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2018/04/03

ウィニー・マディキゼラ=マンデラ、亡くなる 解放運動の闘士、ネルソン・マンデラの元夫人

"She is brave but stupid."

「勇敢だけど愚かだ」というのは、25年位前、ズールー語の先生ノムサが当時ネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)夫人だったウィニー・マンデラ(Winnie Mandela)を形容した言葉。

ノムサはウィニーと同じコサ族。年も同じくらい。「ウェンディ」という英語名もあるが、「奴隷名」と呼んで嫌っていた。「アフリカ人の名前が発音できない白人のために、これまで嫌々英語名を使ってきたけれど、これからは私たちの時代!」という気概が感じられた。

ノムサは知的で聡明で、しっかりと自分の意見を持った人だった。ズールー語を教えるのが本職だったのだろうか。それとも、それはパートで、昼間は別の仕事についていたのだろうか。

簡潔で淡々としたノムサの言葉は、客観的なウィニー評のように聞こえた。

昨日(2018年4月2日)、ウィニー・マディキゼラ=マンデラ(Winnie Madikizela-Mandela)が亡くなった。享年81歳。

普通、死人の悪口は言わないものだ。葬式で故人の人柄や業績を称えても、欠点をあげつらう弔問客はいない。

しかし、歴史的人物の死亡記事・報道の場合、業績を重視しつつも、欠点や失敗や汚点にも歴史的評価として触れるのが一般的である。大抵9割x1割くらいの比率だろうか。ところが昨日、今日の報道を見ると、ウィニーの場合、特に第3者として客観的に論じやすい外国メディアで、それが6割x4割くらいになっている。

2017/12/31

シリル・ラマポザってどんな人? ANC新党首、そして恐らく次期南ア大統領

2017年12月18日、南アフリカ与党ANC(アフリカ民族会議)の党大会で、シリル・ラマポザ(Cyril Ramaphosa)副大統領が新党首に選出された。対抗馬はジェイコブ・ズマ(Jacob Zuma)大統領の元妻ンコサザナ・ドラミニ=ズマ(Nkosazana Dlamini-Zuma)。得票数は2440対2261。わずか179票の差。

まず、有効投票数が4701という少なさに驚く。総選挙で6割以上の得票率を過去20年以上勝ち得てきた与党の党首、そして恐らく次期大統領が5000人以下の投票で決まったわけだ。わずか2440人が人口5000万人以上の国の次期大統領を決めたことになる。

次に、ラマポザの勝利が僅差であったことに驚く。

2017/12/12

あなたの世界観を変える200人の女性たち

2017年2月、ニュージーランドの出版社から長いメールが入った。

「男女不平等をテーマにしたプロジェクトを企画している。世界中の女性200人を取材し、400ページの本として出版する予定。また、写真とオーディオの展覧会を世界中で開催する。更に、収益の少なくとも10%を女性の保護や人権拡大に貢献している団体に寄付する。何百万人もの女性の生活を向上させ、世界中の男たちを啓蒙し、心を開かせる可能性があるプロジェクトだ。ついては、200人のひとりになってくれないか。OKなら、3月9日か10日にジョハネスバーグでインタビューしたい」という内容。

あまり表に出るのは好きではないので、テレビ出演(こんなところに日本人がいた、みたいな)などは全部断ってきたが、人権問題に長年関わってきた良心的な出版社であるし、世の中のためになりそうなプロジェクトなので、あまり深く考えず承諾する。普段まったく世の中に貢献していない身としては、せめてこのくらいのことでもしないとバチがあたろう。

メールに添付されていたPDFの説明書によると、「世界中の様々なバックグラウンドを持つ女性200人へのインタビューを基にした、画期的な本と国際的な展覧会」。

「様々なバックグラウンドを持つ女性」って・・・?

