クヌ村にはもうひとつ、自慢することがある。ネルソン・マンデラが生まれ育ち、引退した場所であることだ。(マンデラはジョハネスバーグ、ケープタウン、マプトにも豪邸を持っているので、いつもクヌにいるわけではない。)
解放運動、そして南ア民主化の「顔」、ノーベル平和賞を受賞した世界で一番有名な南ア人、マンデラ。南アきっての「偉人」を擁しているにも関わらず、中央政府も東ケープ州も、マンデラが「人生のうちで一番幸福な時期を過ごした」というクヌ村の発展に無関心である。
新聞に名前が出ることはごくまれ。マンデラがクリスマスを過ごしたとか、牛やヤギが横断して危ないので(交通事故に遭う家畜を心配してのことか、車を心配してのことか不明) 田舎道に地下道が作られたとか、エイズ防止の一環で10~15歳に「処女テスト」を義務づけたとかいった程度。マンデラ博物館すら、本館は32キロ離れたムタタ(Mthatha)に建設され、クヌには「出店」があるだけ。
しかし、「マンデラ詣で」にやってくる観光客は増加の一方。昨年は約1万人が、ホテルもないクヌ村を訪れた。その殆どはイギリスから。ドイツ、アメリカと続く。外国勢に押され気味の南ア人だが、その大部分はハウテン州から。
マンデラの豪邸の前にB&Bがオープンしたのは、2008年のこと。オーナーは、ノンクムブロ・コティ・マンデラ(Nonkumbulo Koti Mandela)さん。その名が示す通り、ネルソンの親戚だ。忙しい時には、週末に40人の宿泊客があるという。現在、12室を増築中。
やはりマンデラ邸の側に、最近観光客用アパートがオープンした。近くには、マンデラ家の墓地もある。テニスコート、図書室、レストラン、会議室、衛星TVを完備し、お値段は1泊137ランド(約1600円)と超手頃。
クヌ村が南アの経済発展から置き去りにされたおかげで、訪れるファンはマンデラの幼年期を追体験できる。マンデラが子供の頃泳いだ川、牛追いをした谷、教師に「ネルソン」という英語名を与えられた学校、始めて白人に会った店。。。
これらの村の「遺産」をうまく使って、経済発展を遂げ、雇用を創出できるかどうか。その発展が少数への富の集中ではなく、村民全員に恩恵をもたらすことが出来るかどうか。これからの課題である。
観光化が進みすぎて、「マンデラ」の看板が乱立したつまらない村になり、金儲けにトリツカレタ村人の心がすさんでしまう可能性もある。まだ自然と純朴さを残した今のうちに、訪れておくことをお勧めする。
(参考資料:2010年10月10日付「Sunday Times」など)
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