全盛時代のマイケル・ジャクソンが「アメリカ大統領に立候補する!」と言ったら、大ファンでも絶句しただろう。ポール・マッカートニーやスティングがイギリスの首相になりたいと意欲を見せても、笑われるだけだろう。
俳優やスポーツ選手やコメディアンなどが政治家に転身するのが珍しくない日本では、真面目に受け取ってもらえるかもしれないが。。。それでも、歌手はハードルが高いかも。。。傷つきやすい青春の日々や切々とした恋心をうまく歌えば歌うほど、一国を率いる政治家のイメージから程遠くなってしまう。。。
ユッスー・ンドゥールは1959年10月1日、セネガルの首都ダカールに生まれた。父親は車の修理工。13歳でプロの歌手になる。世界的に知られているのは、1994年にネナ・チェリー(Neneh Cherry)とデュエットしたシングル「7Seconds」くらいかもしれないが、セネガルでは大スターだ。
意欲とキレイゴトだけでは、政治の世界で生き残れない。他人事ながら「大丈夫かな~」と心配してしまう。
ところが、英『デイリーテレグラフ』(Daily Telegraph)紙のマーク・ハドソン(Mark Hudson)は、大いに勝算があると見ている。
まず、アフリカには世襲制のミュージシャンの伝統がある。西アフリカでは「グリオ」(griot)と呼ばれ、詩、物語、歌などの「口承伝統」(oral tradition)を継承する。「伝統」には「道徳」も含まれるため、セネガルの人々は現代のポップスにも、社会的政治的メッセージを期待しているという。歌手が道徳的な発言や政治活動をしても、違和感がないどころか、当然なのである。
ユッスー・ンドゥールの母親は「グリオ」の家系出身。ンドゥールは兄弟からグリオの伝統を学び、両親には近代的な物の見方を奨励され、結果的に、アフリカ音楽と西洋音楽を統合した「現代のグリオ」をアイデンティティとして持つようになった。
また、セネガルは西アフリカで唯一、軍事クーデターを経験していない。アフリカの国境は西欧列強諸国が現地の状況を無視して、地図上で線引きして決めたものだから、多くの国が部族対立などによる内紛で苦しんできたが、セネガルは部族的宗教的経済的諸要因のバランスをうまくとって、社会の調和を目指してきた。
その国で生まれ育ったンドゥールは、政治に応用できる駆け引きに長けている。ライバルのバンドメンバーを引き抜いたりするのが得意な一方で、他のミュージシャンの悪口は(少なくとも公の場では)決して言わない。
更に、アフリカでは「大物」(big man)に群がる習性がある。
どんな分野でも成功すると、家族や友人のみならず、遠い親戚、同じ教会に属する人、貸し借りがある人、その他様々なツテを頼ってくる人の、いわば「ゴッドファーザー」となってしまうのだ。つまり、成功すればするほど、まわりに集まる人が増え、ネットワークが広がる。ユッスー・ンドゥールのソーシャル・ネットワークは「セネガル一」といわれる。音楽のファンだけではなく、既に確固とした「支持基盤」を持っているのである。
ユッスー・ンドゥールはセネガルで最も有力な宗教結社のメンバーでありながら、歌手という立場を利用して、他のグループのリーダーのためにも歌を歌って度量の広さを見せて、ネットワークを更に広げている。また、他人から恩を受けることを極力避けるという。(受けた恩は返さなければならないから。)
ンドゥールが持つのは、「人の輪」だけではない。卓越したビジネスマンとして、テレビ局、ラジオ局をはじめ、幅白い業界に進出しているらしい。
では何故、今回、大統領になろうというのか。
実は、ユッスー・ンドゥールは、昔から社会的、政治的な活動をしてきた。海外では国連食糧農業機関(FAO)、ユニセフ(UNICEF)、アムネスティ・インターナショナル(Amnesty International)などに協力。国内では1985年に、ネルソン・マンデラの釈放を求めるコンサートを企画。アフリカに「インターネットカフェ」を開く「プロジェクト・ジョコ」(Project Joko)を始めたりもしている。
1995年には既に、セネガルの若者の間で「ユッスーを大統領に」がスローガンになっていたが、政治家になるより、民間人として影響力を行使することを選んだ。
2000年の大統領選では、野党のアブドゥライ・ワッド(Abdoulaye Wade)を支持。ところが、大統領に就任したワッドは、並々ならぬ権力欲と温情主義を発揮。汚職は前政権より更にひどくなった。
そこで、とうとう、ユッスー・ンドゥール自らが、ワッドに対抗して出馬する決意をしたわけである。
この20年間、セネガルで最も影響力を持つといわれてきたユッスー・ンドゥール。大統領に選ばれる確率は高い。その後、クリーンな政治を実現できるか、国の調和を保ちながら発展させることができるか。難題山積みながらも、楽しみである。
このアルバムに入っている「Bamako」が私のお気に入り |
14人の立候補者が2012年2月26日、大統領選挙を戦った。3月25日、上位2名が決選投票。民主党(PDS)のマッキー・サル(Macky Sall)が勝利を収めた。居座ろうとするのではないかと懸念されたワッド大統領はあっさり敗北を認めた。
返信削除さて、ユッスー・ンドゥールの健闘ぶりは?
実は、候補者14人に入っていなかったのだ。立候補に必要な署名集めに不正があったとの疑惑を持たれ、立候補の許可が下りなかったのである。