「有名な女性、無名な女性。華々しくもてはやされている女性、社会の周縁にいる女性。裕福な女性、貧乏な女性。黒、茶、赤、黄、白。逆境に打ち勝った女性、先頭に立つ女性。被害者と英雄。聖人と罪びと。あまりにも多くの女性たち、少女たちが基本的な自由や平等を求めていまだに戦っている今このときに、私たちを啓発し、鼓舞し、ポジティブな変化をもたらしてくれる女性たち。」

なぜ私なんぞに話が来たか不明だが、それなりの理由があるのだろう。「多様性」(diversity)に花を添えるくらいか。(「無名」の「黄色人種」代表?)

2017/08/09

名門ホテルまで「マンデラ」商売 ケープタウンのマウントネルソン

ケープタウンの名門ホテル「ベルモンド・マウントネルソン・ホテル」(Belmond Mount Nelson Hotel)がネルソン・マンデラの回顧録 Dare Not Linger:The Presidential Years 発売を記念したパッケージを売り出す。

マンデラの回顧録といえば、自伝『自由への長い道』(Long Walk to Freedom)が有名。1994年に発行され、これまでに1500万部売れたという。

Dare Not Linger は『自由への長い道』の続編にあたり、大統領時代の1994年から1999年までを扱っている。

マンデラは2013年に既に亡くなっているのに、なぜ今ごろ回想録を…?

2017/07/31

医師によるマンデラ暴露本に許可を与えたのは元妻と娘?

ネルソン・マンデラ元大統領の晩年を描いた、元軍医総監ヴェジャイ・ラムラカン(Vejay Ramlakan)の暴露本が、グラサ・マシェル未亡人、マンデラ家の跡取りマンドラ、マンデラの遺言執行者などから非難を浴び、出版社が発売1週間で前代未聞の回収に踏み切ったことについては数日前にお伝えしたが(ネルソン・マンデラ晩年の暴露本 発売1週間で出版社が回収 )、2017年7月30日付けサンデー・タイムズ(Sunday Times)紙が興味深い情報を公開した。



サンデー・タイムズが入手したのは、ウィニー元夫人と娘マカジウェがラムラカンに宛てた自筆のメッセージ。

2017/07/28

ネルソン・マンデラ晩年の暴露本 発売1週間で出版社が回収

ネルソン・マンデラが亡くなって3年半。「マンデラ」のブランド力は増すばかりだ。

アマゾンでマンデラを題材にした塗り絵本が約1万7千400ランド(現在の為替レートで約15万円)で売り出されているという。メアリー・ベンソン(Mary Benson)のマンデラの伝記は約6万ランド(約51万円)、マンデラのサイン入り自伝 Long Walk to Freedom (邦訳は『自由への長い道』)は約5万ランド(約42万7千円)。

そんな中、マンデラの晩年を描いた暴露本が出版された。題して、Mandela's Last Years: The true story of Nelson Mandela's final journey, by the head of his medical team (マンデラの晩年:医療チーム長が見たネルソン・マンデラ最後の旅の実話)。著者は元軍医総監のヴェジャイ・ラムラカン(Vejay Ramlakan)。



軍医総監(surgeon general)とは国軍で最高位の医者。元大統領の健康管理は国軍の仕事であり、ラムラカンはマディバの医療チームの長だった。衰弱したマディバの状況を知り尽くしていた数少ない人物のひとりだ。

2016/09/18

新刊『ネルソン・マンデラ 私の愛した大統領』 個人秘書の回想録

ネルソン・マンデラの個人秘書だったゼルダ・ラグレインジの回想録、もうすぐ邦訳が出ます。



マンデラ関係の訳書は、日記、手紙、未発表の自伝原稿などを集めた『ネルソン・マンデラ 私自身との対話』、名言集『ネルソン・マンデラ 未来を変える言葉』に次いで、私にとってこれが3冊目。出版社はいずれも明石書店。

以下、訳者あとがきから。

* * * * * * *

南アフリカに暮らす外国人にとって、魔訶不思議なことがある。「アパルトヘイトを支持していた」という南ア白人にまず会わないことだ。

アパルトヘイトは、1948年から1994年まで政権を担当した国民党による人種分離政策である。その間、定期的に総選挙が行われ、アパルトヘイトに反対する野党が存在したにも関わらず、毎回国民党が圧勝した。つまり有権者(白人のみ)の大半は国民党の政策アパルトヘイトを支持していたはず。それなのに、アパルトヘイトが終わってみると、「人種差別は良くない」ことで国民の意見が一致し、かつてアパルトヘイトを支持していたという白人にお目にかからないのだ。

