Jonny Steinberg
Little Liberia: An African Odyssey in New York City
Vintage Books 2011
ISBN 9780099524229
ノンフィクション
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ニューヨークのスタテン島(Staten Island)に、リベリア人のコミュニティがある。通称「リトル・リベリア」(Little Liberia)。
「パークヒル」(Park Hill)という「ハウジングプロジェクト」(housing project:低所得者用公営住宅団地)は、リベリア人で溢れている。そこに、同胞の生活向上に情熱を注ぐふたりの男がいた。
ひとりはジェイコブ・マサコイ(Jacob Massaquoi)。1971年生まれ。ギオ(Gio)族だったジェイコブの父親ドゥアズアは、支配階級「アメリコ・ライベリアン(Americo-Liberian)」(アメリカ系リベリア人)との間にコネを築き、10人を超える子供たちに出来る限りの教育を与えた。
しかし、1980年にクラン族(Krahn)のサミュエル・ドウ(Samuel Doe)曹長がクーデターを起こし、アメリコ・ライベリアンの支配が終わる。旧政権に近かった人々の多くが処刑・追放された。その後、内戦中に何度も命を落としそうになりながら、ジェイコブは運と機転に助けられ、遂にはアメリカまで逃げ延びる。
リベリアでは物理学者になりたかったというジェイコブだが、アメリカでは持ち前の行動力と組織力を生かして、リベリア人の老人、女性、子供たちの生活改善のために、身を粉にして働いている。
もうひとりの主人公は、ルーファス・アルコイ(Rufus Arkoi)。サッカーを通じての人材養成をライフワークとする。
リベリアではサッカーチームのオーナーだった。1986年に渡米。稼いだ賃金の殆どを故国の家族とサッカーチームに仕送りする一方で、エンジニアリングの学位取得を目指し、いつかは故郷に錦を飾ることを夢見た。
ところが、1989年に内戦が勃発。サッカーを大々的に推進したサミュエル・ドウ政権が倒れ、ルーファスの夢は打ち砕かれた。しかし、内戦を逃れアメリカにやって来た難民とその子供たちが付近に急増するのを目の当たりにして、一念発起。子供たちのサッカーチームを年齢別、性別に次々と設立。子供たちに教育の大切さを説き、勉強を教え、優秀な子供たちにはサッカー奨学金を確保し大学に送った。
やがて、それぞれの信念に従い、リベリア移民・難民のために真摯に努力する精力的なふたりが、小さなコミュニティを舞台に衝突することになる。。。
リベリアという国名は、英語の「リバティ」(liberty:自由)に由来する。北にギニア、西にシエラレオネ、東にコートジボワールと国境を接し、南は大西洋に面する。首都はモンロビア。人口約400万人。
1816年、アメリカ植民協会(American Colonization Society)が「黒人解放奴隷をアフリカに帰そう!」という主旨の運動を計画。1822年、最初の解放奴隷が現在のリベリアに到着した。その後、アメリカ各地で似たような団体が設立され、リベラルな白人たちが解放奴隷のために「祖国再建運動」を展開する。
善意で始まった運動かもしれないが、迷惑したのは、現地で暮らしていたアフリカの人々である。元々のルーツはアフリカとはいえ、奴隷としてアメリカに連れて来られた時には、家族はバラバラ。新世界で新しいアイデンティディを築いたアフリカ系アメリカ人が偉そうにやって来て、地元の風習や文化やシキタリなどを無視して、支配を始めたのだ。
主人の命令に従って代々生きてきた元奴隷なのだから、高い教育を受けているわけでも、行政能力があるわけでもない。産業を興すどころか、農作物だって栽培できないし、する気もない。しかし、「文明国」からやって来た自称「アメリコ・ライベリアン」たちは、肌の色は同じでも、自分たちが「原住民」より優れていることをなんとか誇示したかった。
そして、誇示するために、元主人、つまりアメリカ白人の真似をしたのだ。
赤道に近く、熱帯雨林が生い茂る蒸し暑いリベリアで、男たちはモーニングを着て、山高帽をかぶり、白い手袋をはめた。女たちはペチコートと、重いカツラと、人造花で飾った帽子を身にまとった。地元民には無縁の、キリスト教の教会を建て、『風と共に去りぬ』風の豪邸に住んだ。原住民を「奴隷」扱いして畑を耕させ、家では召使いとして使った。洋服はニューヨークから取り寄せた。
だが、1847年の独立以来続いたアメリコ・ライベリアン支配を打ち倒したサミュエル・ドウの政権は、残念ながら腐敗した抑圧的なものだった。ドウは拷問の挙句、惨殺される。1989年から1996年まで続いた第一次内戦では、約20万人が死亡、100万人が難民として近隣諸国に逃れた。1997年、チャールズ・テイラー(Charles Taylor)が大統領に就任するものの、1999年には第二次内戦が勃発。2003年まで続いた。
内戦の混乱で大量の難民が発生したが、アメリカ、それもニューヨークに「リトル・リベリア」があるとは知らなかった。
ジェイコブとルーファスという魅力ある主人公の物語を、優れた筆力でグイグイ読ませるだけでなく、リベリアとリベリア難民について大いに勉強になった。
著者のジョニー・スタインバーグ(Jonny Steinberg)は1970年3月22日、ジョハネスバーグ生まれ。ヴィットヴァータースラント大学(University of the Witwatersrand)で修士号、オックスフォード大学で博士号(政治理論)取得。
処女作の『Midlands』(2002)と第2作の『The Number』(2004)が、ノンフィクションに与えられる賞としては南ア最高峰とされる「アラン・ペイトン賞」(Sunday Times Alan Paton Prize)を受賞している。
【関連HP】
Jonny Steinberg
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