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2018/05/28

サム・ンジマ、亡くなる ソウェト蜂起の歴史的瞬間を捉えた写真家

報道写真家にとって、運や偶然が果たす役割は大きい。たまたま事件の現場にいたとか、たまたま立ち位置がよかったとかのおかげで、歴史的瞬間をものにし、一躍有名になる例も多い。もちろん、写真家としての腕や、どこでなにが起こっているか嗅ぎつける情報収集能力や、遭遇した瞬間を逃さない判断力も必要だが、その瞬間に数秒遅れたり、隣の道にいたりしたのでは、せっかくの腕が生かせない。

知り合いの写真家は20年以上前、世界的な報道写真賞を受賞した。1994年、南アフリカの白人右翼3人が殺されたときの写真だ。命乞いをする姿がテレビカメラにも収められているし、スチールの写真家も複数現場にいてシャッターを切っていた。「でも、あいつの立ち位置がたまたま一番よかったんだ」とその場にいた別の写真家。

この写真がWorld Press Photo Spot News部門3位(1995年)になった


同じく南アの写真家ジョディ・ビーバー(Jodi Bieber )は『タイム』の表紙になったアフガニスタン人少女の写真で世界的に有名になった。その後も主に自分のプロジェクトに専念し、精力的に活動している。


撮った写真が世界的に有名になったり、大きな賞を受賞することがその後の成功に即つながるわけではないけれど、少なくともこれまで閉ざされていた色々なドアを開けてくれることは確かだろう。

ところが、撮った写真が世界的に有名になったばかりに、写真家としての活動をやめざるを得なかった不運な人もいる。

サム・ンジマ(Sam Nzima)がそのよい例。1976年6月16日、警察に撃たれたヘクター・ピーターソン(Hector Pieterson)を腕に抱えて走るムブイサ・マクブ(Mbuyisa Makhubu)と、並走するヘクターのお姉さんアントワネットを撮った写真が代表作。

South African History Archive

サム・ンジマは1934年8月8日、現ムプマランガ州で生まれる。父親は農場労働者。10代で写真に目覚め、コダックカメラを購入して、夏休みにクルーガー国立公園を訪れる観光客の写真を撮って小銭を稼ぎ始めた。

2017/07/31

南アで一番有名な絵画モデル、天寿を全う トレチコフ『中国人の少女』


1950年のケープタウン。モニカ・シン・リー (Monika Sing-Lee)さんはおじさんが経営する洗濯屋で働いていた。そこに入って来たカーリーヘアの男性。モニカさんに目が釘付けになる。

二人きりになった時、男性は言った。

「こんにちは。トレチコフという者です。あなたの絵を描きたいのですが。」

ウラジミール・トレチコフ(Vladimir Tretchikoff)という画家だった。

トレチコフは1913年12月26日、シベリアの、とある町で、8人兄弟の末っ子として生まれた。家庭は裕福だった。1917年のロシア革命時、トレチコフ一家はロシア移民が多かった中国のハルビンに逃れる。ハルビンで16歳まで学校に通い、また市内のロシアオペラハウスで風景画家として働く。絵は独学という。

上海の広告・出版会社で働いていた時、やはりロシア人移民の女性と恋に落ち結婚。ふたりはシンガポールに移る。太平洋戦争勃発後は、英情報省のプロパガンダアーチストとして働いた。

1942年2月、乗っていた南アフリカ行きの脱出船が日本軍に爆破される。生き残った42人がボートを漕いで辿り着いたスマトラは、既に日本軍に占拠されていた。そこから19日かけて、更にジャワまでボートを漕ぐ。しかし、ジャワも日本軍の手に落ちており、トレチコフは捕虜となった。3か月間独房に収容されたものの、「ロシア人だから釈放されるべき」と主張し釈放され、戦争が終わるまでバタビア(現在のジャカルタ)で日本人アーチストの元で働く。

