリーシア人、ドイツ人、フランス人が混ざって中核をなす。イギリス、北欧、ポルトガル、ギリシャ、イタリア、スペイン、スコットランド、アイルランド、ポーランドなどからの移民の血も入っている。

初期の入植者たちが異人種とも交わったことから、DNA鑑定によると、アフリカーナには白人以外(コイサン、マレー、インドなど)の遺伝子が5-7%も入っているという。

じゃあ、なんでもあり? みたいだが、アパルトヘイト時代は、ゲルマン系の言語「アフリカーンス」(Afrikaans)語を第一言語とする(一見)白人が「アフリカーナ」とされ、南アフリカ政治社会の頂点に立った。

アフリカーンス語は17世紀のオランダ語から派生した言語で、長いこと、オランダ語の方言と見做されていた。独立した言語として南アフリカの公用語となったのは、1925年のことだ。

つまり、アフリカーナもアフリカーンス語も、南アフリカ生まれ。マイノリティー民族、マイノリティー言語である。

アパルトヘイトが終わり、アフリカーナは政治力を失った。アフリカーンス語は11ある公用言語の単なるひとつに成り下がった。アフリカ黒人やイギリス人と戦って勝ち取った地位が「過去の栄光」になった。アフリカーナのために設立された大学は、次々と英語で授業をするようになった。

人口僅か360万人。歴史的役割は終了し、これからは細々と生き続ける・・・との予想もあったが・・・。

保守的で土臭いイメージの強いアフリカーナから、ビッグなラップ&ヒップポップバンドが生まれた! そして、全世界、特にアメリカ合衆国で大人気というのである。

デビューアルバム「$O$」
その名も「ディー・アントヴアルト」(Die Antwoord)。アフリカーンス語で「the answer」を意味する。

メンバーは異様な風体の3人。ニンジャ(Ninja)、ヨランディ・フィッサー(Yo-Landi Vi$$er)、DJハイテク(DJ Hi-Tek)。

最初のミュージックビデオをバンドのウェブサイトで発表したのが2010年2月。「エンター・ザ・ニンジャ」(Enter the Ninja)と「ゼフサイド」(Zefside)の2曲だ。

それが受けに受けた。2月末までに4100万回以上のヒットがあったという。

2枚目のアルバム「Ten$ion」
ビジネスに長けた音楽業界が見逃すわけがない。直ちに、米レコード会社「インタースコープレコーズ」(Interscope Records)から声がかかり契約。エミネム、50セント、スヌープ・ドッグ、マリリン・マンソンなどを抱える大手である。

デビューアルバル「$O$」を引っさげて、全米ツアー。ニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シカゴ、デトロイト、ボストン、フィラデルフィア、ナッシュビル、ワシントンDC、ボルティモア、シアトル、アトランタ。。。。

大成功に勢いを得て、アメリカを飛び出す。行き先はカナダ、イギリス、オーストリア、スイス、ノルウェー、フィンランド、フランス、スペイン、ベルギー、オランダ、ハンガリー、スウェーデン、デンマーク、チェコ、セルビア、ポーランド、ニュージーランド、オーストラリア、そして日本。

2010年末、デビュービデオ「エンター・ザ・ニンジャ」がマイスペースの「ベスト・ミュージックビデオ賞」受賞。2011年10月には、2枚目のアルバム「Ten$ion」を発表した。

これがモロ受けした「エンター・ザ・ニンジャ」のビデオ。



題名は、英語圏で育った人にはお馴染み「エンター・ザ・ドラゴン」(Enter the Dragon)のパロディー。そう、ブルース・リー(Bruce Lee)の「燃えよドラゴン」だ。

「エンター・ザ・ニンジャ」の成功に触発されて、「エンター・ザ・ニンジャ」のパロディー「エンター・ザ・ジンジャー」(Enter the Ginger)まで出て来た。パロディーのパロディーですね。



世界に飛び出したディー・アントヴアルトの快進撃はどこまで続くだろう。「一発屋」として消え去ってしまうか。それとも、アフリカーナ生き残りの「回答」を提供することができるだろうか。

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