2012/09/26

「唐揚げ男」の「白人の愚痴」 ギターを抱えたユダヤ系コメディアン

金曜の夜、「唐揚げ男」の「白人の愚痴」に行ってきた。

「ディープ・フライド・マン」(Deep Fried Man)はユダヤ系コメディアン「ダニエル・フリードマン」(Daniel Friedman)の芸名。フリードマンを「マン」の前で区切ると、前半部分が「fry」(フライ)の過去分詞「fried」(フライド)と同じ綴りになる。

「fry」は「牡蠣フライ」の「フライ」ですね。フライパンに油を少量入れて焼いたのが「pan-fried」、炒めたのが「stir-fried」、そして油を大量に使って揚げたのが「deep-fried」。例えば、「stir-fried vegetables」は「野菜炒め」、「deep-fried vegetables」は「野菜の天ぷら」。

 かくして、「ディープ・フライド・マン」は「唐揚げ男」となる。

ショーの題名『ホワイト・ワイン』(White Whine)も凝っている。「white wine」と綴れば「白ワイン」。同じ発音だが「whine」となると、非建設的な愚痴をブツブツタラタラメソメソこぼすこと。

「ホワイト・ワイン」と耳で聞くと、「白ワイン」しか思い浮かばない。しかし、「ワイン」の綴りが「whine」であることに気がつけば、既に確立されている表現「ホワイト・ギルト」(white guilt)から、言わんとすることは容易に推測できる(少なくとも、南ア人または南アに詳しい人なら)。

「ホワイト・ギルト」とは「白人の罪悪感」。アパルトヘイトという黒人差別政策の元、特権階級に生まれて豊かな生活を享受したことに対する「白人の罪悪感」を指す。これを感じるのは、所謂「白人リベラル」に多い。根っからのレイシスト(人種差別主義者)なら、悪いことをしたとは思っていないから、「ホワイト・ギルト」に苛まされることもないだろう。

とすると、「ホワイト・ワイン」は、アパルトヘイトが終わって黒人政権になってから、汚職がはびこっているとか、パスポートや運転免許証の発行に何か月もかかるとか、光熱費が毎年20%も値上がりして生活が大変だとか、警察が無能だとか、電話線やマンホールのフタの盗難が絶えないとか、水たまりが増えたとか、教育水準が下がったとかいった「白人の愚痴」を意味するわけだ。

白人のディープ・フライド・マンにとって自虐的な言葉ではあるが、政治批判をしながら、「これは単なる白人の愚痴だから」と予防線を張っているとも受け取れる。

ギターを首にかけ、往年のヒット曲の替え歌や、自作の曲を披露するサエナイ姿は、どこか昔の芸人風。

「僕はひどいユダヤ人だ」と嘆く。そのココロは、「金曜の夜に自動車を運転し、お金を稼いでいる」から。ジューイッシュ(ユダヤ系)にとって、金曜の日没から土曜の日没までは、「サバト」(Sabbath)、つまり「安息日」。いかなる労働も禁じられているのだ。

ショーは勿論、白ワインをグラスに注ぐところからは始まる。

ジョークの切れは8割程度だが、結構笑えた。どこかドンクサイ風貌とまん丸の瞳が、それだけでコミカルで近親感を呼ぶせいだろうか。アンコールで舞台に呼び戻され、更に2曲歌った。

そう言えば、今年8月末、ジョハネスバーグ交響楽団をバックに、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を演奏したジョシュア・ベル(Joshua Bell)は、拍手が鳴りやまず、4回も舞台に呼び戻されたのに、一度もアンコールに応えることなく、世界的な演奏者に接する機会が殆どない地元音楽ファンをがっかりさせたっけ。

 

『ホワイト・ワイン』がまだ2つ目のショーというディープ・フライド・マン。いつまでも、キサクにアンコールに応えるコメディアンでいてください。

ディープ・フライド・マンの『ホワイト・ワイン』は、ジョハネスバーグのネルソン・マンデラ・スクエアにある「オールド・ミューチュアル・シアター・オン・ザ・スクエア」(Old Mutual Theatre on the Square)で、9月30日まで上演中。

【関連記事】
ケープタウンの操り人形グループ ブロードウェイで大成功 「トニー賞」受賞  (2011年6月15日)
虹の国の「第九」 (2010年6月11日)
ヨハネスブルグ・フィルハーモニック・オーケストラ (2010年5月13日)

0 件のコメント:

コメントを投稿