2017/12/31

シリル・ラマポザってどんな人? ANC新党首、そして恐らく次期南ア大統領

2017年12月18日、南アフリカ与党ANC(アフリカ民族会議)の党大会で、シリル・ラマポザ(Cyril Ramaphosa)副大統領が新党首に選出された。対抗馬はジェイコブ・ズマ(Jacob Zuma)大統領の元妻ンコサザナ・ドラミニ=ズマ(Nkosazana Dlamini-Zuma)。得票数は2440対2261。わずか179票の差。

まず、有効投票数が4701という少なさに驚く。総選挙で6割以上の得票率を過去20年以上勝ち得てきた与党の党首、そして恐らく次期大統領が5000人以下の投票で決まったわけだ。わずか2440人が人口5000万人以上の国の次期大統領を決めたことになる。

次に、ラマポザの勝利が僅差であったことに驚く。

ラマポザ(1952年11月17日生)は大学で法律を学びながら、学生運動に参加。卒業後、南ア最大最強の労働組合NUM(全国鉱山労働者組合)を組織。卓越した戦略家、交渉者として、アパルトヘイトの終焉と平和的政権交代に大きく貢献した。マンデラはラマポザに大統領職を継いで貰いたかったが、ターボ・ムベキが後継者に決まってからは実業界に身を投じ、南アでも有数の大富豪になった。

シリル・ラマポザ

一方のドラミニ=ズマ(1949年1月27日生)は医師。ラマポザ同様、学生時代から政治に関わった。ずっと南アフリカに留まったラマポザとは違い、1976年に亡命している。元夫ジェイコブに会ったのはスワジランドだった。黒人政権誕生後、女性政治家の登用を重視するANCの政策のおかげで、保健相(マンデラ大統領)、外相(ムベキ大統領)、内務相(ズマ大統領)を歴任。2012年からはアフリカ連合(AU)の議長を務める。紙の上では錚々たる経歴だが、どれも並みか平均以下という評価だ。

ンコサザナ・ドラミニ=ズマ

候補者2人の資質と適性を鑑みると、最初から勝負はついている。人種に関わりなく、一般市民の期待も、ラマポザ勝利だった。それなのに得票が僅差であったのは、ジェイコブ・ズマ大統領が元妻を後継者にしたかったから(大統領は5年任期2回までと決まっており、ジェイコブ・ズマは既に2期目)。離婚したとはいえ、元夫のおかげで要職に就いているし、4人の子供たちも大きな恩恵を受けている。汚職にまみれ、私腹を肥やすことしか興味のない、大統領としては超無能のジェイコブは、元妻を後継者にすることで、自分の影響力を保ちたかった。そして、ジェイコブの周りで甘い汁を吸う者たちが、ンコサザナに投票したのだ。

ANC党首選でドラミニ=ズマが勝利した場合、2019年の総選挙でANC支持者の投票数が大幅に減り、その結果ANCは与党になれない」という研究者の予想があった。もしそれが正しいとすると、ラマポザが党首になったことはANCにとって喜ばしい。

一方、ジェイコブの支持者にとっては、せっかくンコサザナが党首になっても、総選挙で野党になってしまったら甘い汁が吸えなくなるわけなので、党大会でンコサザナが勝とうと負けようと結果的には大差ないかもしれない。いや、ンコサザナが党大会で負けた方が、2019年までに党内政治でうまく立ち回れる可能性がある。実際、新たに選ばれた党中央執行委員会の半数がズマ派だし、「ンコサザナを副大統領に!」という運動が既に活発化している。選出されたばかりの副党首(本来なら副大統領になる人物)は「それでもいいよ」と言っているらしい。

さて、恐らく南アフリカの次期大統領になるシリル・ラマポザとはどんな人なのだろう。

南アフリカの元ジャーナリストで、現在ボストンに在住し、ラマポザをよく知っているシャーリーン・スミス(Charlene Smith)が、ラマポザについてフェイスブックに長い投稿をしていた。シャーリーンの許可を得て、以下、一部抜粋する。

シャーリーン・スミス
*****

私はシリルにインタビューした最初のジャーナリストだった。1982年か83年だったように記憶している。シリルはNUMを立ち上げたばかりだった。(中略)

私はシリルの誠実さと知性に感銘を受けた。それまでインタビューした中で、最も頭の良い人だった。(中略)

抵抗運動について報道していたことから、シリルにはよく会った。私たちはお互いを尊敬していた。1980年代中頃には、私は地下の政治組織に参加するようになっていた。そのため、私たちは違った環境の元で会うことになる。その後、私は南アフリカを去り、日本、そしてアルゼンチンに住んだ。私とシリルが親友になったのは、友人のディヴィッド・ウェブスターが1989年に暗殺され、私が南アに戻って来てからのことだった。

私はサクソンウォルドの小さな家に、子供たちと住んでいた。料理が大好きだったし、話を聞くのが得意だったことから、多くの解放運動家が我が家を訪れた。シリルはそのひとりだった。(中略)

シリルと私の間に絆が生まれた。鉱山を回って一日を過ごした後、「今から行ってもいいか」と夜の11時に電話して来ることもあった。(これはシリルに限ったことではなく、他の解放運動家も同様だった。)私はいつもイエスと答えた。温かい、作り立ての料理が待っていることをシリルは知っていた。私たちは何時間も話に花を咲かせたものだった。(中略)

ジェイコブ・ズマは早くから、自分を将来の指導者と目していた。亡命から戻って来たANC活動家は、ズマとマシュー・ポザが最初だった。(中略)ふたりに初めて会ったとき、私はマシューが大いに気に入った。今でも大好きだ。だが、ジェイコブには不快感を感じた。あまりにも下品で無遠慮。あまりにもニセモノ。

マンデラについて私が書いた初めての本が1999年8月に出版されたとき、祝賀会で集合写真を撮った。ズマはマンデラの隣に座った。礼儀に従えば、グラサ夫人が座る場所だ。だが、ズマは礼儀を気にする人間ではない。グラサ、シリル、私その他は後ろに立った。

シリルとマディバはとても親密だった。マディバが1999年、大統領になって欲しかったのはシリルだった。(中略)

2012年8月、マリカナ事件が起こった。警察の発砲により、鉱山労働者14人が命を落としたのだ。(中略)私はシリルに尋ねた。「マリカナの真相はどうなの?」 シリルは冷たい顔で答えた。「不可抗力だ。」(中略)私たちはそれ以来、口をきいていない。

これだけは是非言っておきたい。シリルはこれまでで最高の南ア大統領になるだろうマディバ以上に偉大な大統領になるだろう。(中略)南アを修復するのは大仕事だし、たやすく出来ることではない。

確かにシリルも間違いを犯している。しかし、マディバはこう言っている。「私の成功事例を見て、私を判断しないでください。何度転び、何度立ち上がったかによって、評価してください。」(後略)

【参考資料】
シャーリーン・スミスのフェイスブック投稿

【関連ウェブサイト】
シャーリーン・スミスのHP

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