2016/09/18

新刊『ネルソン・マンデラ 私の愛した大統領』 個人秘書の回想録

ネルソン・マンデラの個人秘書だったゼルダ・ラグレインジの回想録、もうすぐ邦訳が出ます。



マンデラ関係の訳書は、日記、手紙、未発表の自伝原稿などを集めた『ネルソン・マンデラ 私自身との対話』、名言集『ネルソン・マンデラ 未来を変える言葉』に次いで、私にとってこれが3冊目。出版社はいずれも明石書店。

以下、訳者あとがきから。

* * * * * * *

南アフリカに暮らす外国人にとって、魔訶不思議なことがある。「アパルトヘイトを支持していた」という南ア白人にまず会わないことだ。

アパルトヘイトは、1948年から1994年まで政権を担当した国民党による人種分離政策である。その間、定期的に総選挙が行われ、アパルトヘイトに反対する野党が存在したにも関わらず、毎回国民党が圧勝した。つまり有権者(白人のみ)の大半は国民党の政策アパルトヘイトを支持していたはず。それなのに、アパルトヘイトが終わってみると、「人種差別は良くない」ことで国民の意見が一致し、かつてアパルトヘイトを支持していたという白人にお目にかからないのだ。

そんな中、自分がレイシスト(人種差別主義者)だったこと、国民党より更に右翼の保守党に誇りを持って投票したことを正直に認めるゼルダ・ラグレインジは新鮮である。過去を認め、過去と向き合って初めて、自分を変えることができる。現実に前向きに対処できる。人間として成長できる。

そして、ゼルダ・ラグレインジの目を開かせたのは、20世紀が生んだ世界的偉人、南アフリカ初の黒人大統領ネルソン・マンデラだった。

***

ゼルダは、政治とは縁もゆかりもない、ごく普通の家庭で育った。毎週日曜日に教会に行く、信心深い家庭。まわりの人々も皆そうだった。大人になったら、結婚して子供を持つ以外、とりたてて夢はなかった。

ゼルダが育ったコミュニティを形成するのは、オランダ語から派生したアフリカーンス語を第一言語とする、「アフリカーナ」と呼ばれる白人たち。黒人が人口の大半を占める南アフリカだが、ゼルダと黒人の付き合いは住み込みのメイドのジョガベスだけ。黒人は劣った存在、怖い存在と教え込まれ、その肌に触れることは「タブー」だった。ゼルダが「ある意味で我が家の一員」と感じ、ゼルダの「母親代わり」「命綱的存在」だったジョガベスにしても、アパルトヘイトの法律により、夫や自分の子供と一緒に住むことができない。収入を得るために他人の子供を育てながら、自分の子供の傍にいて、愛情を注ぎ、成長を見守ることが許されないジョガベスの境遇を、ゼルダはおかしいと感じない。

ごく「普通」と思っていたことが、現代世界の価値観からするとまったく「普通」ではないことに気がついたのは、大統領執務室で働き始めた20代のことだ。「まるで、これまで別の惑星に暮らしていたかのように感じた」とゼルダは本書の中で告白している。自分の国の現状や歴史にあまりに無知だった。黒人に居住の自由がないことも、1976年のソウェト蜂起で数多くの子供たちが殺されたことも知らず育った。ネルソン・マンデラについては、長年刑務所に入っていたテロリスト程度の知識しかなかった。

情報がなかったわけではない。1988年、私が初めて南アフリカを訪れて驚いたのは、出会った白人たちの政治的意識の高さだった。活動家でもなんでもない普通の家庭の奥さんたちが、集まればアパルトヘイト政権の批判し、人種差別に怒りを隠さず、アパルトヘイトの終焉を祈願し、身の回りの黒人の生活向上に尽力していた。そこまでする必要はまったくないにもかかわらず、使用人の子供たちの学費を出し、使用人の親類縁者まで面倒を見、仕事を持ちながらもボランティア活動に精を出す姿に脱帽した。たまたま教会の奉仕活動でソウェトにいた日、ソウェト蜂起が始まり、暴徒に車を取り囲まれ、白人というだけで殺されそうになり、命からがら逃げだした知り合いの女性は、だからといって黒人を怖がることも、黒人嫌いになることもなかった。

そんな英系リベラルと呼ばれる白人たちと付き合ってきた私にとって、「南アフリカで起こっていることや、黒人の貧困や、暴力事件などにあまり気がつかないまま生活していた」一方で、「黒人が近づいてきたら目をそらし、別の方向に歩くよう習慣として教え込まれ、それが本能的な反応となっていた」「夜黒人が襲ってくるかもしれないという恐怖から、ドアや窓に鍵をかける習慣を幼いころから身に付けた」というゼルダの言葉はある意味で衝撃的だった。ゼルダと私の知る白人たちは、同じ国で、同じ特権を持って生まれ育った。同じ時代、同じ現実の中にいながら、物の見方、捉え方があまりにも違いすぎる。ゼルダの言うように、「人間は生まれ育ったコミュニティによって生活の仕方を規定される」のだ。ゼルダとゼルダが属したコミュニティは「恐怖と現実否定という白い繭」の中に閉じこもっていた。多少の好奇心と探求心と社会的意識があれば、真実は目の前に広がっていたのに。

1992年に生活拠点を南アフリカに移していた私は、1994年の第1回民主総選挙で一票を投じたことを誇りに思う。真夜中のジョハネスバーグ市役所で、古い国旗が降ろされ、新しい国旗が掲揚されるのを目撃して、喜びと感動のあまり涙がとまらなかった。ネルソン・マンデラの大統領就任に新しい時代と明るい未来の到来を感じた。私の周りの人々は、白人も黒人も希望に満ちていた。

