ドナルド・トランプがアメリカ合衆国の次期大統領に選ばれてしまった。
実はこの半年以上、毎日、米大統領選の動向を追っていた。そして、知れば知るほど、トランプという人間のひどさに唖然とした。
2004年に始まったリアリティ番組「アプレンティス」(The Apprentice)により、有能で容赦なく、素晴らしいリーダーシップを発揮する大物ビジネスマンのイメージを米国民に植え付け、「トランプ」は「成功」の代名詞となった。だが、現実は違う。詐欺まがいの、あくどい事業のやり方。数えきれない事業の失敗。過去30年間に抱えた訴訟は3500件以上!
自分の利益のためなら何でもする超利己的人間。財力と知名度をフルに使って、好き勝手にやり放題。しかも、人間としては超未熟。「自伝」のゴーストライターによると、3分も注意を集中できない。自由時間の大半を、テレビを見ることとツイッターに費やす。自分をコントロールできず、些細な挑発に乗ってしまう。異常な虚言癖、超ナルシスト、人種差別、女性蔑視、セクハラ・・・。未成年女子のレイプ容疑まである。
しかし、どんなスキャンダルも、多くの国民の頭をスッと通過してしまう。ウォーターゲート事件を暴き出し、また計47ものピュリッツァー賞を受賞している、あの『ワシントンポスト』紙の記者がコツコツ調べ上げ、「ピュリッツァー賞受賞間違いなし!」と絶賛された報道をしても、すぐに忘れられてしまった。ジャーナリストとしてさぞかし悔しかったことだろう。
生まれた時から大金持ちで、他人を踏み台にして70年間生きてきて、ベルサイユ宮殿を模したキンキラキンのマンションに住み、自家用ジェット機で移動するドナルド・トランプ。そんな人間が自分の利益を代表してくれると、多くのアメリカ人がなぜ信じることができるのか摩訶不思議だ。
2016/11/11
2016/09/18
新刊『ネルソン・マンデラ 私の愛した大統領』 個人秘書の回想録
ネルソン・マンデラの個人秘書だったゼルダ・ラグレインジの回想録、もうすぐ邦訳が出ます。
マンデラ関係の訳書は、日記、手紙、未発表の自伝原稿などを集めた『ネルソン・マンデラ 私自身との対話』、名言集『ネルソン・マンデラ 未来を変える言葉』に次いで、私にとってこれが3冊目。出版社はいずれも明石書店。
以下、訳者あとがきから。
南アフリカに暮らす外国人にとって、魔訶不思議なことがある。「アパルトヘイトを支持していた」という南ア白人にまず会わないことだ。
アパルトヘイトは、1948年から1994年まで政権を担当した国民党による人種分離政策である。その間、定期的に総選挙が行われ、アパルトヘイトに反対する野党が存在したにも関わらず、毎回国民党が圧勝した。つまり有権者(白人のみ)の大半は国民党の政策アパルトヘイトを支持していたはず。それなのに、アパルトヘイトが終わってみると、「人種差別は良くない」ことで国民の意見が一致し、かつてアパルトヘイトを支持していたという白人にお目にかからないのだ。
そんな中、自分がレイシスト(人種差別主義者)だったこと、国民党より更に右翼の保守党に誇りを持って投票したことを正直に認めるゼルダ・ラグレインジは新鮮である。過去を認め、過去と向き合って初めて、自分を変えることができる。現実に前向きに対処できる。人間として成長できる。
そして、ゼルダ・ラグレインジの目を開かせたのは、20世紀が生んだ世界的偉人、南アフリカ初の黒人大統領ネルソン・マンデラだった。
***
ゼルダは、政治とは縁もゆかりもない、ごく普通の家庭で育った。毎週日曜日に教会に行く、信心深い家庭。まわりの人々も皆そうだった。大人になったら、結婚して子供を持つ以外、とりたてて夢はなかった。
ゼルダが育ったコミュニティを形成するのは、オランダ語から派生したアフリカーンス語を第一言語とする、「アフリカーナ」と呼ばれる白人たち。黒人が人口の大半を占める南アフリカだが、ゼルダと黒人の付き合いは住み込みのメイドのジョガベスだけ。黒人は劣った存在、怖い存在と教え込まれ、その肌に触れることは「タブー」だった。ゼルダが「ある意味で我が家の一員」と感じ、ゼルダの「母親代わり」「命綱的存在」だったジョガベスにしても、アパルトヘイトの法律により、夫や自分の子供と一緒に住むことができない。収入を得るために他人の子供を育てながら、自分の子供の傍にいて、愛情を注ぎ、成長を見守ることが許されないジョガベスの境遇を、ゼルダはおかしいと感じない。
ごく「普通」と思っていたことが、現代世界の価値観からするとまったく「普通」ではないことに気がついたのは、大統領執務室で働き始めた20代のことだ。「まるで、これまで別の惑星に暮らしていたかのように感じた」とゼルダは本書の中で告白している。自分の国の現状や歴史にあまりに無知だった。黒人に居住の自由がないことも、1976年のソウェト蜂起で数多くの子供たちが殺されたことも知らず育った。ネルソン・マンデラについては、長年刑務所に入っていたテロリスト程度の知識しかなかった。
以下、訳者あとがきから。
* * * * * * *