2017/07/17

ルイボス茶で糖尿病の愛犬を治療 中学生が理科の学習プロジェクトで

ラブラドル犬のジェシー(9歳)がめっきり痩せた。家具にぶつかる。大量の水を飲むようになった。眠くて仕方がないようだ。獣医に連れて行く。糖尿病という診断。

インシュリンを注射し、特別な食餌療法を行う。その費用、ひと月に約2万円。飼い主のキャロライン・ルール(Caroline Rule)さんにとって、バカにできない出費だ。そんなある日、キャロラインさんと娘のザリア(Zaria)さんは、ラジオで興味深い話を耳にする。

糖尿病にロイボス茶がよいという。

日本ではなぜか「ルイボス」と呼ばれてるが、南アフリカでは「ロイボス」(rooibos)と発音する。アフリカーンス語で「赤い灌木」という意味だ。南アフリカ共和国西ケープ州のシーダーバーグ(Cederberg)山脈のみに自生する植物である。

ロイボスの収穫

現地のコイサン族は昔から、乾燥させたロイボスの葉をお茶として飲んでいた。これに目をつけたのが、ヨーロッパからの入植者。ヨーロッパから輸入するしかなかった高価な紅茶の代用品としたのだ。

2017/06/07

グラビギャング ピンクのサリーと竹の棒で闘うインドの女性自衛団

エル・パイス』(El País)紙で「グラビギャング」(Gulabi Gang)という言葉を目にして、思わず手を止めた。昨年、南アフリカの「三大陸人権映画祭」(Tri Continental Human Rights Film Festival)で図らずも見逃してしまったドキュメンタリーの題名だったからだ。

グラビギャングはサンパット・パル・デヴィ(Sampat Pal Devi)さんが2006年に設立した女性の人権を守る団体。ピンク色(ヒンディー語で「グラビ」)のサリーを身にまとい、竹の棒で武装する。

(「グラビギャング」のHPから)

メンバーの殆どは貧しく教育のない、低いカースト出身の女性。1958年生まれのサンパットさん自身、貧しい家庭に育ち、学校に行かせてもらえなかった。どうしても勉強したくて、独学で読み書きを習った。その後、なんとか小学4年生まで学校に通わせてもらったものの、11歳か12歳で結婚させられ、最初の子供を15歳で生んだ5児の母。肝っ玉母さん的な活動家である。

インド、特に農村地帯では女性の地位がとても低い。夫のDV嫁殺しの被害に遭う女性が多くいる。グラビギャングはDV夫を竹で叩くなどして懲らしめるのだ。そして、「また奥さんを苛めたら、私たちがやってくるからね!」と脅す。1対1ではか弱い女も、集団になればパワーを発揮する。お蔭で、サンパットさんが住む村では女性の待遇が改善した。

2017/05/29

すべてはミツバチのために 後ろ向きで走るマラソンランナー

来週の日曜日(6月4日)、今年度のコムレイズ(Comrades)が開催される。クワズルナタール州のダーバン/ピーターマリッツバーグ間の約89キロを走る、世界最古・最長のウルトラマラソンだ。参加できるのは2万人だけ。世界60か国以上から走者が集まる。

今年の参加者のひとりに、変わったスタイルで走る人がいる。コムレイズを走るのは今回で5回目という、ファライ・チノムウェ(Farai Chinomwe)さんだ。ファライさんは後ろ向きに走る。後ろ向きに走ることで、世間の注目を浴び、ミツバチに対する意識を高めることが参加の目的。優勝など目指していない。

ファライさん(storytelling.co.za


ファライさんの人生、人柄はまさに自然体

生まれたのはジンバブエの南東部の町、マスヴィンゴ(Masvingo)。自然に囲まれて育った。誰もが楽器を演奏する村だったという。

2000年にケープタウンに移り、ラスタファリアン(Rastafarian)になる。

カリブ海、特にジャマイカで、アフリカを帰還すべき約束の地と定め、エチオピアのハレ・セラシエ(Haile Selassie)皇帝を黒人の救世主として崇拝する宗教・政治的運動を「ラスタ主義」「ラスタファリアニズム」(Rastafarianism)という。ハイレ・セラシエの本名「ラス・タファリ」(Ras Tafari)からつけられた名称だ。