しかし、ゼルダにとって、全国民が初めて投票した歴史的選挙も、国民の大多数が支持した大統領の誕生も、まるで他人事のようだ。ネルソン・マンデラが大統領に就任した日、ゼルダの頭にあったのは新政権に対する不信感と、身の安全に対する恐怖心だけだった。ゼルダのそんな「歴史」を理解して初めて、本書が語るゼルダの変貌、それを可能にしたネルソン・マンデラの偉大さが輝きを放つ。

***

本書はゼルダ・ラグレインジという縦糸とネルソン・マンデラという横糸が織りなす物語である。五色刷りの浮世絵とも見ることができる。

出来事や逸話が黒線の輪郭とすると、最初の色版は、ゼルダのシンデレラ物語。生まれたとき「我が家はとても貧しかった」というゼルダは、中等教育を終え、役員秘書養成コースを取った後、歳出省で秘書として働き始める。結婚し子供を持ち、ごく普通の人生を送るはずだった。

ところが、無任所大臣のタイピストの職を求めて面接を受けていたとき、運命のいたずらか、タイピストを探していた大統領の個人秘書が偶然飛び込んで来る。その日から、ゼルダの人生はそれまで想像したこともない道を歩み始めることになる。

パスポートも持っていなかったのが、公式訪問団の一員として日本に行き、その後マディバと共に世界中を旅する。夕食の席上、どのナイフとフォークを使うのかも知らなかったのが、ヨルダンのヌール王妃とテーブルを共にしたのを皮切りに、英エリザベス女王を含む世界各国の王室メンバーやローマ法王に会う。イギリスのゴードン・ブラウン首相、アメリカのクリントン夫妻、リビアのカダフィ大佐など、政治家とも懇意になった。国内外の大物ビジネスマンや世界中のセレブが仲の良い友達だ。マイケル・ジャクソン、オプラ・ウィンフリー、ボノ、モーガン・フリーマン・・・。ブラッド・ピットとの夕食を一顧もせずに断るまでになる。

次の色版は、ゼルダの、人間としての成長の軌跡である。アパルトヘイト下の白人という特権階級に生まれ、南ア社会の現実と不正義に目と心を閉ざし、黒人を劣った存在と見ることに疑問を挟まずに生きてきたゼルダが、マディバとの日々の触れ合いによって変貌していく。自分がレイシストであったこと、自国で起こっていることに対してあまりにも無知であったこと、自分の同胞が自国民である黒人を抑圧し、マディバを27年間も牢獄に送ったこと・・・。いくら罪悪感に苛まされても、過去を変えることはできない。ゼルダはそんな心の葛藤をどうやって乗り越えていったのか。

また、マディバに初めて会った頃、ゼルダはちょっとしたことにも動揺し、泣き出してしまう、うら若い女性だった。それがマディバの「門番」として様々な経験をし、試練を乗り越えていくうちに、確立した逞しい人間に生まれ変わる。

三番目の色版は、出獄して大統領になってから亡くなるまでのマディバの素顔である。政治一色の人生だったため、グラサ夫人に巡り会うまで、日々を彩る、人生の小さな喜びを知らなかったこと。やっと刑務所から解放されたのに、超有名人であることから自由に歩き回ることができず、別の意味での「囚人」になってしまったこと。どんな人にも敬意を失わなかったこと。子供や美女が大好きだったこと。お茶目でユーモアに溢れていたこと。他人の健康や体重を気にしたこと。なにしろ英国の女王に、「おや、エリザベス。痩せたんじゃないか!」と言うほどなのだから。

晩年のマディバの姿は悲しい。失った時間を取り戻そうとでもするかのように、家族や友人や知り合いに哀れなほど尽くす。人恋しくて、賑やかなところに行きたくても素直に言えず、「ペンを買いに行く」「辞書が必要だ」と言い訳を作ってしまう。自分の意思を通すことができないほど心身が衰えてからは、遺産を狙い、「マンデラブランド」の恩恵に与ろうとする、強欲な娘たちに好き勝手にされ、健康管理を担当する医療チームにまで翻弄される。助けることができないゼルダは、無力感を噛みしめる。グラサ夫人が傍にいてくれることが、唯一の救いである。

最後の色版は、ゼルダとマディバの間に通う、細やかな愛情と信頼である。他人に奉仕することに至福を感じるゼルダと、他人に120%の献身を求めるマディバの共依存関係。言葉に出さなくても相手の考えがわかる、長年連れ添った夫婦のような以心伝心さ。何があっても、最後までマディバに尽くすというゼルダの決意。

マディバが亡くなる前の数か月間、お見舞いを許されなかったゼルダは思う。「マディバに出会って十九年後の今、私は自分の白い手をマディバの黒い肌の上に置きたくてたまらない。私の肌より劣っていると教え込まれた肌である。しかし、私の人生に意味を与えてくれたのは、まさにこの黒い肌だった。四十三歳の私の全存在が、あの手にもう一度触れることを、指の関節の皺を感じることを切望していた」。これは単なる秘書、単なる雇用人の言葉ではない。ひとりの人間、ひとりの男性に全身全霊を捧げた女性の、切ない愛の告白である。

***

(中略)

なお、著者の苗字は「ラフランシ」と表記するのが原語であるアフリカーンス語に最も近いが、著者の希望により、邦訳では英語読みの「ラグレインジ」とした。「南ア国外では英語読みされているから」というのがその理由である。マンデラ大統領に初めて会ったとき、緊張のあまり泣き出してしまったゼルダは今、世界を視野に入れた活動をしているのだ。スティング夫人トゥルーディー・スタイラーのプロダクション会社が今年2月、本書の映画化の権利を獲得したと聞いた。ゼルダを演じるのは一体誰になるのだろうか。


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