そんな中、自分がレイシスト(人種差別主義者)だったこと、国民党より更に右翼の保守党に誇りを持って投票したことを正直に認めるゼルダ・ラグレインジは新鮮である。過去を認め、過去と向き合って初めて、自分を変えることができる。現実に前向きに対処できる。人間として成長できる。

そして、ゼルダ・ラグレインジの目を開かせたのは、20世紀が生んだ世界的偉人、南アフリカ初の黒人大統領ネルソン・マンデラだった。

***

ゼルダは、政治とは縁もゆかりもない、ごく普通の家庭で育った。毎週日曜日に教会に行く、信心深い家庭。まわりの人々も皆そうだった。大人になったら、結婚して子供を持つ以外、とりたてて夢はなかった。

ゼルダが育ったコミュニティを形成するのは、オランダ語から派生したアフリカーンス語を第一言語とする、「アフリカーナ」と呼ばれる白人たち。黒人が人口の大半を占める南アフリカだが、ゼルダと黒人の付き合いは住み込みのメイドのジョガベスだけ。黒人は劣った存在、怖い存在と教え込まれ、その肌に触れることは「タブー」だった。ゼルダが「ある意味で我が家の一員」と感じ、ゼルダの「母親代わり」「命綱的存在」だったジョガベスにしても、アパルトヘイトの法律により、夫や自分の子供と一緒に住むことができない。収入を得るために他人の子供を育てながら、自分の子供の傍にいて、愛情を注ぎ、成長を見守ることが許されないジョガベスの境遇を、ゼルダはおかしいと感じない。

ごく「普通」と思っていたことが、現代世界の価値観からするとまったく「普通」ではないことに気がついたのは、大統領執務室で働き始めた20代のことだ。「まるで、これまで別の惑星に暮らしていたかのように感じた」とゼルダは本書の中で告白している。自分の国の現状や歴史にあまりに無知だった。黒人に居住の自由がないことも、1976年のソウェト蜂起で数多くの子供たちが殺されたことも知らず育った。ネルソン・マンデラについては、長年刑務所に入っていたテロリスト程度の知識しかなかった。

2016/03/05

マンデラ家の跡取り、4度目の結婚 イスラム教に改宗

マンデラ家の跡取り息子マンドラ(Zwelivelile "Mandla" Mandela)がイスラム教徒に改宗して、イスラム教徒の女性と結婚した。人種も文化も宗教も違う女性と結婚するとは、さすが「和解の人」ネルソン・マンデラの孫息子!

でも、・・・マンドラって、結婚してなかったっけ?

マンドラは1974年、ジョハネスバーグのソウェトで生まれた。父親はネルソン・マンデラと最初の妻エヴェリンの息子マハト(1950-2005)。1995年までスワジランドの中等学校で教育を受けた後、南アフリカのローズ大学に入学。卒業したのは、なんと2007年、30歳を超えてからだ。その間、働いていたわけではなく、学生生活を楽しんでいたようだ。

マンデラ家は東ケープ州ムヴェゾ(Mvezo)の首長だったが、ネルソン・マンデラの父親が1900年代の初頭、地元の裁判官と問題を起こし首長の座を追われる。跡取りのマディバ(ネルソン・マンデラ)は弁護士であること、解放運動に身を尽くすことを理由に、若くして首長職を継ぐ権利を放棄。それが、約70年ぶりにマンデラ家の首長職を再興しようという話になり、マハトが既に死亡していたことから、マハトの長男マンドラが2007年、32歳の時に首長に就任する。

ムヴェゾは人口わずか800人。行政は地方政府が行なうから、首長の仕事は伝統的な行事を執り行うこと程度。だが、首長には政府から給料が支給される。農村部で力のある首長を取り込むことで、住民の票を確保しようとする与党ANC(アフリカ民族会議)の政策である。

