2018/05/30

限りなく完璧に近い人々(3)根っからのアリさん型国民、ノルウェー人

2003年、皆既日食を生中継するというプロジェクトで南極に行った。「南極では南極に関する本を読みたい!」とスーツケースに入れたのが、ローランド・ハントフォード(Roland Huntford)著『The Last Place on Earth: Scott and Amundsen's Race to the South Pole』(地上最後の土地 スコットとアムンゼンの南極点到達レース)。


 イギリスのスコット隊とノルウェーのアムンゼン隊の競争を同時進行形で比較分析する、600ページ近い大著である。著者のハントフォードはシャクルトンやナンセンの伝記も書いている南極通。しっかりしたリサーチもさることながら、文章がめちゃうまいため、優れたサスペンス小説のように読ませる。なにしろ南極にはこの本一冊しか持っていかなかったので、ブリザードでテントに閉じ込められ他にすることがなくても、「早く先に進みたい!」とハヤル心を抑えながら、毎日少しずつ読んだ。

大変な思いをして南極点に到着したスコット隊5人の目に映ったのはノルウェーの国旗。アムンゼン隊は5週間も前に、南極点に到達していたのだ。飢えと疲労と寒さから、南極で壮絶な死を遂げたスコットは、即座に国民的英雄となる。

しかし、ハントフォードによると、計画段階で勝負は既についていたという。現地の事情をあまり考慮にいれず、騎士道的な精神論で熱く突っ走ったスコットと違い、アムンゼンは事前の準備を怠らず、緻密な計画を立て、適切な装備と服装を整え、犬の扱い方を理解し、スキーを効果的に使った。そのお蔭で、スコット隊の苦労とは対照的に、アムンゼン隊の旅はスムーズに進んだ。アムンゼンは南極点到達物語を本に書いているが、あまりに淡々として、読み物としては全然面白くないらしい。(自身も冒険家で南極体験があるラナルフ・ファインズなどはハントフォードのスコット分析を批判し、スコットを擁護している。)

2018/05/28

サム・ンジマ、亡くなる ソウェト蜂起の歴史的瞬間を捉えた写真家

報道写真家にとって、運や偶然が果たす役割は大きい。たまたま事件の現場にいたとか、たまたま立ち位置がよかったとかのおかげで、歴史的瞬間をものにし、一躍有名になる例も多い。もちろん、写真家としての腕や、どこでなにが起こっているか嗅ぎつける情報収集能力や、遭遇した瞬間を逃さない判断力も必要だが、その瞬間に数秒遅れたり、隣の道にいたりしたのでは、せっかくの腕が生かせない。

知り合いの写真家は20年以上前、世界的な報道写真賞を受賞した。1994年、南アフリカの白人右翼3人が殺されたときの写真だ。命乞いをする姿がテレビカメラにも収められているし、スチールの写真家も複数現場にいてシャッターを切っていた。「でも、あいつの立ち位置がたまたま一番よかったんだ」とその場にいた別の写真家。

この写真がWorld Press Photo Spot News部門3位(1995年)になった


同じく南アの写真家ジョディ・ビーバー(Jodi Bieber )は『タイム』の表紙になったアフガニスタン人少女の写真で世界的に有名になった。その後も主に自分のプロジェクトに専念し、精力的に活動している。


撮った写真が世界的に有名になったり、大きな賞を受賞することがその後の成功に即つながるわけではないけれど、少なくともこれまで閉ざされていた色々なドアを開けてくれることは確かだろう。

ところが、撮った写真が世界的に有名になったばかりに、写真家としての活動をやめざるを得なかった不運な人もいる。

サム・ンジマ(Sam Nzima)がそのよい例。1976年6月16日、警察に撃たれたヘクター・ピーターソン(Hector Pieterson)を腕に抱えて走るムブイサ・マクブ(Mbuyisa Makhubu)と、並走するヘクターのお姉さんアントワネットを撮った写真が代表作。

South African History Archive

サム・ンジマは1934年8月8日、現ムプマランガ州で生まれる。父親は農場労働者。10代で写真に目覚め、コダックカメラを購入して、夏休みにクルーガー国立公園を訪れる観光客の写真を撮って小銭を稼ぎ始めた。