南アフリカに暮らす外国人にとって、魔訶不思議なことがある。「アパルトヘイトを支持していた」という南ア白人にまず会わないことだ。アパルトヘイトは、1948年から1994年まで政権を担当した国民党による人種分離政策である。その間、定期的に総選挙が行われ、アパルトヘイトに反対する野党が存在したにも関わらず、毎回国民党が圧勝した。つまり有権者(白人のみ)の大半は国民党の政策アパルトヘイトを支持していたはず。それなのに、アパルトヘイトが終わってみると、「人種差別は良くない」ことで国民の意見が一致し、かつてアパルトヘイトを支持していたという白人にお目にかからないのだ。
そんな中、自分がレイシスト(人種差別主義者)だったこと、国民党より更に右翼の保守党に誇りを持って投票したことを正直に認めるゼルダ・ラグレインジは新鮮である。過去を認め、過去と向き合って初めて、自分を変えることができる。現実に前向きに対処できる。人間として成長できる。
そして、ゼルダ・ラグレインジの目を開かせたのは、20世紀が生んだ世界的偉人、南アフリカ初の黒人大統領ネルソン・マンデラだった。
***
ゼルダは、政治とは縁もゆかりもない、ごく普通の家庭で育った。毎週日曜日に教会に行く、信心深い家庭。まわりの人々も皆そうだった。大人になったら、結婚して子供を持つ以外、とりたてて夢はなかった。ゼルダが育ったコミュニティを形成するのは、オランダ語から派生したアフリカーンス語を第一言語とする、「アフリカーナ」と呼ばれる白人たち。黒人が人口の大半を占める南アフリカだが、ゼルダと黒人の付き合いは住み込みのメイドのジョガベスだけ。黒人は劣った存在、怖い存在と教え込まれ、その肌に触れることは「タブー」だった。ゼルダが「ある意味で我が家の一員」と感じ、ゼルダの「母親代わり」「命綱的存在」だったジョガベスにしても、アパルトヘイトの法律により、夫や自分の子供と一緒に住むことができない。収入を得るために他人の子供を育てながら、自分の子供の傍にいて、愛情を注ぎ、成長を見守ることが許されないジョガベスの境遇を、ゼルダはおかしいと感じない。
ごく「普通」と思っていたことが、現代世界の価値観からするとまったく「普通」ではないことに気がついたのは、大統領執務室で働き始めた20代のことだ。「まるで、これまで別の惑星に暮らしていたかのように感じた」とゼルダは本書の中で告白している。自分の国の現状や歴史にあまりに無知だった。黒人に居住の自由がないことも、1976年のソウェト蜂起で数多くの子供たちが殺されたことも知らず育った。ネルソン・マンデラについては、長年刑務所に入っていたテロリスト程度の知識しかなかった。
2016/09/02
リオ五輪、南アのメダリスト 注目したい3人
4年に一度の夏季オリンピック。我が家にはテレビがないので、大抵、知らないうちに始まって、知らないうちに終わってしまうのだが、リオ五輪は友人たちがフェイスブックに記事や動画を投稿してくれたおかげで、南アチームの活躍を垣間見る機会があった。
中でも、目立ったのがこの3人。
まず、走り幅跳びで、銀メダルを取ったルヴォ・マニョンガ(Luvo Manyonga)。25歳。個人最高の8.37メートル。金メダルとは僅か1センチの差だった。
銃と麻薬と暴力に囲まれた、ケープタウン近くの貧しいコミュニティに育つ。2009年、コーチのマリオ・スミス(Mario Smith)に見い出され、2010年にIAAF(国際陸上競技連盟)のジュニア世界選手権で優勝。名声を得たことから、家族や友人たちがまだ10代のルヴォの稼ぎを当てにするようになり、ルヴォに走り幅跳びに専念して欲しかったコーチは、自腹を切ってルヴォの家族を養うはめになる。
そんな中、ルヴォはティック(覚醒剤)に溺れていく。2012年、薬物検査で陽性。18か月の競技出場停止処分を受ける。通常は2年の停止処分が18か月で済んだのは、貧しい家庭環境や麻薬に関する教育不足を理由として、スミスが尽力してくれたおかげだ。
2014年、ルヴォを何とか立ち直らせようと、ルヴォの家に向かっていたスミスが交通事故で死亡。ルヴォは葬儀に参加せず、ティックでハイになっていた。麻薬漬けの毎日で、死と隣り合わせだったという。
中でも、目立ったのがこの3人。
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| ルヴォ・マニョンガ(Mail &Guardian) |
まず、走り幅跳びで、銀メダルを取ったルヴォ・マニョンガ(Luvo Manyonga)。25歳。個人最高の8.37メートル。金メダルとは僅か1センチの差だった。
銃と麻薬と暴力に囲まれた、ケープタウン近くの貧しいコミュニティに育つ。2009年、コーチのマリオ・スミス(Mario Smith)に見い出され、2010年にIAAF(国際陸上競技連盟)のジュニア世界選手権で優勝。名声を得たことから、家族や友人たちがまだ10代のルヴォの稼ぎを当てにするようになり、ルヴォに走り幅跳びに専念して欲しかったコーチは、自腹を切ってルヴォの家族を養うはめになる。
