日本大使館主催の「日本文化祭」(Japan Cultural Expo)が2018年3月1日から3日、プレトリアのショッピングモール「ブルックリンモール」(Brooklyn Mall)で開催された。
日本・南ア外交関係樹立100周年記念行事の一環とのこと。
・・・えっ? 日本・南ア外交関係樹立100周年記念ということで、2010年に大々的に色々なイベントが行われたはず・・・。個人的にもその一環で、2010年プレトリアの国立劇場で絵画の個展を大使館主催で開催したし、2011年には100周年記念の目玉である「日本研究センター」を、プログラムディレクターとしてプレトリア大学ビジネススクール内に立ち上げた。
その100年前の1910年は日本名誉領事が任命された年。今年の100年前にあたる1918年は、プレトリアに日本領事館が開設された年。そういうわけで、またもや「100周年記念」の年となったわけだ。
2018/03/14
2017/07/31
南アで一番有名な絵画モデル、天寿を全う トレチコフ『中国人の少女』
二人きりになった時、男性は言った。
「こんにちは。トレチコフという者です。あなたの絵を描きたいのですが。」
ウラジミール・トレチコフ(Vladimir Tretchikoff)という画家だった。
トレチコフは1913年12月26日、シベリアの、とある町で、8人兄弟の末っ子として生まれた。家庭は裕福だった。1917年のロシア革命時、トレチコフ一家はロシア移民が多かった中国のハルビンに逃れる。ハルビンで16歳まで学校に通い、また市内のロシアオペラハウスで風景画家として働く。絵は独学という。
上海の広告・出版会社で働いていた時、やはりロシア人移民の女性と恋に落ち結婚。ふたりはシンガポールに移る。太平洋戦争勃発後は、英情報省のプロパガンダアーチストとして働いた。
1942年2月、乗っていた南アフリカ行きの脱出船が日本軍に爆破される。生き残った42人がボートを漕いで辿り着いたスマトラは、既に日本軍に占拠されていた。そこから19日かけて、更にジャワまでボートを漕ぐ。しかし、ジャワも日本軍の手に落ちており、トレチコフは捕虜となった。3か月間独房に収容されたものの、「ロシア人だから釈放されるべき」と主張し釈放され、戦争が終わるまでバタビア(現在のジャカルタ)で日本人アーチストの元で働く。
2015/09/20
南アナショナルチーム監督が国民に謝罪 ラグビーワールドカップ
「最初に得点したのは日本。日本がリードしているよ。」
9月19日、南アフリカ時間の17時59分に、税理士からこんなショートメッセージが入った。
その日、ラグビーワールドカップで日本と南アフリカが対戦するというので、南アフリカの友人、知り合いから次々に電話やメッセージから届いていた。「あなたのふたつの祖国がラグビーで対戦なんて、心中察しています」なんていうメッセージもあったが、我が家にテレビはないし、とりわけ熱心なラグビーファンでもない。敢えて友人宅やスポーツバーに行って、テレビ観戦しようとも思わなかった。正直、「どうせ負けるだろう」とタカをくくっていた。
税理士からのメッセージは続く。(しかし、なんで一年に一回しか会わない税理士から・・・。)
「また日本が先行した。10対7。日本のプレイは素晴らしい!」(18時25分)
「29対29。日本が勝つかもしれない。まるでニンジャのようだ!」(19時29分)
「日本が34対32で勝った。よく頑張った!」(19時47分)
え~、まさか~!
これは、南ア人にとって非常なショックだろう。『南アフリカを知るための60章』(明石書店)にも書いたが、南ア人は大のスポーツ好き。特にラグビーは、狂信的崇拝者が多い。ワールドカップでも、初参加した1995年に優勝、1999年3位、2003年ベスト8、2007年優勝、2011年ベスト8という成績。世界ランキング3位。一方の日本は1987年の第1回大会からワールドカップに出場しているものの、これまで24戦行った中、勝ったのは1991年の対ジンバブエ戦のみ。1995年の南ア大会では、ニュージーランドに145対17で大敗している。
9月19日、南アフリカ時間の17時59分に、税理士からこんなショートメッセージが入った。
その日、ラグビーワールドカップで日本と南アフリカが対戦するというので、南アフリカの友人、知り合いから次々に電話やメッセージから届いていた。「あなたのふたつの祖国がラグビーで対戦なんて、心中察しています」なんていうメッセージもあったが、我が家にテレビはないし、とりわけ熱心なラグビーファンでもない。敢えて友人宅やスポーツバーに行って、テレビ観戦しようとも思わなかった。正直、「どうせ負けるだろう」とタカをくくっていた。
税理士からのメッセージは続く。(しかし、なんで一年に一回しか会わない税理士から・・・。)
「また日本が先行した。10対7。日本のプレイは素晴らしい!」(18時25分)
「29対29。日本が勝つかもしれない。まるでニンジャのようだ!」(19時29分)
「日本が34対32で勝った。よく頑張った!」(19時47分)
え~、まさか~!
