2013/12/07

ネルソン・マンデラ、逝く 弔問客であふれるジョハネスバーグの自宅前

12月5日23時54分、外国特派員協会からメールが届いた。件名は「ネルソン・マンデラ死去」(Nelson Mandela passed away)。

短い本文が続く。「同僚の皆さん、ズマ大統領がネルソン・マンデラの死去を国営放送第2チャンネルで発表します。」( Dear Colleagues,President Zuma announces Nelson Mandela's passing on SABC 2.)

ここ数か月、生命維持装置のお蔭でかろうじて生きていたことは周知の事実。「与党ANCは来年の総選挙まで生きていて欲しいだろうな」と思いつつ、いつ亡くなってもおかしくない状態が続いていた。何か月も喉に管をつっこまれたまま。口もきけなければ、食事もできない。強欲な政治家や近親のせいで、無理やり生き延びさせられているようで、気の毒だった。

だから、心の準備は出来ていたはずなのに、一瞬世界が止まり、頭が空白になった。

ズマによると、亡くなったのは12月5日の20時50分頃。家族に看取られてのこと。

「我が国はその最も偉大な息子を失い、国民は父親を失いました。」(Our nation has lost its greatest son. Our people have lost a father.)

陳腐に聞こえかねないこんなセリフも、マンデラには限りなくふさわしい。

一日経って放心状態から回復し、ジョハネスバーグの自宅に花を持って行くことにした。遺体はとっくに軍隊の病院に移され、腐敗処理を施されている最中であることは知っているが、やはり花を捧げたい。(夫を利用できるだけ利用しようとする政治家や家族が騒ぐ中、外部にはひたすら沈黙を守りながら、献身的に看病を続けたグラサ・マシェル夫人の姿が心に浮かぶ。)

まず、花、花。。。

まだぼーっとしていたのか、我が家の庭に咲き乱れている紫陽花(アジサイ)に思いが及ばず、近くのスーパーマーケットでバラの花束を買う。

いつもは花束で溢れている切り花売り場は殆ど空っぽ。やっぱり弔問客が買っているんだろうなあ。。。

花売り場には、マディバの写真やロウソクが飾ってあった。


あれっ、花売り場の傍で国旗の位置を決めかねているマネージャーらしい人は、マンデラ夫妻と一緒に写真に写っている女性。。。

写真の下にはこんな言葉。「マンデラ家の皆さまに心からお悔やみを申し上げます。スパー、ノーウッド店職員一同」。

「1999年以来、マンデラ家の食料品を承(うけたまわ)ってきました」ともある。マンデラ家御用達のスーパーだったのか。

そう言えば、この「スパー」(Spar)があるグラント通り(Grant Avenue)で、時々マンデラの姿を見かけたなあ。まだ歩ける頃、薬局に入っていったりしてたよなあ。。。
(有名人にたからず、そっとしてあげるのは、南ア人の素敵な国民性だと思う。先月、ケープタウンのテーブルマウンテンのロープウェー乗り場で、トム・クルーズの元妻ケイティー・ホームズと娘のスリちゃんを見かけたが、携帯でパチパチ写真を撮る人も、サインを求める人もいなかった。)
マンデラ邸があるのはハウトン(Houghton)地区。12番アベニュー(12th Avenue)と4番ストリート(4th Street)の角。

一軒の敷地が4000㎡程度の高級住宅街ハウトンで、歩く人の姿を見かけることは普段余りない。(隣が遠すぎる!) だが、今日は違った。私と同じ方向に進む人は殆どが花束を抱えている。親子連れも多い。弔問客だ。といっても、悲痛さはない。からっと晴れた夏の週末、のんびり散歩しているムード。

マンデラ邸の前はすごい人だかり。テレビカメラが高い位置に何台も並ぶ。弔問客にインタビューするジャーナリストたち。。。


友人のグラアムが忙しそうに動き回っていた。かつての報道カメラマン。ここ数年は報道を離れ、自分のプロジェクトに打ち込んでいた。パリの有名画廊で作品が高く売れるグラアムも、海外の新聞社に昔のよしみで手伝いを頼まれたのだろう。恐らく、南アフリカが世界で大注目を浴びる最後の出来事に、世界中のメディアが人を送り込んでいる。

ちゃっかり商売している人もいる。マンデラグッズの販売である。マンデラブランドを管理しているマンデラ財団とか、マンデラ家の許可があるとは思えない。当然、違法行為。咎める人はいない。

写真、Tシャツ、ポロシャツ、野球帽、ベレー帽・・・

・・・布、バッジ・・・。

 家の正面側は道路封鎖され、誰も入れないようになっている。近づける塀の外に花束が積んであった。私の花束もここに置き、合掌。


数メートル先にもう一か所、花束の山。


花の山を背景に、子供の写真を取る親が大勢いた。子供たちが大きくなった時、どんな話を聞かせるのだろうか。

涙はない。見渡す限り、明るく、優しい表情ばかり。「タタ(お父さん)、ありがとう。ゆっくり休んでくださいね」という感謝の思いが空気を満たしている。

マンデラの肖像画を掲げる人たち。


掲げながら、ゆっくり動き出した。歌が始まる。


次から次へと歌が続く中、マンデラ邸を後にした。

ユーチューブで、ジョニー・クレッグ(Johnny Clegg)の『アシンボナンガ』(Asimbonanga)を見つけた。1999年のコンサートを収録したものだ。

マンデラがまだ服役中に作られたこの歌の中で、ジョニー・クレッグは「マンデラの姿をずっと見ていない」(Asimbonang' umandela thina)と歌う。そして、舞台に現れるマンデラ本人。


元気一杯で、ふくよかで、純真な子供と全てを理解している賢人が合わさったような微笑みを浮かべている。この姿を永遠に心に留めておきたい。

Rest in peace, Tata Madiba!


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