(South African History Archive) |
人種の格付けがはっきりしていたアパルトヘイト時代、白人の言葉であるアフリカーンス語と英語の2言語が公用語だったが、誰もがそのふたつをバイリンガルに話していたわけではない。白人でも、英系は英語を、アフリカーナはアフリカーンス語を第一言語とした。
国民の大多数を占める黒人にとって、アフリカーンス語も英語も第一言語ではないが、住んでいる地域の白人の言葉を話す傾向にあった。首都プレトリアはアフリカーナが多いので、その近辺に住む黒人は英語よりアフリカーンス語が得意だったが、経済の中心ジョハネスバーグは英語が中心。従って、ジョハネスバーグに隣接するソウェトでは、英語の方がよく話される。
それを突然、現地で使われる言語とは関係なしに、授業をアフリカーンス語と英語で行い、アフリカーンス語での試験もあるというのだ。「国語」の授業ではない。理科とか算数とか地理とか歴史とかの授業を、よく理解できないアフリカーンス語で行うというのである。授業を行う先生だって、アフリカーンス語が話せない人が多いのに。。。大体、アフリカーンス語はアパルトヘイトを推進する「抑圧者」アフリカーナの言語である。
子供たちはそれに反対したのだ。当時、白人の教育に政府は一人当たり年間644ランドを投じていたが、黒人の教育には僅か42ランド。ろくな設備もない学校。教師1人に対し生徒60人近い過密教室。。。様々な不満が溜まっていたところに、火がついた。
その日、1万人から2万人の生徒が集まったという。
最初はおとなしく行進していた子供たちだったが、警察が到着したのを見てから暴動に発展する。役人が殺害された。警察や教育省の建物が放火された。市バスにも火が放たれた。(多くの犬が火をつけられたり、投石されたりして殺されたらしい。可哀想に、全くのとばっちりである。)
警察は犬を放ち、催涙ガスを投入。生徒たちは石やビンを投げて応戦する。。。
その時、誰が命令したのかわからない。命令はなかったのかもしれない。警察官が子供たちに向かって発砲したのである。他の警察官も後に続いた。
一夜明けたソウェトには、燃え尽きた乗用車やトラックがころがっていた。その辺りの酒屋、ビアホール、コミュニティセンターは殆ど全て放火で破壊された。23名が死亡(公式発表)。一般には死者176名と推定されている。
(この日命を落とした人々の中に、黒人の生活向上に一生を尽くしたメルヴィル・エデルスタイン(Melville Edelstein)がいた。皮肉なことに、「白人」だという理由で、群衆に投石され、殺されたのだ。)
ソウェト蜂起の映像は世界中のテレビで流れた。南アフリカは国際社会で大きな非難を浴びることとなる。
ソウェト蜂起の象徴として有名になったのが、冒頭のサム・ンジマの写真である。実は最初に殺されたのは、16歳のヘイスティングズ・ンドロヴ(Hastings Ndlovu)だといわれる。しかし、ヘイスティングズの死にざまを写真に収めた者はいなかった。代わりに、「ソウェト蜂起で最初に殺された子供」として世界中に有名になったのが13歳のヘクターだ。
当時17歳だったヘクターの姉アントワネットさんは今も元気で、ヘクター・ピーターソン・ミュージアム(Hector Pieterson Museum)のガイドを務めることもある。苗字はシトレ(Sithole)に変わった。
ところが、ヘクターを腕に抱えた18歳のムブイサ・マクブ(Mbuyisa Makhubu)は姿を消してしまう。
ムブイサ君の母親ノムボニソ(Nomboniso)さんは1996年4月30日、「真実と和解委員会」(Truth and Reconciliation Commission)でこう証言している。
「しばらくして、ムブイサがボツワナにいると聞きました。またしばらくして、ムブイサから手紙が届いたのです。ナイジェリアにいると書いてありました。ナイジェリアの連邦政府大学(Federal Government College)で勉強していると。」「ムブイサについては色々な話を耳にしました。病気だとか、気が狂ったとか、死んだとか。」
ノムボニソさんは2004年に死亡した。
(この人がムブイサ? 「The Star」紙より) |
カナダでは最初、ナイジェリア人と名乗っていたが、その後ザンビア人と言い出し、今は南ア人と主張している。南アフリカではまだアパルトヘイトが続いていると信じており、帰国するのを怖がっているという。
写真家のサム・ンジマは「(本当だったら)ものすごいショック。目の前で死んだ人が別の国で目撃されたと言われたみたいだ。」「私はムブイサは生きていないと思っている。」
ヘクターの姉アントワネットさんは「別人だ。年を取っても、顔の特徴はそれほど変わらないものだ。目と口を見ればわかる。写真の人物はムブイサより目が大きい。」
南アフリカ政府はこの男性がムブイサ・マクブと確信しており、既に帰国受け入れの準備をしているという。
現在、DNA鑑定中だそうだが、さて、結果はいかに?
(アントワネットさんとモハメド・アリの娘レイラ・アリ(「The Star」紙) |
(参考資料:2013年9月20日付「The Star」など)
【関連記事】
マンデラ カナダでは未だ「テロリスト」扱い (2012年3月4日)
アフリカーナのバンド「ディー・アントヴアルト」 欧米で大人気 (2012年2月22日)
『ソウェト・セックス・ファイルズ』 ソウェト初のポルノ映画 (2011年6月12日)
0 件のコメント:
コメントを投稿