ラスタファリアンとはラスタ主義の信奉者のこと。マリファナの使用と、ドレッドロックス(長髪を縮らせて細かく束ねたヘアスタイル)と、レイドバックな生き方で知られる。

ドレッドロックスといえばボブ・マーリー

ファライさんの改宗の理由は、「けばけばしいライフスタイルとは関係ない生き方をしたかったから」。

2017/04/11

ギャングから華麗な転身 地球と地域社会を大切にするエコビジネスマンへ

私腹を肥やすことにしか興味がなく、国の舵取りをする能力ゼロ、国民をないがしろにして権力にしがみつく大統領。大統領を頂点とした権力者とのコネにすがって、やはり私腹を肥やすことにしか関心がない、政治家、公務員、企業人、私人。。。政治、経済、教育、基本的公共サービス、社会制度のどれをとっても、悪化の一途。ついに南アフリカの信用格付けが「ジャンク」(junk)、つまり「ゴミ」「ガラクタ」並みに落とされてしまった。

このところ情けないニュースばかりで、なかなかブログを書く気になれなかったが、久しぶりに元気になる話を耳にした。

麻薬中毒のギャングが立ち直り、環境に優しい洗剤などの製造販売会社を設立したという。

2017/01/10

メイドからセレブシェフに 人生を変えたリアリティTV

3か月前キム・カーダシアン(Kim Kardashian)に銃を突きつけ、強盗を働いた容疑者のうち16名が逮捕されたとのニュースを先ほどCNNで見た。(我が家にはテレビがないので、テレビのニュースはユーテューブで見ている。)事件が起きた時は格別注意を払わなかったのだけど、今日のニュースによると、奪われたのは900万ユーロ相当の宝石! 11億円相当以上の宝石を身に着けていたわけだ。

有名であることで有名な、リアリティTVのスター、キム・カーダシアンの2015年度の所得は5250万ドル(約60億円)。ツイッター、フェイスブックなどソーシャルメディアのフォロワーは数千万人に上るという。何の才能もなさそうに見えるカーダシアン一家だが、TVとソーシャルメディアを最大限に利用して大金を儲けているのだから、大衆の欲するところを嗅ぎ分ける、類まれなる才覚があるといえる。

リアリティTV、特にタレント発掘のコンテスト形式の番組は、才能はあるがコネも資力ものない無名の人が一躍有名になる機会を与えてくれる。『ブリテンズ・ゴット・タレント』(Britains Got Talent)で人生が変わった歌手スーザン・ボイル(Susan Boyle)はその好例であろう。



最近の南アフリカでは、シポカジ・ムドラコモ(Siphokazi Mdlakomo)さんがいる。ケープタウンで住み込みのメイドをしていた2014年、『マスターシェフ 南アフリカ』(MasterChef South Africa)に出場。ダイナミックな人柄と、逆境に負けず人生に挑戦するメイドというキャラが受け、第2位の栄冠を勝ち取り、賞金10万ランド(約85万円)を手にした。39歳だった。

前列中央の小さい女性がシポさん(Mail Online

シポさんは東ケープ州の寒村で生まれ育ち、21歳の時、仕事を求めて大都市ケープタウンにやってきた。手に職がない多くの黒人女性同様、メイドになる。料理は働きながら身につけた。

2016/09/18

新刊『ネルソン・マンデラ 私の愛した大統領』 個人秘書の回想録

ネルソン・マンデラの個人秘書だったゼルダ・ラグレインジの回想録、もうすぐ邦訳が出ます。



マンデラ関係の訳書は、日記、手紙、未発表の自伝原稿などを集めた『ネルソン・マンデラ 私自身との対話』、名言集『ネルソン・マンデラ 未来を変える言葉』に次いで、私にとってこれが3冊目。出版社はいずれも明石書店。

以下、訳者あとがきから。

* * * * * * *

南アフリカに暮らす外国人にとって、魔訶不思議なことがある。「アパルトヘイトを支持していた」という南ア白人にまず会わないことだ。

アパルトヘイトは、1948年から1994年まで政権を担当した国民党による人種分離政策である。その間、定期的に総選挙が行われ、アパルトヘイトに反対する野党が存在したにも関わらず、毎回国民党が圧勝した。つまり有権者(白人のみ)の大半は国民党の政策アパルトヘイトを支持していたはず。それなのに、アパルトヘイトが終わってみると、「人種差別は良くない」ことで国民の意見が一致し、かつてアパルトヘイトを支持していたという白人にお目にかからないのだ。

