5月15日土曜日、赤いTシャツを着た集団約400人が、ロンドンの街を練り歩いた。南アの国旗を掲げ、白い十字架を持ち、ブブゼラを吹き鳴らし、「Stop crime!」とスローガンを繰り返す、この不思議な団体は、全員が南ア白人。「南アの現状、犯罪、白人のジェノサイド、殺人全般、農場主の殺害についての意識向上キャンペーン」だという。えっ、白人のジェノサイド? 一瞬耳を疑った。
「ジェノサイド」(genocide)といえば、「gen(人種・種類)+cide(殺し)」=「特定の人種・民族・集団の計画的な大虐殺」である。ナチスによる組織的殺人を表現するために、1944年にユダヤ系ポーランド人の弁護士、ラファエル・レムキンが作った言葉だ。ニューレンベルグ裁判では、ナチスによる「人類に対する犯罪」を描写するのに使われた。1948年、国連が「集団殺害罪の防止および処罰に関する条約」(the Convention on the Prevention and Punishment of the Crime of Genocide)を承認。ジェノサイドの対象が、特定の国民、民族、人種、宗教的グループへと拡大定義された。1994年に人口の20%にあたる80万人が殺されたルワンダを始め、ボズニアやダルフールなどが頭に浮かぶ。
まわりを見渡してみると、ラグビーの試合結果に一喜一憂したり、親バカぶりを発揮したり、職場の人間関係に悩んだり、恋に落ちたり失恋したり。普段と変わりない白人たち。とても虐殺に脅え慄いているようには見えない。
大体、南アの犯罪は、白人が狙い撃ちされているわけではない。貧富の差も人種の違いも差別なく、被害に遭っている。白人たちはアパルトヘイト後の犯罪の増加を嘆くが、強盗や殺人はそれ以前にも数多くあった。ただ、黒人たちはアパルトヘイト時代、田舎のホームランドや都市周辺のタウンシップに押し込められ、白人居住区は通行証がないと歩くことも許されなかった。社会的経済的政治的歴史的理由で、犯罪者になるのは黒人が多かったから、白人居住区では、警察国家ならではの「安全」と「平和」が保たれていたわけだ。
その後、南アが民主国家になって、国民は通行証なしでどこでも行けるようになった。南部アフリカが平和になり、国境の往来が楽になった。各地で内戦が終わり、余った武器が簡単に手に入るようになった。それに従って、犯罪が白人居住区にも広がり、凶悪化するようになった。平和と民主主義が犯罪を助長するという、皮肉なことになったわけだ。黒人が組織的に460万人以上の白人を、肌の色を理由に集団殺害しようとしているなんて話は勿論ありえない。
「白人のジェノサイド」を訴えるロンドンの集団は、誇張された噂を信じているだけだろうか。本人や家族が犯罪の被害に遭ったため、危機意識が過剰になったのだろうか。元々被害者意識が強いパラノイアだから、イギリスに移住したのだろうか。
それとも、祖国の現状を憂い、未来を心配する善良な国民が、人目を引くために意識的に扇動的な言葉を使っただけかもしれない。もしそうなら、残念ながら、彼らの思惑は裏目に出たとしか言いようがない。人々の心に残ったのは、南アの苦境ではなく、彼らの人種差別者的態度だから。
(参考資料:2010年5月17日付「The Times」など)
(参考資料:2010年5月17日付「The Times」など)
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