マンドラはまた、晩年ぼけて衰弱し、自分の意志を通すことのできないマディバをANCの集会に担ぎ出したりしてズマ現大統領に貢献し、2009年の総選挙後、国会議員にしてもらう(南アの国会議員は比例代表制選挙で選出される)。首長の給料に、国会議員の給料が加わったわけだ。更に、ズマ家と近いマンドラは、ズマの家族と一緒に事業を起こし、マンデラ家とズマ家の名前とコネを思う存分私利私欲に利用している。

マンドラはマディバが亡くなる何年も前に、「マンデラの葬式の報道権を300万ランドでSABCに売った」として問題になったこともある(「AP通信とロイターがマンデラをスパイ? 警察が監視カメラを撤去 根拠はアパルトヘイト時代の法律 」)。また、マディバが危篤状態の際、マンデラ家の人間3人の墓を家族に無断で掘り起し、遺体をクヌからムヴェゾに移動して家族に訴えられている(「マンデラ対マンデラの戦い マンデラ家の跡取り、家族に訴えられる 遺体を勝手に墓場から移動 」)。

・・・といったような調子で、マンデラ家の跡取りには残念ながら、あまり芳しい評判がない。

結婚に関してもそうだ。なんと過去12年に4回も結婚しているのだが、これが問題続き。

最初の妻はタンド・マブンダ(Thando Mabunda)。2004年6月に、正式に結婚した。

最初の夫人タンド(Tims Live)

内務省に「配偶者」として登録できる妻はひとりだけ。ズマ大統領には複数の妻がいるが(「ズマ大統領 また結婚 「現役妻」は4人」)、一夫多妻を容認するアフリカ部族のために、第2妻以降にも配偶者としての権利を認める法律があるからで、ズマ大統領にしても内務省登録の妻はひとりだけである。

2014/06/01

作中のマンデラ演説は創作 脚本家が爆弾発言 映画『自由への長い道』

ネルソン・マンデラの自伝『自由への長い道』(Long Walk to Freedom)の原著が出版されたのは1994年。2013年、映画版『マンデラ 自由への長い道』(Mandela: Long Walk to Freedom)が公開された。(日本では2014年5月24日から上映。)


映画版で脚本を担当したウィリアム・ニコルソン(William Nicholson)が一昨日の5月30日、イギリスのウェールズで毎年開催される文学祭「ヘイフェスティバル」(Hay Festival)で講演したが、「思いがけない内輪話や苦労話が聞けるのではないか」と期待していた聴衆は当惑したかもしれない。そんなものか、と納得したかもしれない。怒ったかもしれない。

なにしろ、映画の中でマンデラ役のイドリス・エルバ(Idris Elba)が行なった演説は、殆どがニコルソンの創作だったというのだから。つまり、マンデラが実際に行なった演説ではなく、ニコルソンが勝手に作り上げた、というのだ。

一体、何故、そんなことを・・・?

「演説のうち、ひとつを除いて全ては私が創作したもの。マンデラ自身が行なった演説はとても退屈だから。」

「マンデラが刑務所から出て来た時に行なった演説ときたら、(退屈のあまり)眠ってしまうほどだ。」

2014/05/31

新刊『ネルソン・マンデラ 未来を変える言葉』 マンデラの名言集

拙訳『ネルソン・マンデラ 未来を変える言葉』が、いよいよ2014年6月1日、刊行される。



思えば、朝日新聞のK氏と「マンデラの名言集を出したいね~」と話していたのは、10年以上前のことだった。今から考えると、その時実現しなくて良かった。当時アクセス出来たマンデラの言葉は、演説など公の文書しかなかったからだ。手紙や日記など私的文書を含んだ引用集は、2010年のConversations with Myself (邦訳『ネルソン・マンデラ 私自身との対話』2012年)を待たなければならなかった。

『私自身との対話』を訳し終えてすぐ、短い引用を集めたBy Himself (2011年)の訳に取り掛かった。『私自身との対話』同様、ネルソン・マンデラ財団が編集したマンデラ公認の引用集である。

