2013/12/30

占い師が予言する南アフリカの2014年

南アフリカの2014年は、どんな一年になるのか。『サタデースター』紙が意見を求めたのは、経済学者でも、政治評論家でもなく、なんと4人の占い師

まず、タロット占いのミナクシー・ギフワラ(Minaxie Gihwala)氏。

  • 南アフリカ出身の元オリンピック水泳選手、現モナコのシャルレーヌ妃に男子誕生。
  • 総選挙でANCが与党の座を守るものの、ANCが期待するほどの大勝ではない。ジュリアス・マレマ(Julius Malema)率いる「経済自由の戦士」(Economic Freedom Fighters)党が予想を上回る善戦。
  • 南アの通貨ランドは、強くならない。
  • サイの密猟は政府の政策転換のお蔭で多少減少する。
  • ブラジルでのサッカーW杯は、ドラマに溢れたものとなる。ブラジルとスペインが準決勝に進むが、優勝するのは予想外のチーム。
  • 映画『ネルソン・マンデラ 自由への長い道』(Nelson Mandela)は世界中で良い評判を取るものの、アカデミー賞では健闘しない。
  • アイソン彗星(Comet ISON)が世界中で災害をもたらすが、南アはあまり影響を受けない。

2013/12/29

変わった新年の迎え方ベストテン 第4位に南アフリカの家具投げ落とし

今年も余すこと、あと数日。多くの人々が新年を迎える準備に余念がないことだろう。世界各地で、どのような新年の祝い方をするのだろうか。

そこで、ソーシャルネットワーキングサイト、Badoo.comが世界18か国計7200人にアンケートをとってみた。質問はふたつ。「世界で一番変わった新年の迎え方」と「世界で一番楽しい新年の迎え方」は何だと思うか。

変わった新年の迎え方第1位の栄冠(?)に輝いたのは、タルカ市(チリ)に伝わる、墓地で先祖と一緒に新年を迎える風習。

祖先の霊をお迎えするお盆を考えると、それほど変わっているとは私には思えないけど、「変わっている・いない」はアンケートに答えた人の「常識」「普通」に基づいているので、誰に聞いたかによってこういう結果もありだろう。

2013/12/19

マンデラ追悼式のでたらめ通訳、精神病院に収容。コネはやっぱり与党ANC。

12月10日に行われたネルソン・マンデラの追悼式で、図らならずも世界中の注目を集めてしまった、「でたらめ通訳」タムサンカ・ヤンキー(Thamsanqa Jantjie)。

南アフリカの国営放送(SABC)を見ていた人は、ヤンキーの「実況通訳」の大部分を惜しくも見逃してしまった。SABCでは独自の手話通訳を用意しており(鼻っから政府の手配を信用していなかったのだろうか?)、画面ではオバマその他の要人が中央から向かって僅かに右寄り、四角に入った手話通訳が左下に位置。要人の向かって右に立っていたヤンキーは、たまにしか画面に入っていなかったからである。

2013/12/17

「犬のように扱われた。」 マンデラ国葬で疎外された地元住民

ネルソン・マンデラの国葬が12月15日、故郷のクヌ村で盛大に行われた。会場は葬式のために特別に建てらてた白いドーム。

(葬儀用ドーム「Eye Witness News」より)

参加を許されたのは、4500人の選ばれた人々。地元住民、親戚、そして、夜を徹して遠くから旅してきた一般市民は厳重な警備に遮られ、ドームやマンデラ邸に近づくことすらできなかった。

私たちは犬のように扱われました。

マンデラ邸から国道を挟んだ向かいに住み、マンデラの墓穴掘りを手伝ったマシコレ・カラコ(Masixole Kalako)さんは憤慨する。「こんなことはかつてありませんでした。墓穴まで掘った私たちが葬式に出席できないなんて。葬式が終わったら来ていいと言われましたが、残飯を犬にやるようなものです。」

2013/12/15

最後まで父に会えなかったマンデラの「娘」

今日はネルソン・マンデラの「国葬」。故郷のクヌ村で執り行われる。

これに先立ち、マンデラ家内部で話し合いが行われ、「仲直り」することになった。取り持ったのは現マンデラ夫人、グラサ・マシェル(Graça Machel)。マンデラ家内部のねじれにねじれた関係を一時的にも修復できるのは、やっぱりこの人しかいない。

2013/12/14

でたらめだったマンデラ追悼式の手話通訳、実は暴力的な総合失調症 世界の要人を危険にさらした責任は?

12月10日、マンデラの追悼式をテレビで見ていた全世界の聴覚障害者は目を疑った。手話通訳者の「訳」が全くわからないのだ。「あのサインは『揺り木馬』? でも、何故オバマ大統領が揺り木馬の話なんか・・・? えっ、『タバコ』? 『エビ』?・・・なんだ、全然文になってないじゃん!」

(「DESTINY.com」より)
それもそのはず。ソウェト在住、34歳の「手話通訳」、タムサンカ・ヤンキー(Thamsanqa Jantjie)による、全くのでたらめ、行き当たりばったりの創作手話だったのである。

一体、誰が南ア史上最大級の大舞台に「偽通訳」を雇ったのか?