これは、南ア人にとって非常なショックだろう。『南アフリカを知るための60章』(明石書店)にも書いたが、南ア人は大のスポーツ好き。特にラグビーは、狂信的崇拝者が多い。ワールドカップでも、初参加した1995年に優勝、1999年3位、2003年ベスト8、2007年優勝、2011年ベスト8という成績。世界ランキング3位。一方の日本は1987年の第1回大会からワールドカップに出場しているものの、これまで24戦行った中、勝ったのは1991年の対ジンバブエ戦のみ。1995年の南ア大会では、ニュージーランドに145対17で大敗している。
2015/03/09
人種別居住がもたらすもの 南アフリカ在住者の視点
「BLOGOS」編集部に依頼された寄稿記事を転載します。普通は、このブログの記事をBLOGOSが時折掲載してくれるのですが、今回は逆ですね。 南アフリカでは全然話題になっていないので、問題となった曽野綾子氏の記事をBLOGOS編集部から送ってもらいました。
日本では、曽野綾子氏の産経コラムが「アパルトヘイトを奨励するものである」として大きな批判を受けていると聞いた。
南アフリカでは、とりわけ大きなニュースにはなっていない。ネットで検索したところ、いくつかのメディアのデジタル版が通信社の記事をそのまま掲載していた。「曽野氏のコラムに在京南アフリカ大使ペコ氏が抗議した」という内容だ。南ア国内では、その程度の反応である。
問題のコラムに目を通して唖然とした。
「人種差別撤廃後、大家族主義の黒人がヨハネスブルグでマンションを購入し、白人やアジア人なら家族4人が暮らすようなスペースに20-30人で住み始めたため、水道から水が出なくなって白人が皆逃げ出した。従って、居住地は人種別にすべきだ」という議論である。
どんな家族だろう。男性と複数妻とその子供たちだろうか。それとも、両親と成人した息子数人とその家族だろうか。大切な祖先の霊が眠る故郷を一家揃って離れるとは、よっぽどの事情があったのだろうか。
マンションを購入できるほどの裕福な家庭らしいが、事業で成功して現金で買ったのだろうか。それとも会社勤め人が銀行ローンを利用したのだろうか。いずれにせよ、20-30人も家族がいるのに、4人分のスペースしか確保せず、愛する家族を劣悪な住環境に置く変わった家長である。
しかも、曽野氏の書き方からすると、一家族だけではないようだ。一軒のビルに同様の集団が何家族も住み始めたらしい。なんとも荒唐無稽な話。
* * * * * * *
日本では、曽野綾子氏の産経コラムが「アパルトヘイトを奨励するものである」として大きな批判を受けていると聞いた。
南アフリカでは、とりわけ大きなニュースにはなっていない。ネットで検索したところ、いくつかのメディアのデジタル版が通信社の記事をそのまま掲載していた。「曽野氏のコラムに在京南アフリカ大使ペコ氏が抗議した」という内容だ。南ア国内では、その程度の反応である。
問題のコラムに目を通して唖然とした。
「人種差別撤廃後、大家族主義の黒人がヨハネスブルグでマンションを購入し、白人やアジア人なら家族4人が暮らすようなスペースに20-30人で住み始めたため、水道から水が出なくなって白人が皆逃げ出した。従って、居住地は人種別にすべきだ」という議論である。
どんな家族だろう。男性と複数妻とその子供たちだろうか。それとも、両親と成人した息子数人とその家族だろうか。大切な祖先の霊が眠る故郷を一家揃って離れるとは、よっぽどの事情があったのだろうか。
マンションを購入できるほどの裕福な家庭らしいが、事業で成功して現金で買ったのだろうか。それとも会社勤め人が銀行ローンを利用したのだろうか。いずれにせよ、20-30人も家族がいるのに、4人分のスペースしか確保せず、愛する家族を劣悪な住環境に置く変わった家長である。
しかも、曽野氏の書き方からすると、一家族だけではないようだ。一軒のビルに同様の集団が何家族も住み始めたらしい。なんとも荒唐無稽な話。
2011/08/14
アメリカからの速達航空便 4週間かかって到着
アメリカ合衆国オレゴン州から、分厚い封筒が届いた。4週間前発送された、速達書留航空便。(詳しくは「当世南ア事情 届かぬ郵便物」)震災義援金を募る国際版画展「Inspired by Japan」の作品が送られてきたのだ! 約50点が2部ずつ。しめて100枚の版画。
ところが郵便局で、消費税と通関料を併せて、1600円強請求された。送り主のバーバラ・メイソン(Barbara Mason)さんが「総価値」を「100ドル」と書いてしまったため、14%の消費税と通関料がかかってしまったのである。
ちょっと悔しいが、アメリカでは1枚75ドルで販売しているということなので、
「バーバラさんが単純計算し、総価値7500ドルと書かなくて良かった!」と胸を撫で下ろした。息子たちに事業を任せ引退し、版画に身を打ち込んでいるというバーバラさん。3月11日に地震が起こった直後、世界の版画家に呼び掛けて、義援金集めプロジェクトを開始した。熱い心と行動力の持ち主。メールのやり取りからしても、すごくいい人っぽい。
後からフェデックスで送って貰った作品(ずっと前に届いてしまった)と併せて、57点が4枚ずつとなった。南アフリカからの出品作は20枚ある。日本に対する関心の薄い南アフリカで、200枚以上の版画を売り捌くことができるだろうか?

