2010/05/13

ジョハネスバーグ交響楽団 ポストアパルトヘイトの西洋文化受難時代を生き抜く

ジョハネスバーグ交響楽団(JPO:Johannesburg Philharmonic Orchestra)、2010年第2シーズン第2週の演目は、ブラームスのバイオリン協奏曲と交響曲第4番。指揮者はイラン出身で世界的に著名なアレクサンダー・ラハバリ(Alexander Rahbari)、ソリストはフランス人のフィリップ・グラファン(Philippe Graffin)。

フィリップ・グラファン

熱演後、ラハバリ(1948年生)は白髪頭が並ぶ観客席に向き直り、「あなた方はまだ幼かったから覚えてないかもしれないけど、私が南アへ初めて来たのは、もう何年も前、私がまだ若かった時のこと・・・」と片言の英語ながら茶目っ気たっぷりに、南アへの思い入れを熱く語り始めた。現在、南アの音楽家が2人、彼に師事しているという。心温まるエピソードを披露してから、アンコール2曲という大サービスに観客は大喜び。「ブラボー!」が連発された。

アレクサンザー・ラハバリ

マンデラ政権誕生当初は「虹の国」気分に国民全体が高揚し、至福感がみなぎったものの、暫くすると、アパルトヘイト時代の反動か、「黒人でなければ人にあらず」風潮が強まった。白人男子大学生は就職に苦しみ、「黒人でなければ、もう絶対ミス南アになれないだろう」と言われ、公務員の新規採用は白人にとって殆ど開かずの門となり、「白人リベラル」イコール「利権にしがみつく人種差別者」とみなされ、コネのない白人中小企業の将来は絶望的のように見えた。

「アフリカ化」がマントラとなり、西洋文化の受難時代となった。バレーやクラシック音楽などを植民地時代の悪遺産のように弾劾する一方で、懐が暖かくなるやいなや、先を争ってローレックスやベンツを購入する新興エリートたちの姿が、滑稽で物悲しかった。「アフリカ対西洋」という二律背反の原理に従えば、コンピューターやジーンズやヒップポップも排除するべきではないか、と「ダブルスタンダード」に憤りを感じた。どの文化からも「いいとこ取り」する寛容さの欠如が悔やまれた。

白人至上主義から黒人至上主義へという振り子の大きな動きは、時代が要求するものだったのだろう。その後、真中付近で落ち着いた感がある。白人がミス南アになっても誰もおかしいと思わないし、電力会社エスコムは解雇した白人技術者を再雇用し、バレーやクラシック音楽が悪魔視されることはなくなった。

資金難のため解散に追い込まれたナショナル・シンフォニー・オーケストラも、2000年、JPOとして甦る。企業や個人の寄付により、財政的にも安定。パトロンは大富豪のシリル・ラマポザ、チェアマンやマネージングディレクターも黒人。ミュージシャンも、白人以外がジワジワ増え、現在1割強を占める。起業家やホワイトカラー労働者として、財政的成功を目指す若者が大多数の中、なかなかの健闘ではないかと思う。

ただひとつ残念なのは、会場に色と活気が乏しいこと。白人老人が観客の殆どを占めるため、白い肌に白い頭が観客席を埋める。この状態が続けば、観客数や寄付金の減少、ひいてはオーケストラの存続問題につながるのでは、と心配だ。国民の大多数が中流階層になって、物質的要求一辺倒から心の豊かさに関心が向かうようになり、いつの日か、様々な肌の色、様々な年齢の人々のエネルギーが会場を満たすことを心待ちにしている。

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