2010年7月17日ニロックス財団でのコンサート |
ンガワナは1959年12月25日、ポートエリザベス近くのタウンシップで、5人兄弟の末っ子として生まれた。家は貧しく、10代の頃は犯罪にも手を染めたという。
21歳の時、ひょんなことからフルートを手にしたのがきっかけで、独学でフルート、サックス、ピアノを学ぶ。高校を中退したため、大学入学の資格がなかったが、その才能に気づいた白人女性のおかげで、ローズ大学に入学。その後、ナタール大学でジャズを学び、遂には奨学金を得て、アメリカのマサチューセッツ大学に留学。
奨学金のスポンサー、マックス・ローチ(Max Roach)を師と仰ぐ。
南アに戻ったのは、1990年代に入ってから。1994年のマンデラ大統領の就任式では、100人からなる「平和のためのドラムオーケストラ」(Drums for Peace Orchestra)を率い、自らもサックスのソロを披露した。
ンガワナの音楽は一言で表現しくにい。4ビートのオーソドックスなジャズ、フリージャズ、タウンシップジャズ、伝統的なコサ音楽、クラシックから、インド音楽、サンバ、タンゴなどの要素も取り入れている。
写真のコンサートでは、35年前の山下洋輔と秋吉敏子をマイルドにしたみたいなノリだった。
アパルトヘイト時代に育ったにも拘わらず、政治意識は薄く、昔から政治には興味がなかったという。
精神世界に深く傾倒し、独自の哲学「ジムロジー」(Zimlogy)を提唱。つまり、「ジム学」ですね。音楽と哲学の一体化を目指した「ジムロジー音楽学院」(Zimlogy Institute of Music)を創設。これまでの人生経験に仏教的要素を取り入れたような教えだったので、亡くなってからイスラム教徒と聞いて驚いた。
1997年のグウェン・アンセル(Gwen Ansell)とのインタビューでは、「太陽が沈んでも、音楽は残る。音楽は精神性が枯渇した宇宙に、エネルギーを与える」と語っていたが、数か月前、黄昏時のコーヒーショップでは、「沈黙が究極の境地」と言っていた。本気とも冗談ともつかない表情で、「音のない宇宙」が「最高の音楽」とも。
与党ANC(アフリカ民族会議)は早くも、「功績を称えるため、ジム・ンガワラの名を冠した奨学金を設立し、若いミュージシャンを育てる」と発表していた。一週間後には、全国一斉の地方選挙。若者の票目当てではないか、と勘繰ってしまう。ンガワラはあの世で苦笑しているのではないか。それとも、音のない世界で永遠の心の平静を得て、そんな俗事は超越しているだろうか。
ご冥福をお祈ります。
0 件のコメント:
コメントを投稿