南アフリカの元警察長官ジャッキー・セレビ(Jackie Selebi)に、15年の実刑判決が下った。容疑は汚職。
1950年ジョハネスバーグ生まれ。ハンガリーやザンビアで亡命生活を送り、1980年代後半に解放運動組織「アフリカ民族会議」(ANC)の幹部になる。ANCが大勝した94年の第1回民主総選挙で国会議員に。その後、国連大使、外務省事務次官の要職を経て、2000年に警察長官就任。たたき上げでない初めての警察長官、それも一党独裁の与党から送られた政治的任命である。2002年からインターポール(国際刑事警察機構)の副長官、04年には長官に就任し、世界の警察組織のトップに立った。セレビを汚職容疑で逮捕・起訴しようとした検察長官は、ムベキ大統領に停職処分を受け、後任のモトランテ大統領に解雇された。
これほどの権力者、それも警察長官の逮捕・起訴が実現したのは、ひとりの男の執念による。
ポール・オサリバン(Paul O'Sullivan)が南アの空港を管理するACSA(Airports Company South Africa)の警備担当になったのは2001年。密輸や盗難など犯罪の多いジョハネスバーグの空港の警備刷新に力を入れた。全く無能な警備会社が不正な方法で契約を得たことを発見し、契約を破棄。ところが、警備会社の社長が友人のセレビに泣きついたのである。セレビが「なんとかする」と約束した直後、オサリバンの命が狙わ始める。圧力に屈しなかったら、ACSAから解雇されてしまった。
オサリバンはあきらめなかった。命の危険に晒され、結婚生活が破たんしても、家族の身を守るため海外に移住させ、私財を投じて調査を継続。セレビが国際犯罪組織のボスで麻薬王、グレン・アグリオッティ(Glen Agliotti)と近い関係にあり、1990年から賄賂を受け取っていたことをつきとめた。家族の医療費から、奥さんのルイヴィトンのハンドバッグ、多額の現金まで。2000年以降だけで、120万ランド(1560万円)の現金を渡したと、アグリオッティが証言している。麻薬といえば密輸がつきものだから、空港の警備はアグリオッティにとって死活問題だった。ムベキ大統領は、大物犯罪者の庇護にある者を警察長官に任命していたわけだ。
アグリオッティとの関係がマスコミで大きく取り上げられても、セレビは「彼は友人。私の目の前で犯罪を働いたわけではない」などとうそぶくばかり。与党ANCと大統領を後ろ盾にしての強気の態度。
だが、動かぬ証拠を元に、検察は2007年9月、現職の警察長官を起訴。大統領はしぶしぶ、2008年1月、セレビを休職処分に。しかし解雇はせず、任期終了まで給料を支払うという甘い処分だった。2008年9月のムベキ失脚は、セレビにとって大きな痛手だっただろう。
現職警察長官の逮捕、起訴、有罪判決は、民主主義の勝利と見るべきか、それとも、大統領の後ろ盾を失った権力者の失墜と見るべきか。
また、警察長官の逮捕・起訴が可能になったのは、検察のエリート捜査機関「スコーピオンズ」の健闘のおかげだが、次から次へと政治家や権力者の汚職・犯罪を暴いたスコーピオンは、優秀すぎて恨みを買ったせいか廃止され、その捜査機能は「ホークス」として警察に移されてしまった。
更に、執拗に報道を続けたメディアの役割も見逃せない。だが、政府を批判し、汚職を追及するメディアに、与党は不快を隠さない。つい最近も、南ア共産党書記長でANC幹部でもあるブレード・ンジマンデ高等教育相が、南アのメディアを「ブルジョアメディア」「野党の延長」「民主主義への脅威」と呼び、メディア規制機関の設立を求めている。
どこへ行くのか、南アの民主主義。
一方、ハリウッド映画の主人公並の活躍をしたポール・オサリバン。次の標的は、ターボ・ムベキ元大統領、と鼻息が荒い。悪名高い南アの犯罪を取り締まるトップが汚職にまみれていたにも拘わらず、大統領が庇い続けたためにセレビの逮捕・起訴が遅れ、その間の犯罪防止・捜査が滞った罪を問うという。セレビは控訴する予定だ。
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