2013/07/21

ジョハネスバーグの伝説的レストラン「フラマドゥラス」、46年の幕を閉じる。オーナー殺害

マーケットシアター(Market Theatre)の入り口にある伝説的レストラン「フラマドゥラス」(Gramadoelas)が閉店することになった。オーナーは人生とビジネスの両面で45年にわたってパートナーだった、エドゥアン・ノディエ(Eduan Naudé)とブライアン・シャルコフ(Brian Shalkoff)。


ふたりが出会った時、ブライアンはまだ20歳。兵役を終えたばかり。軍隊では士官の料理人を務めていた。37歳のエドゥアンはロンドンから戻って来たところだった。

エドゥアンは元々、洋服のデザイナー。17歳の時、イギリスでバンドをやっていた友人たちがツアーをするため南アにやって来た。共演した若い黒人ミュージシャンの衣装を任せるという。まだ無名だった、20歳のミリアム・マケバ(Miriam Makeba)もそのひとり。ブライアンが作ったのは水着のハギレで作ったドレス。「あのドレスのお蔭で私は有名になったのよ」と、生前マケバはよく冗談を言ったらしい。そのドレスを着たマケバの写真が「フラマドゥラス」に飾ってある。1955年、ユルゲン・シャーデベルク(Jürgen Shadeberg)が撮ったものだ。

エドゥアンはデザイナーとして成功する夢を胸に秘め、イギリスに渡る。テレビ番組のドレスデザイナーになろうとしたが思い通りに行かず、チェルシーのレストラン「キャセロール」(Casserole)で働く。近くに住んでいたエリザベス・テイラー(Elizabeth Taylor)とリチャード・バートン(Richard  Burton)が常連だったという。

エドゥアンは1967年、ジョハネスバーグのヒルブラウ(Hillbrow)地区に、地下駐車場を改造したレストラン「フラマドゥラス」を開く。当時のヒルブラウはボヘミア的雰囲気に溢れた白人地区だった。

実は、「レストラン」の営業許可は取れていなかった。取れたのは、「ボーディングハウス」(boarding house)、つまり「食事付き下宿屋」の営業許可。「下宿人に食事を出す」名目で、レストランを始めたわけだ。アパルトヘイトの最盛期に、どんな人種でも暖かく迎え入れた。(後にブライアンは「誰が持っていても、お金の色は同じ」(The colour of everybody's money is the same)と説明している。)

エドゥアンが生涯のパートナー、ブライアンに出会ったのはその翌年のことだ。

「フラマドゥラス」はその後、ジュベア・パーク(Jourbert Park)で約10年営業。更に1992年、マーケットシアターに乞われて現在のニュータウン(Newtown)地区に移る。マーケットシアターは1976年設立のリベラルな劇場。南アフリカ発の新しい作品などを次々と上演してきた。

アパルトヘイト崩壊後、「フラマドゥラス」にやって来る客は益々コスモポリタンになった。リベラルな白人に加えて、ファッショナブルな黒人知識層や海外からの有名人、一般観光客も増えた。

ネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)、ビル・クリントン(Bill Clinton)夫妻、フランソワ・ミッテラン(François Mitterrand)などの政治家、イギリスやデンマークの女王、カトリーヌ・ドヌーブ(Catherine Deneuve)、デンゼル・ワシントン(Denzel Washington)、モーガン・フリーマン(Morgan Freeman)などの俳優、ディヴィッド・ボウイ(David Bowie)、エルトン・ジョン(Elton John)などの歌手。。。「フラマドゥラス」で南ア料理を堪能した有名人を数えたら切りがない。

ノーベル文学賞受賞作家でジョハネスバーグ在住のネイディン・ゴーディマ(Nadine Gordimer)は、友だちのハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte)を連れてきた。大富豪ニッキー・オッペンハイマー(Nicky Oppenheimer)はロンドンからオペラ団を連れて来て、自分の誕生日を祝った。

アパルトヘイト時代は南ア白人の伝統料理が中心だったメニューに、アパルトヘイト後は南ア黒人の伝統料理が加わった。

しかし、5年前、マーケットシアターから言い渡される。2013年にリース契約が切れたら更新しない、と。大規模な改築工事が予定されており、改築後「フラマドゥラス」を入れる場所がない、というのだ。

だから、心の準備は出来ていた。それに、ブライアンの健康が思わしくなかった。改築工事のため、客足も遠のいていた。潮時だと思った。静かな老後をふたりで過ごせば幸せだ。

ところが、先月、エドゥアンとブライアンは自宅のすぐ側で暴漢に襲われる。ふたりはレストランが移動した後も、ヒルブラウに住んでいた。かつてのお洒落なボヘミアン地区は、今では麻薬と売春と犯罪の巣窟。アパートに戻る途中、銃を持った4人組の黒人男性に囲まれたのだ。

4人はまずエドゥアンを殴った。そした、標的をブライアンに移す。意識がなくなるまで、交代で蹴り続けた。盗んだのは携帯電話、現金、ノートパソコンだけ。

病院に運ばれた時、ブライアンは既に重体だった。一時は回復の兆しを見せたものの、その後悪化し、7月1日、生命維持装置のスイッチが切られた。享年65歳。

ブライアンに恨みがあった者の仕業、とエドゥアンは見る。同性愛者憎悪が原因、という人もいる。

襲われる前、「殺してやる」という脅迫がいくつもあったという。警察に届けたが、「何の犯罪も起こっていない」という理由で指も動かしてくれなかった。殺されてしまった後、警察からは捜査の進捗状況に関して何の連絡もない。

「僕は82歳。ブライアンは死んでしまった。もう何もできることはない」とエドゥアンは肩を落とす。

「開業以来、このレストランが僕の人生のすべてだった。」「今から何をすればよいのか、どこへ行けばいいのか、全く途方に暮れている。」

「フラマドゥラス」の最後の営業日は7月27日。友達に「大々的な閉店イベントを開いては?」と勧められたが、そんなお金はない。店の中のものは7月31日にオークションにかけられるという。

アフリカーンス語で「どこでもない場所の後ろの端」(the back end of nowhere)を意味するというジョハネスバーグの名所が、間もなく悲しい幕切れを迎える。

(参考資料:2013年7月5日付「Mail & Guardian」、7月20日付「Saturday Star」など)

【関連HP】
フラマドゥラス(Gramadoelas)
マーケットシアター(Market Theatre)

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