2011/03/29

漢方薬のマルチ商法で黒人セールスマン誕生 ナミビア

日本を抜いて、世界第2の経済大国になった中国。アフリカでも、躍進目覚ましい。

アフリカ各国政府との関係を強化し、空港、道路、政府関係の建物などの建設を請け負う。鉱物や木材を大量輸入する。(労働者は地元調達ではなく、主に中国本国から連れて来るので、雇用創出を期待したアフリカ各国にとっては期待はずれとなった。)

2007年には、中国最大の銀行(総資産では世界一)である中国工商銀行(Industrial and Commercial Bank of China: ICBC)が南アフリカ最大の銀行、スタンダード銀行(Standard Bank)の20%を取得。外国企業の直接投資としては、南ア史上最大。

一般庶民の生活とも無縁ではない。洋服、靴から台所用品、携帯電話、電気製品に至るまで、家の中は中国商品で彩られる。すぐ壊れるなど品質に対する不満は高いものの、圧倒的な安さのお蔭で、貧しい庶民でも多様な商品が入手できることを考えると、一概に文句も言えない。

この状況はナミビアでも同じだ。

ナミビアは大西洋に面した、南アフリカの北西の国。元ドイツの植民地。第1次大戦後は南アが占拠し、1990年に完全独立。日本の2倍ちょっとの国土を持つが、人口は僅か200万人強。人口密度は世界で2番目に低い。失業率約30%、広義の定義では50%以上になるという。人口の半数が、一日1.25ドルの貧困ライン以下で暮す。

こんな国にまで、中国旋風が吹き荒れている。それも新しい形で。

アフリカ人セールスマンが生まれているのである。

アフリカ大陸の東部や南部におけるビジネスの担い手は、歴史的に白人やインド人が主だった。製造業や商業では、黒人は大概使われるだけ。最近は黒人起業家も増えているが、セールスマンはまだ珍しい。

立役者はTIENSグループ。1995年創業の健康補助食品販売会社。本社は中国天津市。従業員約5000人。日本を含む世界110の国と地域でビジネスを展開している。

日本ではどのように売られているか知らないが、ナミビアなどアフリカ諸国での販売形態は、連鎖販売取引。所謂、マルチ商法である。

セールスマンは電池で動く、小さな「診断機」を使い、「患者」の手に弱い電流を流して、痛みを感じる箇所で「診断」する。例えば、親指の先端に痛みを感じると気管支炎の疑いがある。「診断」に従い、漢方薬の原理に基づいた商品を勧める。

医者に行くお金がなかったり、西洋医学を信用しない庶民に受けているという。元々アフリカには、植物を使った薬を調合する治療師に頼る伝統があるから、漢方薬は受け入れられ易いのかもしれない。「診断機」を使うところも、なんとなく科学的っぽくて信頼できると思われるのかもしれない。

「診断機」を購入する資金されあえば、経験や知識がなくても簡単にビジネスを始められることも、人気の秘訣かもしれない。

ナミビアでは保健省のお墨付きを得ていて、「頭痛からガンにいたるまで、あらゆる病を治した」と豪語するセールスマンもいる。

TIENSグループは現在、西はアンゴラから東はマダガスカルまでアフリカ13か国で展開。アフリカでの本部は、南アフリカとのこと。

(参考資料:2011年3月25日付「Mail & Guardian」など)

2011/03/19

がんばれ日本!南ア救援チーム出発

東北大震災。中国の陰に隠れ、南アフリカであまり注目されることのない日本に脚光が当たった。

大災害というと、悲惨さが強調され、「可哀想」という気持ちが先立つ。言語を絶する状況に翻弄され、なすすべもなく絶望する人々の姿が報道される。ひたすら援助を待つ人や、自分が生き延びるために、他人を押しのけ、時によっては傷つける人、混乱に乗じて盗みを働く者。。。ポジティブな側面を目にすることはあまりない。まして、国民性が注目されることなど。。。

