2010/05/25

W杯グッズでお祭り気分

ワールドカップ開幕まであと2週間ちょっと。バファナバファナが弱いせいか、今ひとつ盛り上がりに欠けていたヨハネスブルグでも、やっとお祭りムードが高まって来た。

土産物店、スーパー、スポーツショップなどで、ワールドカップグッズのオンパレード。各チームのユニフォーム、各国の国旗、サッカーボール型灰皿、ザクミ人形、マグカップ・・・。



日本チームサポーター用のリストバンドを見つけた。



路上行商人にとっても、かつてない稼ぎ時。普段は赤信号で止まった車相手に、ハンガー、身分証明書入れ、自家用車用携帯電話チャージャー、サングラス、靴下、果物などを売っている人たちが、賑やかな色の国旗を腕一杯に抱えている。一番人気はなんといっても、南アフリカ。ポルトガル、ドイツ、ブラジル、イタリア、ナイジェリアの旗も人気があるとか。


なかでも良く売れているのが、車につけるタイプ。クリップで窓に挟むもの、アンテナにつけるもの、サイドミラーにかぶせるミトン型などがある。お値段も20ランド(約260円)とお手頃。



マイカーだけではない。マイホームでも、南アの国旗を掲げる人が増えた。国旗を手にする人々の笑顔は、心なしかいつもよりちょっぴり誇らしげに見える。犯罪、失業、エイズ、汚職など、山積みする問題を一時忘れてお祭り気分に浸るのも、たまにはいいかもしれない。

2010/05/22

覆面王子の嫁さん探し

BBCのリアリティ番組「アンダーカバープリンス」(Undercover Princes)が南アでも放映される。「覆面捜査官」ならぬ「覆面王子」。3人の独身王子が、イギリスで人生の伴侶を見つけようという趣向。

といっても、面白オカシイのが身上のリアリティ番組。おカタくて公務で忙しい、ヨーロッパの王室や日本の皇室を期待してはいけない。選ばれた3人は、インドのマンヴェンドラ王子、スリランカのレミジウス王子、そして南アのアフリカ・ズールー王子。

いずれも「世が世なら」のクチ。マンヴェドラ王子はハウスキーパー、アフリカ王子はバーテンダー、レミジウス王子はウェイター。優雅な王侯貴族の生活とは程遠い。

ストリッパーに紹介されたり、マンヴェドラ王子がゲイだったりと、アフリカ王子(30)にとっては驚きの連続。でも、ロンドンの女性は南ア女性より「フレンドリーで、面白くて、温かい」とご満悦。



発展途上国から来た有色人種の若者、それもバーテンダーなどをしている「王子」が、慣れない先進国で失敗したり誤解を招いたりするのを見て笑う、という僭越な人種差別の匂いがしないこともない。

興味津々ながら、我が家には衛星放送どころかテレビもない。見た方、是非感想を聞かせてください。BBC Entertainment、火曜日、夜9時半放送とのこと。


(参考資料:2010年5月20日付「The Times」など)

2010/05/21

200ランドの偽札にご注意

「200ランド紙幣はお断りします。」 最近そんな張り紙を店で見かけるようになった。偽札が多いせいだという。

1994年、南ア紙幣の顔が変わった。アフリカーナーにとっての「建国の父」で17世紀のオランダ人、ヤン・ファンリーベックから、アフリカらしい「ビッグ5」になったのだ。「ビッグ」といっても大きさではなく、「射止めるのが難しい5動物」を指すハンター用語が語源。10ランドがサイ、20ランドがゾウ、50ランドがライオン、100ランドがバッファロー、200ランドがヒョウである。

2005年、準備銀行はセキュリティを強化した新紙幣を発行。比べてみると確かに違う。しかし、色とモチーフは1994年版と同じだし、両方とも正式の紙幣だから、普通の人はいちいちそこまで気をつけない。

100ランド、200ランドの偽札は以前から問題視されていた。それがこのところ、200ランド偽造紙幣が以前にも増して大量流通。W杯期間中の混乱が心配されるようになった。

そこで準備銀行は、1994年から2005年に発行された古いシリーズの200ランドの回収を決定。531日までなら、どこの銀行でも新しいシリーズに交換してくれる。61日以降は、準備銀行まで持って行かなければならない。準備銀行が遠い田舎では不評だ。混乱が収まるまで取りあえず、新しいのも古いのも、200ランド紙幣は受けつけない小売店が増えている。

日本でランドを用意してW杯観戦に臨む予定の皆さん、200ランド紙幣は持って来ない方がいいですよ。色々面倒です。

 (本物の見分け方を指南する準備銀行のポスター)

2010/05/19

白人ジェノサイド反対デモ

5月15日土曜日、赤いTシャツを着た集団約400人が、ロンドンの街を練り歩いた。南アの国旗を掲げ、白い十字架を持ち、ブブゼラを吹き鳴らし、「Stop crime!」とスローガンを繰り返す、この不思議な団体は、全員が南ア白人。「南アの現状、犯罪、白人のジェノサイド、殺人全般、農場主の殺害についての意識向上キャンペーン」だという。えっ、白人のジェノサイド? 一瞬耳を疑った。