2013/12/11

マンデラの遺体、金曜日まで大統領府 直接お別れを告げる最後のチャンス

マンデラの追悼式が大きな事故もなく無事に終わった。良かったね。タイロン!(いきさつは「今日、マンデラの追悼式」をご覧ください。)

100%大成功!というわけではなかった。
  •  世界が注目する中、男をあげようとしたズマ大統領が、ズマを支持しない与党ANC党員やANCを追い出された元党員から最低5回も派手にブーイングされ、栄光にひたるどころか、大恥をかいてしまった。(ジョハネスバーグが位置するハオテン州のANC支部は、ズマ大統領を支持していない。)
  • 演説や説教を遮ったり、無視してペチャクチャお喋りしている参加者を、司会のシリル・ラマポザ(Cyril Ramaphosa)ANC副党首が「お客さんがみえてるんだ。恥をさらすな。きちんと振舞え!」、ノーベル平和賞受賞者のデズモンド・ツツ(Desmond Tutu)大主教が「南ア人は躾(しつけ)が行き届いていることを世界の皆さんに見せなさい!」と叱った。授業中や朝礼でお喋りを止めない子供が先生に叱られているみたいだな~。 
  • 手話の通訳者が勝手に自分なりの「手話」をねつ造して「同時通訳」したため、テレビを見ていた、耳のきこえない人々がわけがわからず困った。(手話が出来ない自称手話通訳をANCが雇ってしまったらしい。この人、以前にもANCの大会で「同時通訳」したとか。ANCにコネがある人なのだろう。)
 ・・・などなど、大勢(たいせい)に影響のない問題は色々あったものの、まあ、無事に終わって良かった。

2013/12/10

今日、マンデラの追悼式

「明日、バスの事故なんか起こったら最悪だな。。。」

昨夜のことだ。琉球古武術の稽古の後、外科医のタイロンがボツッと漏らした。勤務先はソエトのバラグアナス病院。2010年サッカーW杯の初戦と決勝が開催されたFNBスタジアム(W杯期間中は「サッカーシティ」と呼ばれていた)に近い、南半球最大の床数を誇る病院である。世界でも3番目の規模らしい。

「明日」、つまり今日、FNBスタジアムでマンデラの「追悼式」が開かれる。ズマ大統領は「国葬」を発表したものの、結局葬儀はマンデラの故郷のクヌ村で、15日の日曜日に執り行われることになった。今日の追悼式は皆で集まってマンデラの偉業をたたえ、マンデラにお別れを言う「お祭り」の観がある。

FNBスタジアムは収容人員7万8千人。その他いくつかのスタジアムに巨大スクリーンが用意される。勿論テレビでも生中継。

FNBスタジアムへの入場は先着順。一杯になったら、門を閉じてしまう予定。行き帰りの交通大混雑、なんとしてもスタジアムの中へ入ろうと押し寄せる何万人もの群衆・・・。大きな事故が起こってもおかしくない。政府は「子供は連れて来るな」と警告している。

そして、タイロンは今日、偶然にも、バラグワナス病院救急医療室の当直医、それも責任者なのである。待機する医師はタイロンの他、ほんの2、3人。それに研修中の医学部学生が10数人。「バスの事故などで一挙に60人担ぎこまれたら悪夢」という。

2013/12/07

ネルソン・マンデラ、逝く 弔問客であふれるジョハネスバーグの自宅前

12月5日23時54分、外国特派員協会からメールが届いた。件名は「ネルソン・マンデラ死去」(Nelson Mandela passed away)。

短い本文が続く。「同僚の皆さん、ズマ大統領がネルソン・マンデラの死去を国営放送第2チャンネルで発表します。」( Dear Colleagues,President Zuma announces Nelson Mandela's passing on SABC 2.)

ここ数か月、生命維持装置のお蔭でかろうじて生きていたことは周知の事実。「与党ANCは来年の総選挙まで生きていて欲しいだろうな」と思いつつ、いつ亡くなってもおかしくない状態が続いていた。何か月も喉に管をつっこまれたまま。口もきけなければ、食事もできない。強欲な政治家や近親のせいで、無理やり生き延びさせられているようで、気の毒だった。

だから、心の準備は出来ていたはずなのに、一瞬世界が止まり、頭が空白になった。

ズマによると、亡くなったのは12月5日の20時50分頃。家族に看取られてのこと。

「我が国はその最も偉大な息子を失い、国民は父親を失いました。」(Our nation has lost its greatest son. Our people have lost a father.)

陳腐に聞こえかねないこんなセリフも、マンデラには限りなくふさわしい。

一日経って放心状態から回復し、ジョハネスバーグの自宅に花を持って行くことにした。遺体はとっくに軍隊の病院に移され、腐敗処理を施されている最中であることは知っているが、やはり花を捧げたい。(夫を利用できるだけ利用しようとする政治家や家族が騒ぐ中、外部にはひたすら沈黙を守りながら、献身的に看病を続けたグラサ・マシェル夫人の姿が心に浮かぶ。)