バーバラさんが主宰しているのは、「ばれんフォーラム」(Baren Forum)というインターネットをベースにした版画家グループ。版画を始めたばかりの素人から、超有名美術館が作品を購入する確立した版画家まで、メンバーの経験や経歴は様々。
「Inspired by Japan」に手を挙げてくれたアーチストから、どの程度の作品が集まるのか。楽しみである一方、一抹の不安があった。が、全くの取り越し苦労だった。バラエティに富んだ力作が集まり、嬉しい限り。(作品はこちらで。アーチストの名前をクリックすると、大きな絵と説明文が出てきます。)
ジョハネスバーグの展覧会では1点につき1枚、フレームに入れて展示する予定。展示担当者のジョンに各作品1枚ずつ渡したところ、翌日「6枚売れた」との連絡。
「買い手に引き渡したので、展示する作品が足りなくなった。取りに行く」って、あの~、渡したのはまだ売り物じゃないんですけど。。。
南アフリカでは、1点500ランド(6000円)で販売する。いずれも、このプロジェクトのためのオリジナル、部数限定作品。
9月17日に小沢大使を招いてのオープニングとはいえ、9月30日には日本赤十字社の東日本震災義援金口座が閉じられてしまう。。。それで、オープニングより早めの9月13日に展示を開始し、9月30日に終了する予定だったが、ジョンが「8月24日から展示しよう!」
・・・というわけで、展覧会の日程が更に前倒し。「8月24日から9月24日ま
![]() |
| バーバラさんの作品 |
大パーティーは9月17日、正午から。琉球古武術保存振興会の面々が、演舞に駆けつけてくれるという。頼もしい。オリジナルTシャツも作成中。
関連記事:
当世南ア事情 届かぬ郵便物 2011年8月5日
作品:Love and Hope for Japan from South Africa 2011年7月30日
2011/03/19
がんばれ日本!南ア救援チーム出発
東北大震災。中国の陰に隠れ、南アフリカであまり注目されることのない日本に脚光が当たった。
大災害というと、悲惨さが強調され、「可哀想」という気持ちが先立つ。言語を絶する状況に翻弄され、なすすべもなく絶望する人々の姿が報道される。ひたすら援助を待つ人や、自分が生き延びるために、他人を押しのけ、時によっては傷つける人、混乱に乗じて盗みを働く者。。。ポジティブな側面を目にすることはあまりない。まして、国民性が注目されることなど。。。
日本は違った。悲しみや辛さや苦しさに変わりはないはずなのに、 他人を思いやり、列を守り、文句を言わず、自らオーガナイズし、できる範囲でだれもが精いっぱい努力する姿に世界中が胸を打たれた。9/11での助け合いや、個人の英雄的な行為などの例外はあるが、被災者全体が驚嘆の目で見られたことはかつてなかった。
南アフリカでも、今まで顔の見えなかった日本人の評価が一挙に高まった。
日本と何の関係もない人々が募金に応じてくれた。知り合いの中華レストランでは、「おじいちゃんがお墓の中で目をムクかもしれないけど」とオーナーが笑いながら、慈善夕食会を企画。一晩だけの予定が、あまりの反響の大きさに二晩に延長した。
そんな中、南アの救援チーム「Rescue South Africa」が日本に向けて出発。宮城県石巻で救援活動に当たる。
ビーバ、南アフリカ、ビーバ! Viva South Africa Viva!
ビーバ、日本、ビーバ! Viva Japan Viva!
大災害というと、悲惨さが強調され、「可哀想」という気持ちが先立つ。言語を絶する状況に翻弄され、なすすべもなく絶望する人々の姿が報道される。ひたすら援助を待つ人や、自分が生き延びるために、他人を押しのけ、時によっては傷つける人、混乱に乗じて盗みを働く者。。。ポジティブな側面を目にすることはあまりない。まして、国民性が注目されることなど。。。
日本は違った。悲しみや辛さや苦しさに変わりはないはずなのに、 他人を思いやり、列を守り、文句を言わず、自らオーガナイズし、できる範囲でだれもが精いっぱい努力する姿に世界中が胸を打たれた。9/11での助け合いや、個人の英雄的な行為などの例外はあるが、被災者全体が驚嘆の目で見られたことはかつてなかった。
南アフリカでも、今まで顔の見えなかった日本人の評価が一挙に高まった。
日本と何の関係もない人々が募金に応じてくれた。知り合いの中華レストランでは、「おじいちゃんがお墓の中で目をムクかもしれないけど」とオーナーが笑いながら、慈善夕食会を企画。一晩だけの予定が、あまりの反響の大きさに二晩に延長した。
そんな中、南アの救援チーム「Rescue South Africa」が日本に向けて出発。宮城県石巻で救援活動に当たる。
ビーバ、南アフリカ、ビーバ! Viva South Africa Viva!
ビーバ、日本、ビーバ! Viva Japan Viva!
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| ジョハネスバーグの空港から出発する南ア救援チーム。写真は日本大使館HPから。 |
2010/11/19
ウィリアム・ケントリッジ 京都賞受賞
サッカーワールドカップ(W杯)をきっかけに、南アフリカに対する関心が高まるのではないか。実際に訪問して人々の暖かさや美しく雄大な自然に触 れ、日本で言われているほど危険ではないことに気づいてもらえるのではないか。様々な報道を通じて、「危険」一辺倒ではなく長所にも目が向き、多面的な理解が深まるのではないか。これらは、南アに思い入れのある人々共通の願いだったと思う。
残念ながら、報道では「危険さ」ばかりが喧伝され、一般の関心もW杯終了と同時に消滅したと聞いた。確かに、10月末から2週間ほど日本に滞在した間、南アの話題を殆ど耳にしなかった。南アが日本人にとって遠い国であることを再実感した。
ジョハネスバーグに戻って留守中の新聞を広げてみると、日本ではめったに南ア報道がないとは言え、当然のことながら空欄はなく、連日全国で事件が起きている。それも、ジョハネスバーグ市の警察官の20%が汚職に関わっているとか、治安相の妻が麻薬密輸の元締め容疑で取り調べを受けているとか、15歳の少女が出産した結合双生児の父親は、少女の実の父親だったとか、なかなかすさまじいニュースが満載されている。
これだけ騒々しい、ある意味ではエキサイティングな国なのに、日本人にとって存在しないも同然であることは、地理的な遠さと歴史的政治的な結びつきの弱さを考えると当然である。だがその一方で、最近益々外に目が行かなくなったと言われる日本人の一面を如実に表しているような気もする。