「ジェノサイド」(genocide)といえば、「gen(人種・種類)+cide(殺し)」=「特定の人種・民族・集団の計画的な大虐殺」である。ナチスによる組織的殺人を表現するために、1944年にユダヤ系ポーランド人の弁護士、ラファエル・レムキンが作った言葉だ。ニューレンベルグ裁判では、ナチスによる「人類に対する犯罪」を描写するのに使われた。1948年、国連が「集団殺害罪の防止および処罰に関する条約」(the Convention on the Prevention and Punishment of the Crime of Genocide)を承認。ジェノサイドの対象が、特定の国民、民族、人種、宗教的グループへと拡大定義された。1994年に人口の20%にあたる80万人が殺されたルワンダを始め、ボズニアやダルフールなどが頭に浮かぶ。

まわりを見渡してみると、ラグビーの試合結果に一喜一憂したり、親バカぶりを発揮したり、職場の人間関係に悩んだり、恋に落ちたり失恋したり。普段と変わりない白人たち。とても虐殺に脅え慄いているようには見えない。

大体、南アの犯罪は、白人が狙い撃ちされているわけではない。貧富の差も人種の違いも差別なく、被害に遭っている。白人たちはアパルトヘイト後の犯罪の増加を嘆くが、強盗や殺人はそれ以前にも数多くあった。ただ、黒人たちはアパルトヘイト時代、田舎のホームランドや都市周辺のタウンシップに押し込められ、白人居住区は通行証がないと歩くことも許されなかった。社会的経済的政治的歴史的理由で、犯罪者になるのは黒人が多かったから、白人居住区では、警察国家ならではの「安全」と「平和」が保たれていたわけだ。

その後、南アが民主国家になって、国民は通行証なしでどこでも行けるようになった。南部アフリカが平和になり、国境の往来が楽になった。各地で内戦が終わり、余った武器が簡単に手に入るようになった。それに従って、犯罪が白人居住区にも広がり、凶悪化するようになった。平和と民主主義が犯罪を助長するという、皮肉なことになったわけだ。黒人が組織的に460万人以上の白人を、肌の色を理由に集団殺害しようとしているなんて話は勿論ありえない。

「白人のジェノサイド」を訴えるロンドンの集団は、誇張された噂を信じているだけだろうか。本人や家族が犯罪の被害に遭ったため、危機意識が過剰になったのだろうか。元々被害者意識が強いパラノイアだから、イギリスに移住したのだろうか。

それとも、祖国の現状を憂い、未来を心配する善良な国民が、人目を引くために意識的に扇動的な言葉を使っただけかもしれない。もしそうなら、残念ながら、彼らの思惑は裏目に出たとしか言いようがない。人々の心に残ったのは、南アの苦境ではなく、彼らの人種差別者的態度だから。

(参考資料:2010年5月17日付「The Times」など)

2010/05/18

先生、何言ってるの?

ザニーン近くの孤児院で。エイズで親を亡くした子供たちが殆ど。HIV陽性の子供たちも沢山いる。

2010/05/17

W杯応援はこの顔で決まり!

スーパーマーケットで「FACE PAINT KIT」(顔用絵具一式セット)を見つけた。黒、緑、黄、白、赤、青。南ア国旗の色だけが揃っている。ワールドカップを狙ってのことだろう。

こう塗れば正解。立派なバファナバファナファンの出来上がりだ。

キャッチフレーズは「PLAY my tribe」。「お気に入りチームを応援しましょう」なんて、お上品なコギレイなものではない。もっとドロドロした、原始的根源的なエネルギーを感じさせる「部族」ときた。ブブゼラを鳴らし、雄たけびをあげる南アサッカーファンにふさわしい。

赤と白も入っているので、SAMURAI BLUEファンの皆さん、「日の丸顔」でスタジアムに繰り出しませんか? 21.95ランド、約280円です。

2010/05/14

アンゴラ人富豪の息子誘拐事件

5月9日午前9時半、南ア在住のアンゴラ人でダイヤモンド富豪、ファウスティーノ・アモエス氏の息子サミュエル君(5歳)がジョハネスバーグの教会で誘拐された。

犯人からの身代金要求電話に震える声で答える母親、側で盗聴器・逆探知機を駆使する捜査官、身代金の金額と受け渡し場所に同意する両親、犯人逮捕に全力をあげる警察、数日間報道規制をしき、動向を見守るマスコミ・・・と勝手に想像を膨らませていたら、翌月曜日には、まだコンタクトのない犯人に対し、息子を無事返してくれるよう訴えかける母親の写真が新聞に大きく掲載された。火曜日の朝、現金15万ドルと引き換えに、サミュエル君は母の腕に無事抱かれる。