そんな中、自分がレイシスト(人種差別主義者)だったこと、国民党より更に右翼の保守党に誇りを持って投票したことを正直に認めるゼルダ・ラグレインジは新鮮である。過去を認め、過去と向き合って初めて、自分を変えることができる。現実に前向きに対処できる。人間として成長できる。

そして、ゼルダ・ラグレインジの目を開かせたのは、20世紀が生んだ世界的偉人、南アフリカ初の黒人大統領ネルソン・マンデラだった。

***

ゼルダは、政治とは縁もゆかりもない、ごく普通の家庭で育った。毎週日曜日に教会に行く、信心深い家庭。まわりの人々も皆そうだった。大人になったら、結婚して子供を持つ以外、とりたてて夢はなかった。

ゼルダが育ったコミュニティを形成するのは、オランダ語から派生したアフリカーンス語を第一言語とする、「アフリカーナ」と呼ばれる白人たち。黒人が人口の大半を占める南アフリカだが、ゼルダと黒人の付き合いは住み込みのメイドのジョガベスだけ。黒人は劣った存在、怖い存在と教え込まれ、その肌に触れることは「タブー」だった。ゼルダが「ある意味で我が家の一員」と感じ、ゼルダの「母親代わり」「命綱的存在」だったジョガベスにしても、アパルトヘイトの法律により、夫や自分の子供と一緒に住むことができない。収入を得るために他人の子供を育てながら、自分の子供の傍にいて、愛情を注ぎ、成長を見守ることが許されないジョガベスの境遇を、ゼルダはおかしいと感じない。

ごく「普通」と思っていたことが、現代世界の価値観からするとまったく「普通」ではないことに気がついたのは、大統領執務室で働き始めた20代のことだ。「まるで、これまで別の惑星に暮らしていたかのように感じた」とゼルダは本書の中で告白している。自分の国の現状や歴史にあまりに無知だった。黒人に居住の自由がないことも、1976年のソウェト蜂起で数多くの子供たちが殺されたことも知らず育った。ネルソン・マンデラについては、長年刑務所に入っていたテロリスト程度の知識しかなかった。

2016/09/02

リオ五輪、南アのメダリスト 注目したい3人

4年に一度の夏季オリンピック。我が家にはテレビがないので、大抵、知らないうちに始まって、知らないうちに終わってしまうのだが、リオ五輪は友人たちがフェイスブックに記事や動画を投稿してくれたおかげで、南アチームの活躍を垣間見る機会があった。

中でも、目立ったのがこの3人。

ルヴォ・マニョンガ(Mail &Guardian

まず、走り幅跳びで、銀メダルを取ったルヴォ・マニョンガ(Luvo Manyonga)。25歳。個人最高の8.37メートル。金メダルとは僅か1センチの差だった。

銃と麻薬と暴力に囲まれた、ケープタウン近くの貧しいコミュニティに育つ。2009年、コーチのマリオ・スミス(Mario Smith)に見い出され、2010年にIAAF(国際陸上競技連盟)のジュニア世界選手権で優勝。名声を得たことから、家族や友人たちがまだ10代のルヴォの稼ぎを当てにするようになり、ルヴォに走り幅跳びに専念して欲しかったコーチは、自腹を切ってルヴォの家族を養うはめになる。

そんな中、ルヴォはティック(覚醒剤)に溺れていく。2012年、薬物検査で陽性。18か月の競技出場停止処分を受ける。通常は2年の停止処分が18か月で済んだのは、貧しい家庭環境や麻薬に関する教育不足を理由として、スミスが尽力してくれたおかげだ。

2014年、ルヴォを何とか立ち直らせようと、ルヴォの家に向かっていたスミスが交通事故で死亡。ルヴォは葬儀に参加せず、ティックでハイになっていた。麻薬漬けの毎日で、死と隣り合わせだったという。