By Himsef は2000もの引用を300以上のカテゴリーに分けて編集したもの。高さ1ミリくらいの細かい文字がぎっしり詰まっていて、見るだけでうんざりしてしまう。しかも、同じような引用が多い。更に、日本人には全く意味をもたないものが沢山ある。マンデラ財団の職員とっては、どれもこれも大切な言葉で、何千、何万もの文を泣く泣く削りに削ったのだろうが、また、1次資料としては大変貴重だろうが、こんな本を訳しても、殆どの人は読む気にならないないだろう。

そこで、原著出版社の許可を取って、引用を削る作業に取り掛かった。内容が重複したものや、日本人の心に響かない言葉を割愛していったのだ。

そうこうしているうちに、アメリカでNotes to the Future が出るという話を聞いた。By Himself と同じ編集者だが、約300の引用を厳選したものだ。是非、翻訳を!と願ったものの、諸事情によりやっと今年に入って明石書店が邦訳の版権を獲得し、出版実現の運びとなった。

2014/05/06

ネルソン・マンデラ国際映画祭、実現なるか? 第1回は2015年12月

2014年4月4月23日、ニューヨークで「ネルソン・マンデラ国際映画祭」(Nelson Mandela International Film Festival)が旗揚げされた。

「ニューヨークでマンデラ映画祭が始まる!」というのは早とちり。マンデラ家の跡取り、マンドラ・マンデラ(Mandla Mandela)がマンハッタンの「トライベッカ映画祭」(Tribeca Film Festival)で発表した、という話だった。

マンドラ・マンデラ(SABC)
トライベッカ映画祭は、2002年、ロバート・デニーロ(Robert De Niro)ら3人が創設した映画祭。世界中から300万人が訪れ、年間6億ドルの収益があるという。

「第1回ネルソン・マンデラ国際映画祭」は2015年12月3-12日に、南アフリカの港町ポートエリザベス(Port Elizabeth)で開催される予定。

何故、この町で…?

2014/05/02

マンデラの70歳誕生日コンサート、ドキュメンタリーに

1988年6月11日、ロンドンのウェンブリー・スタジアム(Wembley Stadium)でネルソン・マンデラの70歳誕生日コンサート「The Nelson Mandela 70th Birthday Tribute」が開かれた。

マンデラ70歳誕生日コンサートのポスター

プロデューサーはイギリス人のトニー・ホリングワース(Tony Hollingsworth)。構想を練ったのは1986年の初めという。イベントの主眼は、「ネルソン・マンデラをはじめとする南アフリカの政治犯の釈放」「アパルトヘイトの撤廃」「南アフリカへの制裁」の3点を求めること。世界の注目を集めるためには、大物ミュージシャンの出演とテレビ中継が欠かせない。

大物ミュージシャンとテレビ中継を確保するため、ホリングワースは走り回る。その努力は並大抵のものではなかった。

2014/02/04

マンデラの遺書公開 元妻ウィニーへは一銭も残さず

ネルソン・マンデラが亡くなって約2か月。遂に遺書が発表された。

昨日はクラシック音楽専門ラジオ局の「クラシックFM」ですら、「正午にネルソン・マンデラ財団でマンデラの遺書が発表される」と、早朝から30分ごとに繰り返していた。「マンデラ・ブランド」を利用した子孫によるビジネスの数々や、財産を巡るマンデラ家の醜い内輪もめがここ数年メディアを賑わしたためか、「マンデラは誰にいくら遺産を残すのだろう」と世間の野次馬根性が大いに刺激されていたのだ。

マンデラ財団は場所を提供しただけで、発表を行ったのは遺言執行人を代表した、ディハン・モセネケ(Dikgang Moseneke)最高裁判所副長官。遺言執行人はモセネケ副長官に裁判官のテンバ・サンゴニ(Themba Sangoni)と、弁護士でマンデラの長年の友人ジョージ・ビゾス(George Bizos)を加えた3人。

遺書公開の後、ご丁寧にも、マンデラ財団から遺書の「プレスパック」(press pack)が届いた。遺言執行人作成による遺書の短縮版だ。といっても、22ページもある。題して、「ネルソン・マンデラ元大統領の遺書に関する覚書」(Memorandum Relationg to the Last Will and Testament of Former President Nelson Mandela)。

送られてきた「覚書」の1ページ目


個人の遺書の内容を何故ここまで公開するのか?

