Tête d'Arlequin II (The Times) |
エラスムスはクレヨンとパステルで描かれた道化師に、間近に迫った死に対するピカソの不安を感じ取ったという。(これは2015年の談。)
1973年10月、ジョハネスバーグ美術館は2万8000ランド(現在の為替レートで約28万円)でこの絵を購入する。しかし、「名画」を入手したと意気揚々のエラスムスを待ち受けていたのは、マスコミと市民の嘲笑、困惑、怒りだった。
風刺漫画家たちは格好の材料を得たと大喜び。ピカソの道化師を取り囲む医者たちが次々に診断を下すマンガ(「動脈硬化」「肝硬変」「二日酔い」「敗血症」「悪臭呼気」)や、いたずらした子供を母親が「お行儀よくしないと、あのピカソの絵を見に連れて行くわよ!」と脅すひとこまマンガなどが新聞紙面を飾った。
『スター』(The Star)紙はこの絵の複製を通行人に見せ、絵が一般公開される当日の一面トップに市民の感想を掲載した。(アパルトヘイト時代だったので、この「市民」は白人のみ。)
「夜、目の前に現れたら嫌だわ。」「芸術は魂を高揚させてくれるような美しいものであるべき。この絵は気がめいるほど不快。」「ピカソの絵は滑稽さや不快さを意図したものではなく、欲求不満のヒヒに天啓を得たに違いない。あまりにも似すぎている。」
この絵を嫌った人の中に、ジョハネスバーグ市議会の大物、フランソワ・オーバーホルツァー(Francois Oberholzer)がいた。オーバーホルツァーは市からジョハネスバーグ美術館への援助を打ち切り、市にとって優れたアートがなんであるか示すプロジェクトに着手する。
そして、完成したのが高さ9メートルの彫刻。1986年のジョハネスバーグ市制100周年を記念する作品だ。ジョハネスバーグ地方で金を発見したといわれるジョージ・ハリソン(George Harrison)が、金を含んだ鉱石を高々と掲げる姿を描いたもので、ピカソの絵の20倍にあたる55万ランドかかった。注文を受けたアーチストは、南アフリカ人のティニー・プリチャード(Tienie Pritchard)。
(ジョージ・ハリソンは鉱夫でもなければ、金鉱の発見者でもなく、たまたま見つけた鉱石をさっさと10ポンドで売ってこの地方を立ち去り、その後の行方は知れない。本当に金の鉱脈を発見したのは、ヤン・ヘリッツァ・バンチーズ(Jan Gerritze Bantjes)。)
イーストゲートショッピングセンター近くに今も立つ彫刻 (The Times) |
南アのアートオークションハウス「ストラウス・アンド・カンパニー」(Strauss & Co)のスティーヴン・ヴェルツ(Stephan Welz)によると、最後に笑ったのはエラスムス。ピカソの絵は現在恐らく何百万ランドもの価値があるだろうに、プリチャードの彫刻は溶かした銅を売ることで経費の一部が回収できる程度だから、という。
「アート」が何か全くわかっていない、井の中の蛙的な政治家が、「あの」ピカソを認めずに、大金払って地元アーチストに価値のない彫刻を作らせた。その「愚行」を今、専門家が、メディアが笑っている。
・・・ちょっと待てよ。
確かに、金銭的な価値ではピカソの方がずっと上だろう。だが、高ければ優れている、というものでもあるまい。
ピカソは非常に多作で、生涯に約5万点もの作品を残した。うち、絵画が1885点。いくら天才でも、1885点のすべてが「傑作」「名画」ではない。特に、晩年の1968年から1971年、カラフルで大胆な大量の絵画を制作し、「インポ老人のポルノファンタジー」「最盛期を過ぎたアーチストによるやっつけ仕事」などと酷評された。そのため、生存中から世界的に有名で、「ピカソ」の名前だけで飛ぶように作品が売れた作家でも、この時期の作品は発表当時、比較的安価だったのではないか。少なくとも、ジョハネスバーグ美術館が購入できる程度には。
昨今の世界的アート市場ブームの中、ピカソの作品は空前の価格で取引されている。2004年5月には「Garçon à la pipe」が1億400万ドル、2006年5月には「Dora Maar au Chat」が9520万ドル、2010年5月には「Nude, Green Leaves and Bust」が1億650万ドル、そして2015年5月には、ニューヨークのオークションハウス「クリスティーズ」(Christie's)で、「Women of Algiers」が絵画としては史上最高の1億7930万ドルで落札された。
The Women of Algiers |
個人的には、「ピカソの作品=傑作」と盲信して名前に振り回される人より、世界的に有名なアーチストの作品でも「嫌なもんは嫌だもんね!」と宣言して、9メートルの彫刻を建ててしまう、骨のある人の方に好感が持てる。(美術館への援助を打ち切ったのは行き過ぎだと思うし、市の予算ではなく私財を投じて彫刻を立てた方がもっとカッコよかったが。)
ジョハネスバーグ美術館長エラスムスの貢献は、『タイムズ』(The Times)紙が示唆するような、南アフリカで誰にも理解されなかったピカソの「傑作」を正しく判断して購入したことではなく、駄作と思われて比較的安かった作品を、ピカソが亡くなる直前という抜群のタイミングで購入してしたことではないだろうか。そのおかげで、普通だったら高くてとても買えないピカソの絵画を、ジョハネスバーグ美術館が所有することができたのだから。
哀れなのはティニー・プリチャードである。美術史に残るような業績を残したアーチストでも、世界的に有名なアーチストでもないが、かつては南アフリカを代表する彫刻家で、裸像彫刻を得意とし、70代半ばの今でも、まだ現職で制作を続けている。
まじめにコツコツと、好きな彫刻を作り続けているだけなのに、30年前に注文されて制作した力作を勝手にピカソと比較された挙句、溶かした材料を売るしか価値がない作品、とまで断言されてしまうなんて。ちょっとあんまりじゃない?
(参考資料:2015年7月16日付「The Times」など)
【関連ウェブサイト】
ティニー・プリチャードのHP
ティニー・プリチャードのフェイスブックページ
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