2014/08/31

南アフリカの良心、ツリ・マドンセラ マイリー・サイラスのパロディ

南アフリカの与党ANC(アフリカ民族会議)は、ジェイコブ・ズマ(Jacob Zuma)大統領を頂点として腐敗しきっている。総選挙が完全比例代表制であるため、政治家は「有権者」や「地元」を考える必要がない。党内の力関係が全てなのだ。能力も必要な資格もないのにコネだけで職を得た官僚が、国政だけでなく州政府や市にも溢れている。地方・中央政府の仕事は、与党にコネのある人々が経営する会社にばらまかれる。その会社に能力や実績がなくても関係ない。政治の腐敗が波紋のように広がり、教育、医療、福祉、インフラなど国民の生活の隅々まで悪影響を与えている。

2002年に設立された、捜査・検察の両方の権限を持つ「スコーピオンズ」(Scorpions)は、大規模の組織犯罪や汚職を次々と暴き、有罪判決率が90%という超有能な特別捜査班だったが、あまりに優秀なため、有力政治家やその友達たちや腐敗した警察に憎まれ、2008年に解体されてしまった。

良心的な裁判官や官僚がいないことはないが、ANC政権にインパクトを与えるほどではない。政治に関しては明るいニュースがなく、「南アフリカに正義はないのか!」と暗い気持ちになることが多い中、唯一、光を放っているのがツリ・マドンセラ(Thuli Madonsela)。

iol news
1962年9月28日、ジョハネスバーグ生まれの法廷弁護士。スワジランド大学で文学士号(法律専攻)取得、ヴィットヴァータースランンド大学で法学士号取得。アパルトヘイト時代は当時解放運動団体だったANCやUDF(統一民主前線)に参加。民主国家南アフリカの憲法最終草案を作成したメンバーのひとり。

2009年、「Public Protector」に任命される。南アの「パブリックプロテクター」は英国やスカンジナビア諸国のオンブズマン(ombudsman)に相当し、政府・国家機関・国家公務員などの違法行為・横暴に対する国民の訴えを受理・調査するのが仕事。

ツリは目を見張るほど有能である。公正・公平である。権力に屈しない。マンデラ亡き後の南アフリカの「良心」「正義」を体現している。

だから、与党ANCに憎まれている。ツリを任命したズマ大統領は、さぞかし後悔していることだろう。

2014/07/19

ノーベル文学賞作家ナディン・ゴーディマ、逝く

7月13日、ナディン・ゴーディマ(Nadine Gordimer)が亡くなった。享年90歳。ベッドで寝ている間に、安らかに息を引き取ったとのこと。ごく最近、書き物をしている姿を見たという証言がある。最後まで頭もボケなかったのだろう。まさに大往生。理想の逝き方。

晩年のナディン・ゴーディマ。最後まで毅然としていた。(Varsity Breakout

「シネマヌボー」(Cinema Nouveau)という、小粒だが良質の作品を揃える映画館で、その小さな姿をよく見かけた。年配の付き人といつも一緒だった。

1990年の後半だっただろうか、自宅に伺ったことがある。パークタウンウェストという、昔からの閑静な住宅街に立つ古い家だった。アパルトヘイト時代、当局に追われる解放運動家を自宅にかくまった話などを聞いた。物静かな人だった。

政治意識が高く、アパルトヘイト政権への反対を明言するものの、デモの先頭に立ったり破壊工作をしたりするタイプではないゴーディマにとって、文学でアパルトヘイトの欺瞞や理不尽さを淡々と描くことが一番性にあった抵抗運動だったのだろう。アパルトヘイトが提起した倫理問題や人種問題についての作品を発表し、『バーガーの娘』(Burger's Daughter)、『ジュライの人々』(July's People)などは南アフリカで発禁処分となった。

1923年11月20日、ジョハネスバーグの東にある田舎町スプリングズの近くで、ユダヤ系の家庭に生まれる。父親はラトビア出身の時計職人、母親はロンドン出身。倫理観や政治意識が高かったのは母親の方だった。黒人が直面する貧困や差別に心を痛め、黒人の子供を対象とした保育園を開いたほど。