などと感慨にふけっている時、「Kentridge wins big in Japan」(ケントリッジ、日本で大きな賞を受賞)という見出しが目に飛び込んできた。11月11日付「ザ・タイムズ」紙の小さな囲み記事だ。南アで一番有名なアーチスト、ウィリアム・ケントリッジ(William Kentridge)が京都賞を受賞したというのである。
京都賞は「世界的な業績に与えられる民間の賞としては日本で最高」「スェーデンのノーベル賞に比される」そうで、「20カラットの金メダルと賞金5000万円(420万ランド)がついてくる」と「ザ・タイムズ」紙。
京都賞の主催者は、稲盛財団(Inamori Foundation)。京セラの設立者、稲盛和夫氏(現名誉会長)が1984年に設立した。HPによると、「京都賞」顕彰事業、研究助成事業、社会啓発事業を活動の3本柱にしている。
京都賞の受賞資格者は、「京セラの我々が今までにやってきたと同じように、謙虚にして人一倍の努力を払い、道を究める努力をし、己を知り、そのため偉大なものに対し敬虔なる心を持ちあわせる人」且つ「その業績が世界の文明、科学、精神的深化のために、大いなる貢献をした人」且つ「その人は自分の努力をしたその結果が真に人類を幸せにすることを願っていた人」。
業績を挙げただけではダメなのである。謙虚とか、敬虔とか、人類の幸福を願うとか、精神面が重視される。トテツモナイことを求められているようだが、実際問題、点数づけが難しい。
受賞対象は以下の3部門。
「先端技術部門」・・・「エレクトロニクス」「バイオテクノロジー及びメディカルテクノロジー」「材料科学」「情報科学」の4分野。
「基礎科学部門」・・・「生物科学(進化・行動・生態・環境)」「数理科学」「地球科学・宇宙科学」「生命科学(分子生物学・細胞生物学・神経生物学)」の4分野
「思想・芸術部門 」・・・「音楽」「美術(絵画・彫刻・工芸・建築・デザイン)」「映画・演劇」「思想・倫理」の4分野
今年の受賞者は、医学者の山中伸弥(Yamanaka Shinya)、数学者のラースロー・ロヴァース (László Lovász)、そしてケントリッジである。
山中氏の受賞理由は、「皮膚線維芽細胞にわずか4種類の転写因子遺伝子を導入することによって胚性幹細胞(ES細胞)と同様な多分化能をもつ人工多能性幹細胞(iPS細胞)を作りだすことに成功した。この技術は再生医療の可能性に道を開くのみならず、医学全般の飛躍的発展に大きく貢献することが期待される。 」
ロヴァース氏の場合、「離散構造に関する先端的な研究を行うことによって、アルゴリズムの観点からさまざまな数学分野を結びつけ、離散数学、組合せ最適化、理論計算機科学などを中心とする数理科学の広い範囲に影響を与え、学術的側面と技術的側面の両面において、数理科学の持つ可能性を拡大することに多大 な貢献をした。」
いずれも素人にはチンプンカンプンながら、なんだか凄そうである。
ケントリッジは、「素描という伝統的技法をアニメーションやビデオ・プロジェクション等の多様なメディアの中に展開させながら、諸メディアが重層的に融合する現代的な新しい表現メディアを創り出し、社会と人間存在に対する深い洞察を豊かなポエジーをもって表現する独自の世界を創始した。」
う~ん。素人ではないが、やはりチンプンカンプンである。
精神面の評価はどうなるのか心配したが、結構まともで現実的な受賞理由だったので安心した。ゲイジュツカやテンサイに謙虚とか敬虔とかを求めるのは、ある意味で自己矛盾している。ピカソにせよ、ヘミングウェイにせよ、その他多くの偉業を残した人々にせよ、お友達にも敵にもなりたくない、人間的にはヒドイヤツが多いものなのだ。(勿論、中にはイイ人もいるだろうけど。。。)
京都賞が「素描とアニメーション等を融合させた新しい表現メディアを創出し、独自の世界を切り拓いた芸術家」 と絶賛するケントリッジは、1955年4月28日、ジョハネスバーグの裕福なユダヤ系南ア人の家庭に生まれた。現在も育った家に住んでいる。
木炭やパステルで描いたドローイングを撮影し、少し修正して撮影し、また少し修正して撮影し・・・という気の遠くなるような作業で作成したドローイングのアニメーションで有名だ。写実的なペインティング(絵具を使っての絵画)が出来ないためにドローイング(素描)にこだわったと言われているから、絵が描けないためにシルクスクリーンを使ったポップアートに走って大成功したアンディ・ウォーホール(Andy Warhol)に通じるところがあるかもしれない。ウォーホール同様、かなりの商売人でもある。
作品の多くにアーチスト自ら登場する。普段も、白い帽子に黒いシャツに白いスーツといった目立った格好で歩いているから、かなりの自意識を持っていると思われる。
日本では2009~2010年に、京都国立近代美術館、東京国立近代美術館、広島市現代美術館で個展『ウィリアム・ケントリッジ—歩きながら歴史を考える』を開催。昔の作品から最新作まで、全て見るのに最低半日はかかる大個展だった。
東京国立近代美術館での個展開催時に、運よく日本にいた。日本ではそれほど名前が知られていないせいか、日曜日と いうのに行列もない。南アでの展覧会よりずっと楽しめたのは、新しい場所、新鮮な目で見ることができたせいかもしれない。
南アでは、ケントリッジは神格化している。ピカソ同様、個別の展覧会や作品の冷静な鑑賞はあまり行われず、「ケントリッジだから素晴らしい」という風潮に満ちている。
今年5月2日、ジョハネスバーグ・アート・ギャラリーでの個展のオープニングはひどかった。
会場を埋め尽くすファンの大部分は白人。普段は寄りつかないインナーシティに押しかけ、ケントジッリを新興宗教の教祖のように崇め奉る。一段高い位置に立ったケントリッジは尊大な態度でスピーチを行う。ご神託でも受け賜るかのように、その一言一言に聞き入るファ ン。あまりの人だかりと騒音のため、作品鑑賞は不可能。少女ファンの金切声で演奏が聞こえないロックバンドを思い起こさせた。
肝心の個展はというと、名前に惑わされない一部の人の評価は「いまいち」。だが、批評家や一般市民は「さすがケントリッジ!」と感動していた。ベートーベンの第5やチャイコフスキーのピアノ協奏曲など超有名な楽曲が演奏されると、その質にかかわらず「ブラボー!」を連発し、簡単にスタンディングオベーションしてしまう南アのクラシックファンと似ている。とすると、これは南ア白人の民族性?
