2012/03/04

マンデラ カナダでは未だ「テロリスト」扱い

「私はこういう人間だ」という「自分像」と、他人から見た「私」が違うのはよくあること。一般に「義賊」と形容されるロビン・フッドでも、金品を奪われた被害者にしてみれば、とんでもない「悪党」に違いない。

南アフリカの現与党「アフリカ民族会議」(ANC)は、人種差別撤廃を求める「解放運動」(liberation movement)だった。運動に身を投じた人々は「解放運動家」であり、「自由の闘士」(freedom fighter)を自認した。

国民が自国政府に対し、基本的人権を求めるのは当然、と私たちは思う。破壊工作を行ったこともあったが、それもアパルトヘイト政権の厳しい弾圧に遭ってのこと。

右の頬をぶたれて、左の頬を差し出すのは美しい行為かもしれないが、相手が同じ土俵に立っているのでない限り通用しない手だ。ずっと強大で、妥協の余地のない相手だと、頬が赤く腫れるどころでは済まない。半殺し、いや、下手をすると殺されてしまう。

世界中から非難されたアパルトヘイト。国際連合は「人類に対する犯罪」(crime against humanity)と呼んだ。「アパルトヘイト政権」=「悪」、「解放運動」=「善」という、単純な色分けが「常識」となっているように当時は思えた。

ところが、「アパルトヘイト」を非難する多くの先進国政府にとって、それは「常識」でも何でもなかったのである。

肌の色や性別に基づく差別が良くないものとされたのは、人類史上ごく最近のことだ。また、「西側」の欧米諸国は南アフリカを、冷戦下のアフリカで着々と影響範囲を広める「東側」に対する「防波堤」として評価していた。南アフリカの豊富な資源も大きな魅力だった。

それを受けて、ANCは「テロ組織」、ANC党員は「テロリスト」とされ、危険組織・人物のリストに載った。

アパルトヘイト政権は1990年、ANCに対する「非合法組織」扱いを撤廃。ANCは合法的な「政党」となった。政治犯として服役中だったネルソン・マンデラをはじめとするANCの指導者たちも釈放された。マンデラは世界中で歓迎され、クリントン米大統領にも、サッチャー英首相にも会っている。

1994年の第1回民主総選挙でANCが圧勝し、政権を獲得。マンデラが南ア史上初の黒人大統領となる。

ところが、アメリカ合衆国がANCを「テロリスト」リストから除外したのは、なんと2008年だった。コンドリーザ・ライス(Condoleeza Rice)国務長官(当時)が、国際的に「恥ずかしい」(embarrassing)事態を改善するよう議会に求めたのだ。

つまり、ビル・クリントンは、本来なら入国を許可されるべきではない「危険人物」マンデラを、大統領就任式に招待していたわけである。それどころか、マンデラは大統領だった5年間も、更に引退して10年近くも、米国政府の定めた公式「テロリスト」だったのだ。

あきれていたら、更に意外な事実が・・・。

アパルトヘイト撤廃の立役者である「自由の闘士」たちは、カナダでは未だに「テロリスト」扱いというのだ。

今年7月で94歳になるマンデラ。すっかり衰弱し、認知症だと囁かれている。あまり先は長くなさそうだ。カナダでは「テロリスト」扱いのまま亡くなった同僚も多い。

「テロリスト」リストからマンデラの名前を外すことが、それほど難しいこととは思えないけれど。。。マンデラを「テロリスト」として死なせてしまったら、カナダ政府にとって、それこそ「恥ずかしい」事態だろう。

(参考資料:2012年2月29日付「Business Day」など)

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