母親はナディンの心臓が弱いことを心配し、殆ど学校にやらなかった。家でひとりで過ごすことが多かった子供時代に、文章を書き始めた。作品が初めて出版されたのは1937年、15歳の時。子供向けの短編だった。大人を対象とした小説が初めて出版されたのは16歳の時。1951年、『ニューヨーカー』誌に短編を発表。国外でも知られるようになる。

2014/07/05

「趣味は殺し」の19歳。13歳でサイ、14歳でゾウ。

「アフリカで猛獣狩り」を楽しむ欧米人、特に有力者や有名人の得意げな写真がソーシャルメディアや雑誌に掲載され、非難を浴びる。そんな事例が、近年とみに増えてきた。

最近息子に王位を譲ったスペインのフアン・カルロス前王は、2012年、ボツワナでゾウの狩猟を楽しんだことがばれて、WWW(World Wild Fund for Nature世界自然保護基金)スペイン支部の名誉会長職を解かれた。1968年に創設されたWWWスペイン支部には「名誉会長は国王」という規定があったが、スキャンダル後、圧倒的大多数の支持で規定は削除され、国王を名誉会長職から罷免したのだ。フアン・カルロス王は2006年にも、ロシアで慣れたクマを射殺したのがばれて物議を醸したことがある。(ボツワナでは、2013年に狩猟が全面禁止となった。)

今、一番非難を浴びている白人ハンターは、テキサス州のチアリーダー、ケンダル・ジョーンズ(Kendall Jones)。弱冠19歳。初めて撃ち殺した「猛獣」はシロサイ。13歳の時だ。14歳で初めてのゾウを殺す。その後もアフリカにちょくちょくやって来ては、狩猟農場などに大金を支払って、動物を殺しまくっている。

ケンダル・ジョーンズは「公人」(public figure)としてフェイスブックページを持っている。そして、自分が殺した動物とのツーショットを誇らしげにアップする。(以下の写真は、ケンダル・ジョーンズのフェイスブックから。他にも、カバ、シマウマ、カモシカなど、趣味で殺した動物は数知れない。)

2014/04/19

10秒の壁を破った南アランナー 今度こそオリンピックへ

4月12日、サイモン・マガクウェ(Simon Magakwe)が南アフリカ陸上競技大会(South African Athletic Championships)の100メートル走で優勝した。2009年から6回連続優勝。今回の記録は9.98秒。南アフリカ人として初めて10秒の壁を破る快挙となった。


2016年のリオデジャネイロ五輪出場が夢。初めての五輪出場を目指したロンドン大会では、「南アフリカで一番早い男」であるだけでなく、参加標準記録を100メートル走で6回、200メートル走で2回達成していたのに、南ア代表に選ばれなかった。400メートルの参加標準記録を1回達成しただけの「スター」に道を開けるため、涙を飲まされたのだ。(マガウェが参加標準記録を達成したのは全て国内だったから、というのが五輪選抜に漏れた公式の理由だが、そのような規則は国際的に一般的なのだろうか?)

「スター」とは、両足義足のランナー、オスカー・ピストリス(Oscar Pistorius)のこと。ガールフレンドのリーヴァ・スティアンカンプ(Reeva Steenkamp)殺害容疑で起訴され、現在裁判の真っ只中だ。

2014/01/11

ホームレスで麻薬中毒だった少年、スケートボードで開花 アメリカで修行中

人生、なにが起こるかわからない。なんの不自由もなく、家族の愛情につつまれ育ち、成人してから突然の不幸に襲われる人もある。

タレンテ・ビイェラ(Thalente Biyela)君の人生はその逆。どん底から始まった。

お母さんが亡くなって、誰も面倒を見てくれる人がいなくなったから、路上生活を始めたという。一緒に住んでいた義理のお父さんは麻薬の売人。家では暴力を振るった。

初めて家出をしたのは9歳。11歳から完全なホームレスになった。住んだのは、ダーバンの海水浴場にあるスケートボード場の近く。そのうちスケートボードをする人たちと仲良くなり、スケートボードを開始。スケートボード仲間が衣類や食料をくれた。勿論、学校には行かない。どこで麻薬を買うお金を得たのか、ヘロイン中毒だった。