日本は違った。悲しみや辛さや苦しさに変わりはないはずなのに、 他人を思いやり、列を守り、文句を言わず、自らオーガナイズし、できる範囲でだれもが精いっぱい努力する姿に世界中が胸を打たれた。9/11での助け合いや、個人の英雄的な行為などの例外はあるが、被災者全体が驚嘆の目で見られたことはかつてなかった。

南アフリカでも、今まで顔の見えなかった日本人の評価が一挙に高まった。

日本と何の関係もない人々が募金に応じてくれた。知り合いの中華レストランでは、「おじいちゃんがお墓の中で目をムクかもしれないけど」とオーナーが笑いながら、慈善夕食会を企画。一晩だけの予定が、あまりの反響の大きさに二晩に延長した。

そんな中、南アの救援チーム「Rescue South Africa」が日本に向けて出発。宮城県石巻で救援活動に当たる。

ビーバ、南アフリカ、ビーバ! Viva South Africa Viva!
ビーバ、日本、ビーバ! Viva Japan Viva!

ジョハネスバーグの空港から出発する南ア救援チーム。写真は日本大使館HPから。

2011/03/11

マンデラ文書デジタル化 グーグルが資金援助

貴重なマンデラ文書がデジタル化されることになった。グーグルが125万ドルの資金を提供して実現したもの。

例えば、一見何の変哲もない、風景写真付きカレンダー。これがオタカラ、なのである。マンデラは刑務所時代、重要な出来事をカレンダーに書き込んでいた。1989年12月13日には、「FWデクラーク大統領と会見。2時間55分」とある。

日記や手紙、それに自伝『自由への長い道』(Long Walk to Freedom)の続編の手書き原稿もある。『大統領時代』(Presidential Years)と名付けられ、原稿が数章残っているが、未完成に終わった。次期大統領に何故、前評判の高かったシリル・ラマポザ(Cyril Ramaphosa)ではなくターボ・ムベキ(Thabo Mbeki)を選ぶことになったのかを説明していたりして、研究者だけでなく、一般国民にも興味ある内容だ。

アフリカ民族会議(African National Congress:ANC)の中央執行委員会(National Executive Committee: NEC)の席上で、投票できる年齢を14歳に下げようと提案した、という記録もある。

一般公開がいつになるかは不明。スキャンするだけでも大変な作業だからだ。マンデラ財団にある資料が1万ページ。国立古文書館に監獄時代の記録や文書が1万ページ。その他にも図書館、研究機関、外国政府、個人など、様々な資料提供先があり得る。CIAがマンデラをアパルトヘイト政府に「売った」という文書を、米政府が提供してくれる可能性だってゼロではない。

この7月18日に93歳になる、ネルソン・マンデラ。寄る年波には勝てず、ここ数年、目に見えて弱っている。昨日、マンデラ財団の職員と話していたら「元気だ」と言っていたので、ちょっと安心したところ。

「自由の闘士」(freedom fighter)としての反政府活動、27年間の獄中生活、アパルトヘイト政府との政権移譲交渉、第1回民主総選挙、大統領としての4年間、引退後には国際的調停役として活躍。波乱万丈の人生を送った。最後は家族に囲まれ自宅で大往生、となって欲しい。

(参考資料:2011年3月9日付「The Star」など)

2011/03/10

サッカーワールドカップ 海賊退治に貢献

世の中、何がどこで役に立つかわからない。

2010年のサッカーワールドカップ時に、不測事態対応策として導入された衛星航行システム(satellite navigation system)が、海賊の取り締まりに大きく貢献しているという。

世界に悪名高いソマリアの海賊が、自国沿岸から活動領域を広げ、南下してきているのである。南アフリカ海軍は最近、モザンビークの海域パトロール支援に「SAS Mendi」号を送った。海賊が世界経済に与える損害は、年間300億ドルと推測されている。

これまでは、水平線の向こうに姿が見えなくなった船の追跡・管理は不可能だった。それが、新しい衛星航行システムのおかげで、1000海里(1850キロ)以内の船舶なら特定・追跡できるようになった。南ア国籍の船舶だと、世界のどこにいても特定・追跡可能だという。