サミュエル君の家族は全く対応してくれない警察を見限って、なんと優秀な私立探偵を雇い、自力で息子を取り戻したのである。

一部の例外はあるものの、南アの警察官は概ね無能と国民に思われている。盗難や交通事故で警察に届けに行っても、調書もろくにとれない警察官が多い。国民も、盗難保険や車両保険の申請に事件番号が必要だから届けるだけで、警察に期待しているわけではない。保険に関係なければ、重大な事件でない限り、届けないこともよくある。

だが、有名人や政界財界の大物が被害者だと、あっという間に犯人が捕まるから、やれば出来ないことはないのだろう。とすると、サミュエル君の場合は、父親が大富豪であるとは言え、一般には無名の人、それもアンゴラ人であることが警察の態度に影響したのだろうか。南ア黒人が周辺諸国のアフリカ人を嫌う傾向から、つい勘ぐってしまう。

大変なのはサミュエル君の今後である。本人の名前も顔も、15万ドルをポンと出す親の、職業も名前も顔も住所も大きく報道されてしまった。恐らく、全国的どころか、周辺諸国中に知られてしまったのではないか。二匹目のドジョウを狙う犯罪者から身を守るため、要塞のような家に住み、友達と遊ぶのにもボディガードがつくような子供時代を送らないですむことを祈っている。

Soweto Sunset ソエト 夕暮れ時

晩ご飯ができるのを待ちながら遊ぶ子供たち。

2010/05/13

ジョハネスバーグ交響楽団 ポストアパルトヘイトの西洋文化受難時代を生き抜く

ジョハネスバーグ交響楽団(JPO:Johannesburg Philharmonic Orchestra)、2010年第2シーズン第2週の演目は、ブラームスのバイオリン協奏曲と交響曲第4番。指揮者はイラン出身で世界的に著名なアレクサンダー・ラハバリ(Alexander Rahbari)、ソリストはフランス人のフィリップ・グラファン(Philippe Graffin)。

フィリップ・グラファン

熱演後、ラハバリ(1948年生)は白髪頭が並ぶ観客席に向き直り、「あなた方はまだ幼かったから覚えてないかもしれないけど、私が南アへ初めて来たのは、もう何年も前、私がまだ若かった時のこと・・・」と片言の英語ながら茶目っ気たっぷりに、南アへの思い入れを熱く語り始めた。現在、南アの音楽家が2人、彼に師事しているという。心温まるエピソードを披露してから、アンコール2曲という大サービスに観客は大喜び。「ブラボー!」が連発された。

アレクサンザー・ラハバリ

マンデラ政権誕生当初は「虹の国」気分に国民全体が高揚し、至福感がみなぎったものの、暫くすると、アパルトヘイト時代の反動か、「黒人でなければ人にあらず」風潮が強まった。白人男子大学生は就職に苦しみ、「黒人でなければ、もう絶対ミス南アになれないだろう」と言われ、公務員の新規採用は白人にとって殆ど開かずの門となり、「白人リベラル」イコール「利権にしがみつく人種差別者」とみなされ、コネのない白人中小企業の将来は絶望的のように見えた。

「アフリカ化」がマントラとなり、西洋文化の受難時代となった。バレーやクラシック音楽などを植民地時代の悪遺産のように弾劾する一方で、懐が暖かくなるやいなや、先を争ってローレックスやベンツを購入する新興エリートたちの姿が、滑稽で物悲しかった。「アフリカ対西洋」という二律背反の原理に従えば、コンピューターやジーンズやヒップポップも排除するべきではないか、と「ダブルスタンダード」に憤りを感じた。どの文化からも「いいとこ取り」する寛容さの欠如が悔やまれた。

白人至上主義から黒人至上主義へという振り子の大きな動きは、時代が要求するものだったのだろう。その後、真中付近で落ち着いた感がある。白人がミス南アになっても誰もおかしいと思わないし、電力会社エスコムは解雇した白人技術者を再雇用し、バレーやクラシック音楽が悪魔視されることはなくなった。

資金難のため解散に追い込まれたナショナル・シンフォニー・オーケストラも、2000年、JPOとして甦る。企業や個人の寄付により、財政的にも安定。パトロンは大富豪のシリル・ラマポザ、チェアマンやマネージングディレクターも黒人。ミュージシャンも、白人以外がジワジワ増え、現在1割強を占める。起業家やホワイトカラー労働者として、財政的成功を目指す若者が大多数の中、なかなかの健闘ではないかと思う。

ただひとつ残念なのは、会場に色と活気が乏しいこと。白人老人が観客の殆どを占めるため、白い肌に白い頭が観客席を埋める。この状態が続けば、観客数や寄付金の減少、ひいてはオーケストラの存続問題につながるのでは、と心配だ。国民の大多数が中流階層になって、物質的要求一辺倒から心の豊かさに関心が向かうようになり、いつの日か、様々な肌の色、様々な年齢の人々のエネルギーが会場を満たすことを心待ちにしている。