ケントリッジの受賞の言葉は、YouTubeにアップロードされている。
ウィリアム・ケントリッジ-京都賞2010-受賞の喜びを語る (作成者:稲盛財団)
(参考資料:2010年11月11日付「The Times」など)
残念ながら、報道では「危険さ」ばかりが喧伝され、一般の関心もW杯終了と同時に消滅したと聞いた。確かに、10月末から2週間ほど日本に滞在した間、南アの話題を殆ど耳にしなかった。南アが日本人にとって遠い国であることを再実感した。
ジョハネスバーグに戻って留守中の新聞を広げてみると、日本ではめったに南ア報道がないとは言え、当然のことながら空欄はなく、連日全国で事件が起きている。それも、ジョハネスバーグ市の警察官の20%が汚職に関わっているとか、治安相の妻が麻薬密輸の元締め容疑で取り調べを受けているとか、15歳の少女が出産した結合双生児の父親は、少女の実の父親だったとか、なかなかすさまじいニュースが満載されている。
これだけ騒々しい、ある意味ではエキサイティングな国なのに、日本人にとって存在しないも同然であることは、地理的な遠さと歴史的政治的な結びつきの弱さを考えると当然である。だがその一方で、最近益々外に目が行かなくなったと言われる日本人の一面を如実に表しているような気もする。
などと感慨にふけっている時、「Kentridge wins big in Japan」(ケントリッジ、日本で大きな賞を受賞)という見出しが目に飛び込んできた。11月11日付「ザ・タイムズ」紙の小さな囲み記事だ。南アで一番有名なアーチスト、ウィリアム・ケントリッジ(William Kentridge)が京都賞を受賞したというのである。
京都賞は「世界的な業績に与えられる民間の賞としては日本で最高」「スェーデンのノーベル賞に比される」そうで、「20カラットの金メダルと賞金5000万円(420万ランド)がついてくる」と「ザ・タイムズ」紙。
京都賞の主催者は、稲盛財団(Inamori Foundation)。京セラの設立者、稲盛和夫氏(現名誉会長)が1984年に設立した。HPによると、「京都賞」顕彰事業、研究助成事業、社会啓発事業を活動の3本柱にしている。
京都賞の受賞資格者は、「京セラの我々が今までにやってきたと同じように、謙虚にして人一倍の努力を払い、道を究める努力をし、己を知り、そのため偉大なものに対し敬虔なる心を持ちあわせる人」且つ「その業績が世界の文明、科学、精神的深化のために、大いなる貢献をした人」且つ「その人は自分の努力をしたその結果が真に人類を幸せにすることを願っていた人」。
業績を挙げただけではダメなのである。謙虚とか、敬虔とか、人類の幸福を願うとか、精神面が重視される。トテツモナイことを求められているようだが、実際問題、点数づけが難しい。
受賞対象は以下の3部門。
「先端技術部門」・・・「エレクトロニクス」「バイオテクノロジー及びメディカルテクノロジー」「材料科学」「情報科学」の4分野。
「基礎科学部門」・・・「生物科学(進化・行動・生態・環境)」「数理科学」「地球科学・宇宙科学」「生命科学(分子生物学・細胞生物学・神経生物学)」の4分野
「思想・芸術部門 」・・・「音楽」「美術(絵画・彫刻・工芸・建築・デザイン)」「映画・演劇」「思想・倫理」の4分野
今年の受賞者は、医学者の山中伸弥(Yamanaka Shinya)、数学者のラースロー・ロヴァース (László Lovász)、そしてケントリッジである。
山中氏の受賞理由は、「皮膚線維芽細胞にわずか4種類の転写因子遺伝子を導入することによって胚性幹細胞(ES細胞)と同様な多分化能をもつ人工多能性幹細胞(iPS細胞)を作りだすことに成功した。この技術は再生医療の可能性に道を開くのみならず、医学全般の飛躍的発展に大きく貢献することが期待される。 」
ロヴァース氏の場合、「離散構造に関する先端的な研究を行うことによって、アルゴリズムの観点からさまざまな数学分野を結びつけ、離散数学、組合せ最適化、理論計算機科学などを中心とする数理科学の広い範囲に影響を与え、学術的側面と技術的側面の両面において、数理科学の持つ可能性を拡大することに多大 な貢献をした。」
いずれも素人にはチンプンカンプンながら、なんだか凄そうである。
ケントリッジは、「素描という伝統的技法をアニメーションやビデオ・プロジェクション等の多様なメディアの中に展開させながら、諸メディアが重層的に融合する現代的な新しい表現メディアを創り出し、社会と人間存在に対する深い洞察を豊かなポエジーをもって表現する独自の世界を創始した。」
う~ん。素人ではないが、やはりチンプンカンプンである。
精神面の評価はどうなるのか心配したが、結構まともで現実的な受賞理由だったので安心した。ゲイジュツカやテンサイに謙虚とか敬虔とかを求めるのは、ある意味で自己矛盾している。ピカソにせよ、ヘミングウェイにせよ、その他多くの偉業を残した人々にせよ、お友達にも敵にもなりたくない、人間的にはヒドイヤツが多いものなのだ。(勿論、中にはイイ人もいるだろうけど。。。)
京都賞が「素描とアニメーション等を融合させた新しい表現メディアを創出し、独自の世界を切り拓いた芸術家」 と絶賛するケントリッジは、1955年4月28日、ジョハネスバーグの裕福なユダヤ系南ア人の家庭に生まれた。現在も育った家に住んでいる。
木炭やパステルで描いたドローイングを撮影し、少し修正して撮影し、また少し修正して撮影し・・・という気の遠くなるような作業で作成したドローイングのアニメーションで有名だ。写実的なペインティング(絵具を使っての絵画)が出来ないためにドローイング(素描)にこだわったと言われているから、絵が描けないためにシルクスクリーンを使ったポップアートに走って大成功したアンディ・ウォーホール(Andy Warhol)に通じるところがあるかもしれない。ウォーホール同様、かなりの商売人でもある。
作品の多くにアーチスト自ら登場する。普段も、白い帽子に黒いシャツに白いスーツといった目立った格好で歩いているから、かなりの自意識を持っていると思われる。
日本では2009~2010年に、京都国立近代美術館、東京国立近代美術館、広島市現代美術館で個展『ウィリアム・ケントリッジ—歩きながら歴史を考える』を開催。昔の作品から最新作まで、全て見るのに最低半日はかかる大個展だった。