「覚書」に説明があった。遺産相続を「透明」に「迅速」に行なうことが目的という。子孫が異議申し立てをして、相続処理が長引くのを防ぐためだ。

推定額4600万ランド(約4億6000万円)の遺産の行方だが、まず、現夫人グラサ・マシェル(Graça Machel)。

2013/12/30

占い師が予言する南アフリカの2014年

南アフリカの2014年は、どんな一年になるのか。『サタデースター』紙が意見を求めたのは、経済学者でも、政治評論家でもなく、なんと4人の占い師!

まず、タロット占いのミナクシー・ギフワラ(Minaxie Gihwala)氏。

  • 南アフリカ出身の元オリンピック水泳選手、現モナコのシャルレーヌ妃に男子誕生。
  • 総選挙でANCが与党の座を守るものの、ANCが期待するほどの大勝ではない。ジュリアス・マレマ(Julius Malema)率いる「経済自由の戦士」(Economic Freedom Fighters)党が予想を上回る善戦。
  • 南アの通貨ランドは、強くならない。
  • サイの密猟は政府の政策転換のお蔭で多少減少する。
  • ブラジルでのサッカーW杯は、ドラマに溢れたものとなる。ブラジルとスペインが準決勝に進むが、優勝するのは予想外のチーム。
  • 映画『ネルソン・マンデラ 自由への長い道』(Nelson Mandela)は世界中で良い評判を取るものの、アカデミー賞では健闘しない。
  • アイソン彗星(Comet ISON)が世界中で災害をもたらすが、南アはあまり影響を受けない。

2013/12/19

マンデラ追悼式のでたらめ通訳、精神病院に収容。コネはやっぱり与党ANC。

12月10日に行われたネルソン・マンデラの追悼式で、図らならずも世界中の注目を集めてしまった、「でたらめ通訳」タムサンカ・ヤンキー(Thamsanqa Jantjie)。

南アフリカの国営放送(SABC)を見ていた人は、ヤンキーの「実況通訳」の大部分を惜しくも見逃してしまった。SABCでは独自の手話通訳を用意しており(鼻っから政府の手配を信用していなかったのだろうか?)、画面ではオバマその他の要人が中央から向かって僅かに右寄り、四角に入った手話通訳が左下に位置。要人の向かって右に立っていたヤンキーは、たまにしか画面に入っていなかったからである。

2013/12/17

「犬のように扱われた。」 マンデラ国葬で疎外された地元住民

ネルソン・マンデラの国葬が12月15日、故郷のクヌ村で盛大に行われた。会場は葬式のために特別に建てらてた白いドーム。

(葬儀用ドーム「Eye Witness News」より)

参加を許されたのは、4500人の選ばれた人々。地元住民、親戚、そして、夜を徹して遠くから旅してきた一般市民は厳重な警備に遮られ、ドームやマンデラ邸に近づくことすらできなかった。

「私たちは犬のように扱われました。」

マンデラ邸から国道を挟んだ向かいに住み、マンデラの墓穴掘りを手伝ったマシコレ・カラコ(Masixole Kalako)さんは憤慨する。「こんなことはかつてありませんでした。墓穴まで掘った私たちが葬式に出席できないなんて。葬式が終わったら来ていいと言われましたが、残飯を犬にやるようなものです。」

2013/12/15

最後まで父に会えなかったマンデラの「娘」

今日はネルソン・マンデラの「国葬」。故郷のクヌ村で執り行われる。

これに先立ち、マンデラ家内部で話し合いが行われ、「仲直り」することになった。取り持ったのは現マンデラ夫人、グラサ・マシェル(Graça Machel)。マンデラ家内部のねじれにねじれた関係を一時的にも修復できるのは、やっぱりこの人しかいない。

2013/12/14

でたらめだったマンデラ追悼式の手話通訳、実は暴力的な総合失調症 世界の要人を危険にさらした責任は?