海賊の取り締まりだけではない。これまで南ア海上治安局(South African Maritime Safety Authority: Samsa)に知られることなく南ア海域に自由に出入りしていた、数多くの船の動向が一目瞭然になる。有毒物質、危険物質を運搬する船の取り締まりや、大事故や汚染を引き起こす可能性のある石油タンカーのモニターも期待できる。

実は、ソマリアで海賊がこれほど増えたのも、国が崩壊状態のため、海域管理が出来ていなかったことに一因がある。

国連によると、紅海や地中海からの船がソマリア海域で化学廃棄物を不法投棄した場合にかかる費用は、1トン当たり2.5米ドル。合法的に処理すると1トン当たり250ドルかかるから、100分の1の費用で済む。

取り締まられないことを良いことに、どんどん不当投棄された化学廃棄物のせいで、ソマリア沿岸では魚が死に絶え、漁民の失業が相次いだ。その漁民たちが海賊にキャリアチェンジしているというのである。

自国の海域管理は、防衛や犯罪取り締まりだけでなく、環境保護の面でも非常に重要だと再認識した。

(参考資料:2011年3月10日付「Business Day」など)

2011/03/06

南アの一等地を所有するカダフィ大佐 資産凍結の行方は?

資産凍結の仕組みはどうなっているのだろう。銀行口座なら簡単だが、資産の持ち主が自国民でなく、その上、凍結対象資産を共有する第3者がいる場合は。。。

こんな疑問を持つきっかけとなったのは、リビアのカダフィ大佐だ。

国連安全保障理事会は2月26日、自国民に対する人権侵害を理由に、カダフィ大佐、4人の息子、一人娘の資産凍結と渡航受入れ禁止を15対0で決議採択した。国際法並の規制力を持ち、国連全加盟国が従わなければならなという。

米財務省は直ちに、300億ドル相当の資産を凍結。外国人所有の資産凍結としては、米史上最大。対象となったのは、リビア中央銀行とリビア投資管理局(Libyan Investment Authority:LIA)の資産。いずれもカダフィ大佐が直接コントロールしていると見做したため。

カナダ、イギリス、オーストラリアも、リビア政府及びカダフィ家資産の凍結を開始した。

では、南アフリカの場合はどうか?

リビア政府の資金は、LIAから世界中の投資会社に流れている。そのひとつがリビア・アフリカ投資ポートフォリオ(Lybia Africa Investment Portfolio:LAIP)。LAIPは石油会社、航空会社、ハイテク企業の他、リビア・アラブ・アフリカ投資会社(Lybia Arab African Investment Company:Laaico)を傘下に持っている。

Laaicoは南アフリカで、アンサンブル・ホテル・ホールディングズ(Ensemble Hotel Holdings)社の株を100%所有。同社はアフリカ大陸の経済・金融の中心ジョハネスバーグ、中でもアフリカで最も地価の高いサントン地区で、不動産を数多く共同所有している。

南ア全国でのリビア資産の主なものを見てみよう。いずれもホテルやロッジである。

ハオテン州ではサントンのミケランジェロタワーズ(Michelangelo Towers)、ダビンチホテル(Da Vinci Hotel)、ラファエルスイーツ(Raphael Suites)。サントン以外ではサニーサイドパークホテル(Sunnyside Park Hotel)、エアポートグランド(Airport Grand)、センチュリオンレークホテル(Centurion Lake Hotel)。

西ケープ州ではケープタウンの5つ星ホテル、コモドア(Commodore)とPortswood(ポーツウッド)、ジョージのワイルダネスデューンズ(Wilderness Dunes)。

北西州ではサンシティ近くのバクブン(Bakubung)とクワマリタネ(Kwa Maritane)。リンポポ州のチクドゥ(Tshikudu)とエレメンツ・プライベードゴルフリザーブ(Elements Private Gold Reserve)。更に、東ケープ州のクズコロッジ(Kuzuko Lodge)、ムプマランガ州のクルーガーパークロッジ(Kruger Park Lodge)、クワズールーナタール州のカースルバーン(Castleburn)と全国にわたっている。