そんな中、ルヴォはティック(覚醒剤)に溺れていく。2012年、薬物検査で陽性。18か月の競技出場停止処分を受ける。通常は2年の停止処分が18か月で済んだのは、貧しい家庭環境や麻薬に関する教育不足を理由として、スミスが尽力してくれたおかげだ。
2014年、ルヴォを何とか立ち直らせようと、ルヴォの家に向かっていたスミスが交通事故で死亡。ルヴォは葬儀に参加せず、ティックでハイになっていた。麻薬漬けの毎日で、死と隣り合わせだったという。
2016/07/05
カナダの森林火災救助に駆けつけた南アの消防士 ほとんど働かないままスト
2016年5月1日、カナダのフォートマクマレー(Fort McMurray)で森林火災が発生した。5月3日には住宅街に広がり、約2400軒の家屋やビルが焼失。住民は安全を求めて逃げ出し、アルバータ州史上最大の避難民が生まれた。火災はその後も広がる一方。収まったのは6月中旬に雨が降ってのことだ。カナダ史上、最も被害総額が大きい自然火災となった。
南アフリカの消防士301名が2週間の救助に駆けつけたのは6月上旬。エドモントン国際空港で歌い踊る雄姿が報道され、なかなか頼もしかった。
ところが、救援活動5日目の6月8日、南アの消防士たちはストに突入してしまう。民間企業の労働者はもとより、人命を預かる看護婦や、教育を司る教師や、囚人の警備に当たる看守や、市民の生活を守る警察官まで平気で違法ストをするお国柄とはいえ、異国の苦境を救うために派遣されていながら、仕事をそっちのけでストライキとはよほどの事情があったのだろうか。
・・・と思ったら・・・
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| 避難する住民(Wikipedia) |
南アフリカの消防士301名が2週間の救助に駆けつけたのは6月上旬。エドモントン国際空港で歌い踊る雄姿が報道され、なかなか頼もしかった。
ところが、救援活動5日目の6月8日、南アの消防士たちはストに突入してしまう。民間企業の労働者はもとより、人命を預かる看護婦や、教育を司る教師や、囚人の警備に当たる看守や、市民の生活を守る警察官まで平気で違法ストをするお国柄とはいえ、異国の苦境を救うために派遣されていながら、仕事をそっちのけでストライキとはよほどの事情があったのだろうか。
・・・と思ったら・・・
2016/06/21
やっぱりレンジャーがグルだった!南アフリカのサイの密猟
きっとそうだろうな、と疑ってはいたが、事実としてはっきり目の前に突きつけられて、唖然愕然とする。クルーガー国立公園でサイを守る立場にあるレンジャーたちが密猟に加担していたのだ。今月に入って、既に4人が逮捕され、2人が停職処分を受けたという。
20世紀の初頭、アフリカ、アジアに約50万頭生息していたと推測されるサイは、1970年頃には7万頭、現在では2万9千頭にまで激減している。うち一番数が多いのは南部シロサイの約2万頭。その9割が南アフリカに生息する。
南アフリカにおけるサイの密猟数は、2000年(7頭)から2007年(13頭)の間、年6頭から25頭の間を上下していた。それが2008年、83頭に急増し、その後も毎年、飛躍的に増加。2014年には、なんと1215頭ものサイがツノ目当てに殺されてしまった。2015年は1175頭と前年より多少減少したが、それでも油断できるレベルではない。(今年は5月8日現在で363頭。)
被害が断然多いのが、クルーガー国立公園。南アフリカに数ある野生動物保護地域の中でも世界で一番有名であり、南アのサイの半数以上がここを住処とする。
20世紀の初頭、アフリカ、アジアに約50万頭生息していたと推測されるサイは、1970年頃には7万頭、現在では2万9千頭にまで激減している。うち一番数が多いのは南部シロサイの約2万頭。その9割が南アフリカに生息する。
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| サイの生息分布状況(Save the Rhino) |
南アフリカにおけるサイの密猟数は、2000年(7頭)から2007年(13頭)の間、年6頭から25頭の間を上下していた。それが2008年、83頭に急増し、その後も毎年、飛躍的に増加。2014年には、なんと1215頭ものサイがツノ目当てに殺されてしまった。2015年は1175頭と前年より多少減少したが、それでも油断できるレベルではない。(今年は5月8日現在で363頭。)
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| 南アにおけるサイの密猟数 2007年-2015年(Save the Rhino) |
被害が断然多いのが、クルーガー国立公園。南アフリカに数ある野生動物保護地域の中でも世界で一番有名であり、南アのサイの半数以上がここを住処とする。
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