2年前、17歳の時、元プロサーファーのタミーリー=スミス(Tammy-Lee Smith)が自分の家に引き取ってくれた。タレンテ君のチャーミングさとカリスマ性に惹かれたという。読み書きが出来ないタレンテ君のために、家庭教師まで雇ってくれた。

スミスさんの好意にタレンテ君は応えた。きっぱりと麻薬を止め、決意が固いことを示すために、毎週、麻薬検査を受けた。

最後に学校に行ったのは8歳の時。17歳なのに時計すら読めないタレンテ君にとって、読み書きを学ぶのはとても難しかった。だが、頑張って勉強したことが人生を変えたという。

「取り残された感がなくなった。自分は馬鹿だと思う気持ちがなくなった。読み書きが楽しくなった。」

スミスさんも、喜びを隠しきれない。「素晴らしい人間に成長してくれた。いろんなことに自信を持つようになったのを見るのは嬉しい。」

ロサンゼルス在住の南ア人フィルムメーカー、ナタリー・ジョーンズ(Natalie Johns)さんが友人のスミスさんを訪れたのは、2012年12月のこと。スケートボードをするタレンテ君をビデオで撮影したら、インターネットで大評判になった。

これはジョーンズさんがタレンテ君に出会うより前の2012年1月16日に、ユーチューブにアップされた映像。



2013年1月、タレンテ君はアメリカのスポーツビザを手に、ロサンゼルスへ。ジョーンズさんが引き取ってくれることになったのだ。そして、スケートボードチャンピオンのケニー・アンダーソン(Kenny Anderson)に弟子入り。タレンテ君は「スケートボードをするために生まれてきた」と、アンダーソンさんは目を細める。

ロサンゼルスのタレンテ君(「サンデータイムズ」紙より)

現在、ジョーンズさんはタレンテ君のドキュメンタリーを制作中。(ドキュメンタリーの中では、「タレント」と呼ばれている。)

 まだ19歳のタレンテ君。新天地アメリカでトレーニングを積み、競技会に挑戦するという。

人生、本当になにが起こるかわからない。

(参考資料:2014年1月5日「Sunday Times」など)

【関連HP】
I Am Thalente Speed&Spark

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2013/12/15

最後まで父に会えなかったマンデラの「娘」

今日はネルソン・マンデラの「国葬」。故郷のクヌ村で執り行われる。

これに先立ち、マンデラ家内部で話し合いが行われ、「仲直り」することになった。取り持ったのは現マンデラ夫人、グラサ・マシェル(Graça Machel)。マンデラ家内部のねじれにねじれた関係を一時的にも修復できるのは、やっぱりこの人しかいない。

2013/09/24

ヘクター・ピーターソンを抱えた少年がカナダの刑務所に!?!

南アフリカを物語る写真で一番有名なのは、サム・ンジマ(Sam Nzima)による「ソウェト蜂起」(Soweto Uprising)時のものではないか。死にかけたヘクター・ピーターソン(Hector Pieterson)を別の少年が腕に抱えて走る。少年の顔は苦悩に歪んでいる。隣で泣き叫びながら走るのは、ヘクターの姉アントワネット(Antoinette)。

South African History Archive
 1976年6月16日のことだ。「中学校の授業をアフリカーンス語と英語1対1で教える」という政府の新方針に反対して、子供たちがデモを行った。場所はジョハネスバーグに隣接する黒人居住区「ソウェト」。

人種の格付けがはっきりしていたアパルトヘイト時代、白人の言葉であるアフリカーンス語と英語の2言語が公用語だったが、誰もがそのふたつをバイリンガルに話していたわけではない。白人でも、英系は英語を、アフリカーナはアフリカーンス語を第一言語とした。

国民の大多数を占める黒人にとって、アフリカーンス語も英語も第一言語ではないが、住んでいる地域の白人の言葉を話す傾向にあった。首都プレトリアはアフリカーナが多いので、その近辺に住む黒人は英語よりアフリカーンス語が得意だったが、経済の中心ジョハネスバーグは英語が中心。従って、ジョハネスバーグに隣接するソウェトでは、英語の方がよく話される。

