2011/07/08

マンデラをカモにした男 ジェイムズ・グレゴリー

ネルソン・マンデラ著『私自身との対話』(Conversations with Myself)を訳していたら、ジェイムズ・グレゴリー(James Gregory)という懐かしい名前が出てきた。

マンデラの看守としての思い出を『さよなら、バファナ』(Goodbye Bafana:Nelson Mandela, My Prisoner, My Friend)(邦訳、出てないみたいですね)という本にまとめ、同名で映画化もされた。邦題は『マンデラの名もなき看守』。グレゴリー役は、『恋に落ちたシェイクスピア』(Shakespeare in Love)で若き日のシェイクスピアを演じた、ジョセフ・ファインズ(Joseph Fiennes)。

グレゴリーには、NHK BSの『世界わが心の旅』という番組に出演してもらったことがある。『南アフリカ・ひとみ輝く子供たち』(1994年11月放送)。「旅人」は写真家、吉田ルイ子。

吉田さんが「マンデラの大統領就任式に呼ばれた看守に会いたい」というので連絡を取ったところ、ちょうど『さよなら、バファナ』の執筆中。「出演交渉はゴーストライターとしてくれ。」 えっ?

ゴーストライター氏曰く、「出演料1万5千ランド」。現在の為替レートで、約18万円。当時は物価がずっと安かったので、その倍以上の感覚。

「じゃあ、結構です」とあっさり電話を切る。数分後、ゴーストライター氏がかけ直してきて、「1500ランドでいい」。・・・なんか、せこくない?

ともあれ、矯正省から撮影許可を取り、当時まだ刑務所だったロベン島に一緒に行ってもらった。ゴーストライター氏もついてきた。

ロベン島へ向かう船上のグレゴリー氏
グレゴリーのその時の印象は、影の薄い人。これほどテレビ映りの悪い人も珍しい、と思った。とにかく存在感がない。

グレゴリー曰く、ロベン島に来た当時のマンデラは、白人を憎むテロリストだった、自分は人種差別者ではないが、マンデラは死刑になって当然と思っていた、それが長年の交流により、親友になった。。。その主張を要約すると、「マンデラを現在のような、人種差別観のない素晴らしい人間にしたのは私だ!」

そんなすごい人間にしては、影が薄すぎるな~。大体、そんな大親友を、マンデラは何故自伝で大きく取り上げなかったのだろう。。。

数年後、朝日新聞の仕事で、ノーベル文学賞作家ナディン・ゴーディマー(Nadine Gordimer)宅を訪れた。「今、アンソニー・サンプソンがうちに泊まって、本を書いてるのよ。」

アンソニー・サンプソン(Anthony Sampson)はイギリス人の作家、ジャーナリスト。1950年代ジョハネスバーグに住み、『ドラム』(Drum)誌の編集にたずさわる。著書に、アパルトヘイト下の南ア経済を鋭く分析した『ブラック・アンド・ゴールド』(Black and Gold)などがある。

サンプソンがゴーディマー宅で執筆していたのは、『マンデラ―闘い・愛・人生』(Mandela:Authorised Biography)。

英語の副題にある「authorised」というのがミソである。つまり、マンデラ本人の「お墨付き」。

マンデラの自伝『自由への長い道』(Long Walk to Freedom)が出版されたのは、ANC新政権が誕生した1994年。黒人政権に対する不安や懸念や不信が、経済力を握っている白人の間にまだ根強い頃だ。マンデラにとって、人種間の「和解」が最優先事項。その微妙な状況を反映した「自伝」は、政治的配慮をちりばめた、ANC幹部による共同編集作業だった。つまり、マンデラの「本心」より「きれいごと」が優先されたわけである。

その意味で、マンデラの「お墨付き」を得たサンプソンの伝記は、マンデラが「自伝」に書けなかった「本心」が吐露されているといえる。

サンプソンによると、マンデラはグレゴリーと殆どつきあいがなかったという。政治囚と本当の友だちになった看守たちは、グレゴリーのことを疑いの目で見ていた。また、囚人たちも、会話にこっそり聞き耳をたてたり、手紙の検閲をしたりするグレゴリーを、当局のスパイとして信用していなかった。

マンデラはサンプソンに対し、グレゴリーが本に書いた逸話の多くは「幻覚」だと語り、グレゴリー自身、サンプソンの取材で「創作上の破格」(author's license)を認めている。「破格」って、表現効果を上げるために、伝統的規則や形式に拘束されないこと。詩でわざと韻を踏まないとか。嘘で固めた自伝を「創作」するのは、度外れもいいところ。破格中の「破格」。

グレゴリーは手紙の検閲担当だったため、マンデラ家の内情に通じていた。公務員が職務を通じて知った個人の秘密を、本人の許可を得ず一般公開してしまったことになる。これは立派な犯罪だ。

訴訟も考えたというマンデラだが、さすが「和解の人」。刑務所当局がこの本と距離を置いたことで、それ以上追及しないことにした。この本が出た1995年は国作りに忙しくて、こんな些細なことに関わっている暇はなかったのだろう。自己宣伝の「創作」でも、一応「和解」を促進する本ではあるし。。。

しかし、映画の宣伝文句「ネルソン・マンデラがはじめて映画化を許した、真実の物語!」って、一体どこにその根拠が。。。

ジェイムズ・グレゴリーは2003年、アンソニー・サンプソンは翌2004年に没している。

1 件のコメント:

  1. 映画だけみたら、ここまでは想像できない。でも、おまけ映像に登場する彼の顔に、気品がないこと、張りがないことが、気になっていた。それにマンデラとも別々の映像であり、一緒に映っていなかったから。気をつけなくてはいけない。こういうインチキな人に騙されてはいけない。じゃあ、彼の奥さんが、映画を手伝ったというのは、奥さんもうそつきだったということだろうか。

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