12月10日、マンデラの追悼式をテレビで見ていた全世界の聴覚障害者は目を疑った。手話通訳者の「訳」が全くわからないのだ。「あのサインは『揺り木馬』? でも、何故オバマ大統領が揺り木馬の話なんか・・・? えっ、『タバコ』? 『エビ』?・・・なんだ、全然文になってないじゃん!」

(「DESTINY.com」より)
それもそのはず。ソウェト在住、34歳の「手話通訳」、タムサンカ・ヤンキー(Thamsanqa Jantjie)による、全くのでたらめ、行き当たりばったりの創作手話だったのである。

一体、誰が南ア史上最大級の大舞台に「偽通訳」を雇ったのか?

2013/12/11

マンデラの遺体、金曜日まで大統領府 直接お別れを告げる最後のチャンス

マンデラの追悼式が大きな事故もなく無事に終わった。良かったね。タイロン!(いきさつは「今日、マンデラの追悼式」をご覧ください。)

100%大成功!というわけではなかった。
  •  世界が注目する中、男をあげようとしたズマ大統領が、ズマを支持しない与党ANC党員やANCを追い出された元党員から最低5回も派手にブーイングされ、栄光にひたるどころか、大恥をかいてしまった。(ジョハネスバーグが位置するハオテン州のANC支部は、ズマ大統領を支持していない。)
  • 演説や説教を遮ったり、無視してペチャクチャお喋りしている参加者を、司会のシリル・ラマポザ(Cyril Ramaphosa)ANC副党首が「お客さんがみえてるんだ。恥をさらすな。きちんと振舞え!」、ノーベル平和賞受賞者のデズモンド・ツツ(Desmond Tutu)大主教が「南ア人は躾(しつけ)が行き届いていることを世界の皆さんに見せなさい!」と叱った。授業中や朝礼でお喋りを止めない子供が先生に叱られているみたいだな~。 
  • 手話の通訳者が勝手に自分なりの「手話」をねつ造して「同時通訳」したため、テレビを見ていた、耳のきこえない人々がわけがわからず困った。(手話が出来ない自称手話通訳をANCが雇ってしまったらしい。この人、以前にもANCの大会で「同時通訳」したとか。ANCにコネがある人なのだろう。)
 ・・・などなど、大勢(たいせい)に影響のない問題は色々あったものの、まあ、無事に終わって良かった。

2013/12/10

今日、マンデラの追悼式

「明日、バスの事故なんか起こったら最悪だな。。。」

昨夜のことだ。琉球古武術の稽古の後、外科医のタイロンがボツッと漏らした。勤務先はソエトのバラグアナス病院。2010年サッカーW杯の初戦と決勝が開催されたFNBスタジアム(W杯期間中は「サッカーシティ」と呼ばれていた)に近い、南半球最大の床数を誇る病院である。世界でも3番目の規模らしい。

「明日」、つまり今日、FNBスタジアムでマンデラの「追悼式」が開かれる。ズマ大統領は「国葬」を発表したものの、結局葬儀はマンデラの故郷のクヌ村で、15日の日曜日に執り行われることになった。今日の追悼式は皆で集まってマンデラの偉業をたたえ、マンデラにお別れを言う「お祭り」の観がある。

FNBスタジアムは収容人員7万8千人。その他いくつかのスタジアムに巨大スクリーンが用意される。勿論テレビでも生中継。

FNBスタジアムへの入場は先着順。一杯になったら、門を閉じてしまう予定。行き帰りの交通大混雑、なんとしてもスタジアムの中へ入ろうと押し寄せる何万人もの群衆・・・。大きな事故が起こってもおかしくない。政府は「子供は連れて来るな」と警告している。

そして、タイロンは今日、偶然にも、バラグワナス病院救急医療室の当直医、それも責任者なのである。待機する医師はタイロンの他、ほんの2、3人。それに研修中の医学部学生が10数人。「バスの事故などで一挙に60人担ぎこまれたら悪夢」という。