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2017/07/31

南アで一番有名な絵画モデル、天寿を全う トレチコフ『中国人の少女』


1950年のケープタウン。モニカ・シン・リー (Monika Sing-Lee)さんはおじさんが経営する洗濯屋で働いていた。そこに入って来たカーリーヘアの男性。モニカさんに目が釘付けになる。

二人きりになった時、男性は言った。

「こんにちは。トレチコフという者です。あなたの絵を描きたいのですが。」

ウラジミール・トレチコフ(Vladimir Tretchikoff)という画家だった。

トレチコフは1913年12月26日、シベリアの、とある町で、8人兄弟の末っ子として生まれた。家庭は裕福だった。1917年のロシア革命時、トレチコフ一家はロシア移民が多かった中国のハルビンに逃れる。ハルビンで16歳まで学校に通い、また市内のロシアオペラハウスで風景画家として働く。絵は独学という。

上海の広告・出版会社で働いていた時、やはりロシア人移民の女性と恋に落ち結婚。ふたりはシンガポールに移る。太平洋戦争勃発後は、英情報省のプロパガンダアーチストとして働いた。

1942年2月、乗っていた南アフリカ行きの脱出船が日本軍に爆破される。生き残った42人がボートを漕いで辿り着いたスマトラは、既に日本軍に占拠されていた。そこから19日かけて、更にジャワまでボートを漕ぐ。しかし、ジャワも日本軍の手に落ちており、トレチコフは捕虜となった。3か月間独房に収容されたものの、「ロシア人だから釈放されるべき」と主張し釈放され、戦争が終わるまでバタビア(現在のジャカルタ)で日本人アーチストの元で働く。