国際関係協力省のスポークスマン、クレイトン・モニェラ(Clayton Monyela)によると、「ホテルは現状通り操業するが、カダフィ一家への配当は差し止められるだろう」。しかし、具体的な政策となると、南ア政府の歯切れはいまいち悪い。

カダフィ大佐は、南ア与党アフリカ民族会議(African National Congress:ANC)が解放運動組織であった頃からのよいお友達。未だにANC内で人気が高い。2009年、ズマ大統領の就任式に世界各国の元首や政府高官や王室メンバーが到着した際、スタンディング・オベーション(立ち上がっての拍手喝采)があったのは、ジンバブエのムベキ大統領とカダフィ大佐のふたりだけだった。

人権に敏感な(はずの)南アフリカ政府は、国連決議に従ってカダフィ大佐の資産を凍結するだろうか、それとも長年の友情と今でも変わらぬ人気を優先させるのだろうか。

(参考資料:2011年3月4日付「Mail & Guardian」など)

2011/03/02

アフリカの子鬼「トコロシ」 殺人容疑者の手下?

南アフリカに住む醍醐味は、奇想天外な出来事が日常的に起こること。欧米や日本と変わりない生活を送っていてつい油断すると、いきなりアフリカに鋭いパンチを食らわされる。

今日の『スター』紙で見つけた小さな記事。殺人事件の裁判にやってきた地域住民が、ピーターマリッツバーグ下級裁判所の外でデモ。裁判所に請願書を提出するため、村から45キロも歩いてやってきた。

嘆願書の内容は、「被告が保釈されると、トコロシを操って裁判書類を盗ませるから、保釈しないでくれ」というもの。これだけでは、何のことかチンプンカンプンだろう。

トコロシ(Tokoloshe、Tokolosh、Tokoloshi、Thokolosi、Tikalosheと綴りは様々)は南部アフリカ各地で耳にする、いたずら好きの子鬼みたいなもの。ベッドの下に潜んで眠っている夢を聞き出す才能があり、それを使って悪事を働いたりする。トコロシ予防には、ベッドの下にレンガを置いておく。

1994年の南アフリカ第1回民主総選挙の折には、「投票用紙を記入するテーブルの下にトコロシが潜んでいて、どの党に投票したか探り出す。無記名投票しても無駄」という噂が飛び交った。自分の党に投票させようとする政党の苦肉の策とされるが、多くの人が信じたらしい。

トコロシの役割や働く悪事には色々な説がある。トコロシ自体も、子鬼のように元々そういう存在だったという説や、死人の目と舌を除去してから作られた一種のゾンビーという説などある。大きさがコビトサイズということでは、どの説も一致してる。また、独自で悪さをするとも、サンゴマ(伝統的祈祷師)の使い走りとも言われる。

この事件の被告は、48歳の裕福なサンゴマ、ムドゥドゥジ・マンケレ(Mduduzi Manqule)と30歳のロジャー・トゥシ(Roger Tsusi)。トゥシ被告のガールフレンドの冷凍庫から、ロイサ・ジョクウェニ(Loyisa Jokweni)さん(18)の頭が見つかったことに端を発する。

金持ちになりたかったトゥシ被告がマンケレ被告に相談に行ったところ、ジョクウェニさんの頭をはねて、蛇を巻きつけ、冷凍庫に入れるよう指示されたという。凍った蛇が巻きついた凍った頭を見つけて怒り狂った隣人たちは、マンケレ被告の家とトゥシ被告のガールフレンドの家に火を放った。

ふたりは逮捕されたものの、住民たちはマンケレ被告が手下のトコロシを使って、裁判書類を盗ませるのではないかと心配。そこで、裁判所にマンケレ被告を保釈しないよう訴え出たわけである。

ベッシー・ドゥトイ(Bessie du Toit)裁判長(名前からすると、アフリカーナかカラード)は、住民の言い分には根拠がないとしてマンケレ被告を保釈。トゥシ被告の保釈願いは却下された。

裁判は3月30日まで延期。さて、裁判書類はそれまで無事だろうか。

(参考資料:2011年3月1日付「The Star」など)