東京国立近代美術館での個展開催時に、運よく日本にいた。日本ではそれほど名前が知られていないせいか、日曜日と いうのに行列もない。南アでの展覧会よりずっと楽しめたのは、新しい場所、新鮮な目で見ることができたせいかもしれない。
南アでは、ケントリッジは神格化している。ピカソ同様、個別の展覧会や作品の冷静な鑑賞はあまり行われず、「ケントリッジだから素晴らしい」という風潮に満ちている。
今年5月2日、ジョハネスバーグ・アート・ギャラリーでの個展のオープニングはひどかった。
会場を埋め尽くすファンの大部分は白人。普段は寄りつかないインナーシティに押しかけ、ケントジッリを新興宗教の教祖のように崇め奉る。一段高い位置に立ったケントリッジは尊大な態度でスピーチを行う。ご神託でも受け賜るかのように、その一言一言に聞き入るファ ン。あまりの人だかりと騒音のため、作品鑑賞は不可能。少女ファンの金切声で演奏が聞こえないロックバンドを思い起こさせた。
肝心の個展はというと、名前に惑わされない一部の人の評価は「いまいち」。だが、批評家や一般市民は「さすがケントリッジ!」と感動していた。ベートーベンの第5やチャイコフスキーのピアノ協奏曲など超有名な楽曲が演奏されると、その質にかかわらず「ブラボー!」を連発し、簡単にスタンディングオベーションしてしまう南アのクラシックファンと似ている。とすると、これは南ア白人の民族性?
ケントリッジの受賞の言葉は、YouTubeにアップロードされている。
ウィリアム・ケントリッジ-京都賞2010-受賞の喜びを語る (作成者:稲盛財団)
(参考資料:2010年11月11日付「The Times」など)
2010/11/09
ングバネ元駐日南ア大使 旭日大綬章受章
11月5日の午前中、皇居で秋の大綬章親授式が行われ、16人が天皇陛下から勲章を手渡された。受章者は、桐花大綬章が扇千景(本名・林寛子)元参院議長の一人だけ。残りは旭日大綬章と瑞宝大綬章だ。
この16人の中には、外国人が3人いる。そのひとりが旭日大綬章(きょくじつだいじゅしょう)を受章したボールドウィン・シポ・ングバネ(Baldwin Sipho Ngubane)元駐日南ア大使(愛称ベン)。旭日大綬章というのは、外国人に与えられる最高の勲章であるらしい。では、ングバネ大使の受賞理由は何だったのだろうか。
総理府のHPによると、日本の勲章の最高位は大勲位菊花章(だいくんいきっかしょう)。菊花章頸飾(きっかしょうけいしょく)と菊花大綬章(きっかだいじゅしょう)の2種類がある。
その次に来るのが、桐花大綬章(とうかだいじゅしょう)。受賞対象は「旭日大綬章又は瑞宝大綬章(ずいほうだいじゅしょう)を授与されるべき功労より優れた功労のある方」。
いずれも舌を噛みそうな名前だが、いまいちよくわからない。
旭日大綬章は「功績の内容に着目し、顕著な功績を挙げた方」に与えられる旭日章の最高位、瑞宝大綬章は「公務等に長年にわたり従事し、成績を挙げた方」に与えられる瑞宝章の最高位。旭日、瑞宝とも「大綬章」の後、「重光章」(じゅうこうしょう)、「中綬章」(ちゅうじゅしょう)、「小綬章」(しょうじゅしょう)、「双光章」(そうこうしょう)、「単光章」(たんこうしょう)と続く。旭日、瑞宝以外に文化勲章とか宝冠章とかある。
では、瑞宝章が公務員や政治家で、旭日章がそれ以外ということなのだろうか。
受賞者の顔ぶれ、経歴を見るとそうも言えない。今回、旭日大綬章を受賞したのは、元国家公安委員長、元最高裁判所判事、元防災担当大臣、元農林水産大臣、元法務大臣、元環境庁長官、元通産大臣・自治大臣、元科学技術担当大臣、元郵政大臣、公明党元委員長、それに日本テレビ会長、NTT元社長。公務員と政治家が殆どなのだ。
平成15年5月20日に閣議了解を得た「褒章受章者の選考手続について」という文書によると、「衆議院議長、参議院議長、国立国会図書館長、最高裁判所長官、内閣総理大臣、各省大臣、会計検査院長、人事院総裁、宮内庁長官及び内閣府に置かれる外局の長は、春秋褒章候補者を内閣総理大臣に推薦するものとする。」とある。
とすると、ングバネ大使の場合、外務省の推薦なのだろう。
ングバネ大使は、1941年10月22日生まれ。ラテン語の教師を2年務めた後、1971年に医師の資格を取る。1977年にインカタ自由党(IFP)の中央委員会メンバーとなり、第1回1994年の民主総選挙後、芸術文化科学技術相、クワズールーナタール州知事、駐日大使などを歴任し、現南ア国営放送(SABC)会長。
駐日大使時代の功績が認められての叙勲だろう。今年4月27日に緒方貞子元国連難民高等弁務官、現JICA会長が南アへの支援活動に功績のあった外国人に贈られるO.R.タンボ勲章を受章したことへのお返し、という見方もある。南アが地上デジタル放送日本方式を採用していれば、そのロビー活動の評価も考慮されたに違いないが。(ングバネ氏がこの件に関し総務省高官に会ったことは「メール&ガーディアン」紙などで叩かれており、「私は腐敗していない」と反論している。)
ともあれ、5日夜、ANAインターコンチネンタルホテルで、南ア大使館主催の祝賀レセプションが開催され、約120人の来客が受勲を祝った。
ところで、平成15年から叙勲の「一般推薦制度」が開始されたそうだ。「人目につきにくい分野において真に功労のある人や多数の分野で活躍し功労のある人などを春秋叙勲の候補者として把握するため」とのこと。対象となるのは、「国家又は公共に対し功労のある人(おおむね20年以上活動)で次の(1)又は(2)に該当する人」。
(1)70歳以上の人
(2)55歳以上の人で「精神的肉体的に著しく労苦の多い環境において業務に精励した人」又は「人目につきにくい分野で多年にわたり業務に精励した人」。
「国家又は公共に対し功労のある人」とは、極端に曖昧な表現。70歳以上で、政界とか財界とか官僚にコネがある人は誰でも対象になりそう。但し、「自分自身や二親等内の親族を推薦することはできません」と明記してあるので、勲章が欲しい一般人は知り合いに頼む必要がありそう。2010年秋の褒章受章者だけで、703人と32団体計4173人もいるのだから、その気がある方はロビーする価値あり?
