監督
ヘンク・プレトリウス(Henk Pretorius)
主演
エドゥアン・ファンヤースフェルト(Eduan van Jaarsveldt)
ゼツ・ドロモ(Zethu Dlomo)
2013年 南アフリカ作品
ファニー・フリー(Fanie Fourie)はさえないアフリカーナ男性。30代前半だろうか。いい人っぽいが、小太りで、ハンサムでもなく、世間がマトモと認める職もない。プレトリアの高級住宅街に、寡婦の母親とふたり暮らし。優男の兄はアフリカーナ社会の人気歌手。
ファニーは自称「パネル・アーチスト」。ボンコツ車を改造して、アフリカの動物に似せた自動車を、自宅の仕事場で一台一台手作りしている。「パネル・ビーター」=「自動車の板金工(ばんきんこう)」、つまり「職人」ではなく「芸術家」だという自負がある。
とはいっても、ファニーの夢や情熱を理解してくれる人は周りにいない。クラブで知り合った女の子はファニーのキンキラ車「ライオン」を見て、尻込みしてしまう。別の女の子を仕事場に案内し、「わかって欲しい」とオリジナルカー作りの夢を語るが、「私はベンツのスポーツカーが好き」とニベもない。ファニーのお母さんは、愛する息子が「マトモ」な仕事に就き、アフリカーナの女性と結婚して欲しい、と心に願っている。親しい友達もいないようだ。
ファニーを笑わないのは、住込みの庭師で、車作りの助手ペトルス(Petrus)だけ。
ファニー自身、車作りの情熱を持ちつつも、周囲の反応に長年気を削がれてきたせいか、イマイチ自信がない。せっかく作った車を売る気配もない。尤も、ファニーの「作品」は巨大でド派手。個性的過ぎて、ファニーが属する保守的なアフリカーナ社会にウケルような車ではない。。。
一方のディンキー・マグバネ(Dinky Magubane)。プレトリア近くの貧しい黒人居住地に、父親とふたりで住む。子供時代の友だちの中で、たったひとりの大学出。起業家になるのが夢で、カジノに勤めながら起業資金を貯める日々。家でブラブラしている父親は、美人の愛娘が裕福な夫を見つけてくれることを願っている。
候補者はいる。金融業を営む、幼馴染のマンドラ(Mandla)だ。高いスーツを着込み、高級車を乗り回し、ディンキーのことは誰よりも理解していると自負しているが、「女を喜ばすには欲しいものを買い与えるのが一番」と信じている伝統的な考え方の持ち主で、経済的自立を目指すディンキーのことを実は全然わかっていない。
それぞれの生まれ育った環境で「はみ出し感」を持っていた、そんなファニーとディンキーが巡り合い、恋に落ちる。。。
異人種間の恋愛、といっても、アメリカ合衆国とは事情が大いに異なる。
アメリカの黒人は元々アフリカから来たとは言っても、家族がバラバラに引き裂かれ、奴隷として新天地に放り込まれた。アフリカの様々な地域から違う言葉、文化を持った人々が、否応なしに「一緒くた」にされてしまった。その過程で、地域社会に基づいたアフリカの伝統的文化も、言語も失っていった。
現代のアメリカの黒人は、英語を第一言語とする「アメリカ人」、それも人口の1割弱を占める「マイノリティ」である。そして、野球、バスケットボール、アメフト、マクドナルド、リーバイス・・・といった「アメリカの文化」を白人と共有する。
アメリカ白人とアメリカ黒人の恋愛に立ちはだかる最大の問題は、文化や伝統ではなく、歴史が生み出した、肌の色に基づく偏見だろう。家庭環境の差は、同じ人種の間でも、経済程度によってかなりある。(かなり古い(1970年)が、「愛とは決して後悔しないこと」(Love means never having to say you're sorry)という宣伝文句が一世を風靡したハリウッド映画『ある愛の歌』(Love Story)は、学歴は同じなのに「家柄」が違う、アメリカ白人間の恋愛をテーマにしている。)
それに対し、南アフリカの黒人はアフリカの地に根を張っている。独自の言語、文化に基づいた、確固とした自信がある。しかも、人口の8割を占める「マジョリティ」。ファニーがズールー族のディンキーと結婚したかったら、ズールー族の風習に従った手順を踏むことが要求される。
それが、「ロボラ」(lobola)。男性から女性の家族に渡す、「結納」のようなもの。伝統的には牛。アフリカでは、牛が「富の象徴」とされてきたからだ。尤も、今の世の中、牛をたくさん貰っても置き場所に困るので、現金払いで済ませるカップルも多い。
厄介なのが、手続きである。両家の拡大家族を巻き込んだ、長期間にわたる、複雑な交渉が繰り広げられる。男性の家柄や社会的地位や財力、女性の家柄や教育や容姿など、様々な要素が絡む。
しかも、伝統を守りたいお父さんの心とは裏腹に、現代っ子のディンキーは「女性に値段をつける」ロボラに反発している。
さて、ファニーは愛するディンキーと結婚できるか? そして、ふたりはそれぞれの「夢」を叶えることができるか?
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ネルソン・マンデラが南アフリカ初の黒人大統領に就任して、早くも19年が過ぎた。リベラルな白人はもとより、かなり保守的な白人だって「人種差別」が悪いことはわかっているし、自分が「レイシスト」(racist)=「人種差別者」であるとは、誰も思っていない。
それでも、自分では気がつかない「差別観」が心の奥底に潜んでいることもある。
ファニーは「唯一の友だち」と思っている庭師のペトルスが、どこ出身かも知らなかった。また、ペトルスを「ガードナー」(gardener)ではなく、「ガーデンボーイ」(garden boy)と呼ぶことに疑問を持っていなかった。自分の父親ほどの年齢の男性を「ボーイ」(少年)と呼ぶのは、「黒人は一人前ではない」という人種差別観に基づいたものであることに気がつきもしなかったのだ。(日常語になっていて無意識に使っているという意味では、「夫」を「主人」と呼ぶのと同じようなことかも。。。)
ディンキーのお父さんとの会話などを通じて、無意識に持っていた差別観に気がついて愕然とするファニー。自分だって、アフリカーナ社会では、「失格者」の烙印を押され、笑い者だったのに。。。
ファニーとディンキーの恋の行方に声援を送りながら、「自分」を一歩深く見つめる機会を与えてくれる、南アフリカ発の爆笑コメディー。お薦めです。(涙腺のゆるい方は、マスカラを落としていった方が良いかも。私はタヌキ目になっていました。)
今年2月、ジョハネスバーグで開催された「ジョーズィ映画祭」(Jozi Film Festival)で「観客賞」(Audience Award)。また、今年の3月、アメリカはアリゾナ州で開催された「セドナ国際映画祭」(Sedona International Film Festival)で、「観客が選ぶ最優秀コメディ賞」(Audience Choice Award for Best Comedy)を受賞している。
公式予告編はこちら。
【関連HP】
公式HP Fanie Fourie's Lobola
セドナ国際映画祭 (Sedona International Film Festival)
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2013年6月11日、アメリカの「シアトル国際映画祭」(Seattle International Film Festival)で「観客賞」(Audience Award)を受賞したとのこと。映画祭での賞はこれで3つ目。全て観客賞。大賞を取るような「芸術作品」ではないけれど、観客に愛される映画みたいですね。
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