建築家フランク・ジャレット(Frank Jarett)の設計により、1948年ごろ建てられた。当時のオーナーはインド人。ジョハネバーグ市内で黒人が借りることのできる、数少ないオフィススペースだった。
「マンデラ・アンド・タンボ法律事務所」でメッセンジャーをしていたノーマン・シェア(Norman Sher)さんは当時高校生。メッセージを出来るだけ早く届けようとして狭い階段を駆け下り、何度も転げ落ちたという。そんなシェアさんをマンデラは「ハーシー」(Haasie)と呼んで可愛がった。アフリカーンス語で「ウサギ」を意味する。シェアさんは今でもこの思い出を大事にしている。
「マンデラとタンボがこの国の将来にとって、これほど大きな役割を果たすことになろうとは、当時思ってもみなかった」というシェアさん。大学卒業後、弁護士になった。
チャンセラーハウスはその後、何人かのオーナーを経て、10年前くらいから全く見捨てられていた。すっかり朽ち果て、ホームレスの巣窟になっていたのを昨年7月、ジョハネスバーグ市が買い取る。占拠していたホームレス68人はシェルターに移された。
11か月と700万ランド(約8400万円)かけた改修工事が終わり、5月4日、開所式が行われた。改修は写真を基にして、オリジナルに忠実に行われた。
リボリア裁判でマンデラ、ゴヴァン・ムベキ(ターボ・ムベキ前大統領の父親)、ウォルター・シスル(リンディーウェ・シスル国防相の父親)の弁護をした人権弁護士ジョージ・ビゾス(George Bizos)は、マンデラの長年の友人でもある。チャンセラー・ハウスが「観光名所」ではなく、「生きた組織」になって欲しいと望んでいる。
建物は出来たものの、中はまだ空っぽ。将来的には、治安判事裁判所の目の前という地の利を活かして、法律相談所や図書館を備えた「法律資料センター」(legal resources centre)にする予定。3階の元マンデラ法律事務所は、マンデラとタンボが扱った裁判の資料室になる。
マンデラ家からは孫娘のンディレカ(Ndileka)さんが開所式に出席。マンデラは大変喜んでいたものの、体の具合が悪くて出席できなかったとのこと。健康の回復を祈ります。
改修前(BEFORE)と後(AFTER)の写真。(2011年5月5日付「The Times」) |
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