この16人の中には、外国人が3人いる。そのひとりが旭日大綬章(きょくじつだいじゅしょう)を受章したボールドウィン・シポ・ングバネ(Baldwin Sipho Ngubane)元駐日南ア大使(愛称ベン)。旭日大綬章というのは、外国人に与えられる最高の勲章であるらしい。では、ングバネ大使の受賞理由は何だったのだろうか。
総理府のHPによると、日本の勲章の最高位は大勲位菊花章(だいくんいきっかしょう)。菊花章頸飾(きっかしょうけいしょく)と菊花大綬章(きっかだいじゅしょう)の2種類がある。
その次に来るのが、桐花大綬章(とうかだいじゅしょう)。受賞対象は「旭日大綬章又は瑞宝大綬章(ずいほうだいじゅしょう)を授与されるべき功労より優れた功労のある方」。
いずれも舌を噛みそうな名前だが、いまいちよくわからない。
旭日大綬章は「功績の内容に着目し、顕著な功績を挙げた方」に与えられる旭日章の最高位、瑞宝大綬章は「公務等に長年にわたり従事し、成績を挙げた方」に与えられる瑞宝章の最高位。旭日、瑞宝とも「大綬章」の後、「重光章」(じゅうこうしょう)、「中綬章」(ちゅうじゅしょう)、「小綬章」(しょうじゅしょう)、「双光章」(そうこうしょう)、「単光章」(たんこうしょう)と続く。旭日、瑞宝以外に文化勲章とか宝冠章とかある。
では、瑞宝章が公務員や政治家で、旭日章がそれ以外ということなのだろうか。
受賞者の顔ぶれ、経歴を見るとそうも言えない。今回、旭日大綬章を受賞したのは、元国家公安委員長、元最高裁判所判事、元防災担当大臣、元農林水産大臣、元法務大臣、元環境庁長官、元通産大臣・自治大臣、元科学技術担当大臣、元郵政大臣、公明党元委員長、それに日本テレビ会長、NTT元社長。公務員と政治家が殆どなのだ。
平成15年5月20日に閣議了解を得た「褒章受章者の選考手続について」という文書によると、「衆議院議長、参議院議長、国立国会図書館長、最高裁判所長官、内閣総理大臣、各省大臣、会計検査院長、人事院総裁、宮内庁長官及び内閣府に置かれる外局の長は、春秋褒章候補者を内閣総理大臣に推薦するものとする。」とある。
とすると、ングバネ大使の場合、外務省の推薦なのだろう。
ングバネ大使は、1941年10月22日生まれ。ラテン語の教師を2年務めた後、1971年に医師の資格を取る。1977年にインカタ自由党(IFP)の中央委員会メンバーとなり、第1回1994年の民主総選挙後、芸術文化科学技術相、クワズールーナタール州知事、駐日大使などを歴任し、現南ア国営放送(SABC)会長。
駐日大使時代の功績が認められての叙勲だろう。今年4月27日に緒方貞子元国連難民高等弁務官、現JICA会長が南アへの支援活動に功績のあった外国人に贈られるO.R.タンボ勲章を受章したことへのお返し、という見方もある。南アが地上デジタル放送日本方式を採用していれば、そのロビー活動の評価も考慮されたに違いないが。(ングバネ氏がこの件に関し総務省高官に会ったことは「メール&ガーディアン」紙などで叩かれており、「私は腐敗していない」と反論している。)
ともあれ、5日夜、ANAインターコンチネンタルホテルで、南ア大使館主催の祝賀レセプションが開催され、約120人の来客が受勲を祝った。
ところで、平成15年から叙勲の「一般推薦制度」が開始されたそうだ。「人目につきにくい分野において真に功労のある人や多数の分野で活躍し功労のある人などを春秋叙勲の候補者として把握するため」とのこと。対象となるのは、「国家又は公共に対し功労のある人(おおむね20年以上活動)で次の(1)又は(2)に該当する人」。
(1)70歳以上の人
(2)55歳以上の人で「精神的肉体的に著しく労苦の多い環境において業務に精励した人」又は「人目につきにくい分野で多年にわたり業務に精励した人」。
「国家又は公共に対し功労のある人」とは、極端に曖昧な表現。70歳以上で、政界とか財界とか官僚にコネがある人は誰でも対象になりそう。但し、「自分自身や二親等内の親族を推薦することはできません」と明記してあるので、勲章が欲しい一般人は知り合いに頼む必要がありそう。2010年秋の褒章受章者だけで、703人と32団体計4173人もいるのだから、その気がある方はロビーする価値あり?
2010/10/26
お知らせ:日本研究センター開設 プレトリア大学ビジネススクール
今年一年、南アフリカと日本の外交関係100周年を記念して、日本大使館主催で様々な行事が行われている。そのハイライトとも言えるのが、プレトリア大学のビジネススクールGIBS内に設立された日本研究センター(Centre for Japanese Studies)。10月26日午前10時から、開設記念シンポジウムが開かれた。
9人のパネリストが各10分ずつスピーチした後、休憩を挟んで質疑応答が行われた。スピーチの聴衆は、日本と南アの政府、企業などから約80人。
歓迎の挨拶は、プレトリア大学の学長シェリル・デラレイ教授(Prof. Cheryl de la Ray, Vice-Chancellor and Principal, University of Pretoria)。進行役はステレンボッシュ大学政治学部のスカーレット・コーネリセン準教授(Prof. Scarlett Cornelissen, Associate Professor, University of Stellenbosch)。
パネリストとスピーチの内容は次の通り。
エブラヒム・エブラヒム 国際関係協力省副大臣
H.E. Mr. Ebrahim Ebrahim, Deputy Minister of International Relations and Cooperation
「南アフリカと日本:100年経っての戦略的パートナーシップ」(South Africa and Japan:A strategic partnership after 100 years)
ニック・ビネデル GIBS所長
Prof. Nick Binedell, Director, Gordon Institute of Business Science (GIBS)
「日本研究センターの紹介」(Introduction of the Centre for Japanese Studies)
北岡伸一 東京大学教授
Prof. Shin-ichi Kitaoka, University of Tokyo
「変貌する国際秩序における日本と新興市場」(Japan and the emerging economies in a changing international order)
ピーター・ファブリシアス インディペンデント・ニュースペーパー社外報部デスク
Mr. Peter Fabricius, Foreign Editor, Independent Newspapers South Africa
「IBSA、G8、G20における南アフリカとその未来:日本の居場所」(South Africa in IBSA, G8, G20 and the future:Where is the Japan factor?)
平野克己 日本貿易振興機構・アジア経済研究所地域研究センター長
Mr. Katsumi Hirano, Director General, Institute of Developing Economies (IDE-JETRO)
「近年の日本・南アフリカ関係」(Recent development of the relation between Japan and South Africa)
マイケル・スパイサー ビジネスリーダーシップ南アフリカCEO兼ビジネスユニティ南アフリカ副会長
Mr. Michael Spicer, Chief Executive Officer, Business Leaship South Africa (BLSA) and Vice-President, Business Unity South Africa (BUSA)
「政府高官公式訪問と民間企業代表団:日本への取り組み方」(State visits and business delegations: How should we plan for Japan?)
小澤俊朗 在南アフリカ共和国日本大使
H.E. Mr. Toshiro Ozawa, Ambassador of Japan to South Africa
「過去100年の省察と次の100年に対する思い」(Some reflections on the 100 years and thoughts for the next 100 years)
ベン・ングバーネ 南ア国営放送会長(元在日本南アフリカ大使)
H.E. Dr. Ben Ngubane, Chairperson, SABC Board (former South African Ambassador to Japan)
「日本との戦略的パートナシップの有益性」(Possible benefits of strategic partnership with Japan)
9人のパネリストが各10分ずつスピーチした後、休憩を挟んで質疑応答が行われた。スピーチの聴衆は、日本と南アの政府、企業などから約80人。
歓迎の挨拶は、プレトリア大学の学長シェリル・デラレイ教授(Prof. Cheryl de la Ray, Vice-Chancellor and Principal, University of Pretoria)。進行役はステレンボッシュ大学政治学部のスカーレット・コーネリセン準教授(Prof. Scarlett Cornelissen, Associate Professor, University of Stellenbosch)。
パネリストとスピーチの内容は次の通り。
エブラヒム・エブラヒム 国際関係協力省副大臣
H.E. Mr. Ebrahim Ebrahim, Deputy Minister of International Relations and Cooperation
「南アフリカと日本:100年経っての戦略的パートナーシップ」(South Africa and Japan:A strategic partnership after 100 years)
ニック・ビネデル GIBS所長
Prof. Nick Binedell, Director, Gordon Institute of Business Science (GIBS)
「日本研究センターの紹介」(Introduction of the Centre for Japanese Studies)
北岡伸一 東京大学教授
Prof. Shin-ichi Kitaoka, University of Tokyo
「変貌する国際秩序における日本と新興市場」(Japan and the emerging economies in a changing international order)
ピーター・ファブリシアス インディペンデント・ニュースペーパー社外報部デスク
Mr. Peter Fabricius, Foreign Editor, Independent Newspapers South Africa
「IBSA、G8、G20における南アフリカとその未来:日本の居場所」(South Africa in IBSA, G8, G20 and the future:Where is the Japan factor?)
平野克己 日本貿易振興機構・アジア経済研究所地域研究センター長
Mr. Katsumi Hirano, Director General, Institute of Developing Economies (IDE-JETRO)
「近年の日本・南アフリカ関係」(Recent development of the relation between Japan and South Africa)
マイケル・スパイサー ビジネスリーダーシップ南アフリカCEO兼ビジネスユニティ南アフリカ副会長
Mr. Michael Spicer, Chief Executive Officer, Business Leaship South Africa (BLSA) and Vice-President, Business Unity South Africa (BUSA)
「政府高官公式訪問と民間企業代表団:日本への取り組み方」(State visits and business delegations: How should we plan for Japan?)
小澤俊朗 在南アフリカ共和国日本大使
H.E. Mr. Toshiro Ozawa, Ambassador of Japan to South Africa
「過去100年の省察と次の100年に対する思い」(Some reflections on the 100 years and thoughts for the next 100 years)
ベン・ングバーネ 南ア国営放送会長(元在日本南アフリカ大使)
H.E. Dr. Ben Ngubane, Chairperson, SABC Board (former South African Ambassador to Japan)
「日本との戦略的パートナシップの有益性」(Possible benefits of strategic partnership with Japan)
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