それを突然、現地で使われる言語とは関係なしに、授業をアフリカーンス語と英語で行い、アフリカーンス語での試験もあるというのだ。「国語」の授業ではない。理科とか算数とか地理とか歴史とかの授業を、よく理解できないアフリカーンス語で行うというのである。授業を行う先生だって、アフリカーンス語が話せない人が多いのに。。。大体、アフリカーンス語はアパルトヘイトを推進する「抑圧者」アフリカーナの言語である。

2013/09/15

南ア人アーチスト、パリで逮捕。スティーヴン・コーエンの露出パフォーマンス

南アフリカ人のパフォーマンスアーチスト、スティーヴン・コーエン(Steven Cohen)が9月10日の朝、エッフェル塔の前で逮捕された。容疑は「露出行為」(exhibitionism)。

頭には雄鶏のようなカブリモノ、体には白いコルセット、腕には赤い長手袋、足には7インチのハイヒール。変態っぽくても、何を着ようが個人の勝手でしょ・・・と言いたいところが、問題はそれしか身に着けていなかったこと。しかも、ペニスは生きた雄鶏と紐で結ばれていた。

雄鶏の名前は「フランク」。フランクとスティーヴンはエッフェル塔の前で10分踊ったところで、警察に取り押さえられてしまったのある。

(「Sunday Times」より)
パフォーマンスアート」(performance art)ってなに? 

2013/07/21

ジョハネスバーグの伝説的レストラン「フラマドゥラス」、46年の幕を閉じる。オーナー殺害

マーケットシアター(Market Theatre)の入り口にある伝説的レストラン「フラマドゥラス」(Gramadoelas)が閉店することになった。オーナーは人生とビジネスの両面で45年にわたってパートナーだった、エドゥアン・ノディエ(Eduan Naudé)とブライアン・シャルコフ(Brian Shalkoff)。


ふたりが出会った時、ブライアンはまだ20歳。兵役を終えたばかり。軍隊では士官の料理人を務めていた。37歳のエドゥアンはロンドンから戻って来たところだった。

エドゥアンは元々、洋服のデザイナー。17歳の時、イギリスでバンドをやっていた友人たちがツアーをするため南アにやって来た。共演した若い黒人ミュージシャンの衣装を任せるという。まだ無名だった、20歳のミリアム・マケバ(Miriam Makeba)もそのひとり。ブライアンが作ったのは水着のハギレで作ったドレス。「あのドレスのお蔭で私は有名になったのよ」と、生前マケバはよく冗談を言ったらしい。そのドレスを着たマケバの写真が「フラマドゥラス」に飾ってある。1955年、ユルゲン・シャーデベルク(Jürgen Shadeberg)が撮ったものだ。

2012/09/15

親友は身長2メートル 「キリン乗り」の特訓中

シャンドー・ラレンティ(Shandor Larentry)君(17歳)の親友は、マラ(Mara)とパーディ(Purdy)。マラはまだ生後3か月だが、身長2メートル。大人のパーディは、6メートルもある。

なにを隠そう、マラとパーディはキリンなのだ。2頭とも、赤ちゃんの時から、人間を親代わりに育った。

学校から帰ると、パーディが出迎えてくれる。名前を呼ぶとやってくる。犬みたいだ。

パーディの食事の世話は楽。自分で木の傍へ行って、ムシャムシャ葉っぱを食べる。

まだ赤ちゃんのマラは、そうはいかない。一日に卵の白味を12個分と、ミルクを12リットル与える。

シャンドー君は現在、マラに乗馬の特訓中。

2012/09/09

ハリウッド映画のボディダブルは、乳ガンのサバイバー

ハリウッド映画『ダーク・タイド』(Dark Tide)の劇場上映が始まった。主演は『Monster's Ball』(邦題『チョコレート』)でアカデミー賞主演女優賞を獲得した、ハリー・ベリー(Halle Berry)。

ハリー・ベリーが演じるのは、サメと心が通じるといわれるプロのダイバー、ケイト。自分の監督下のダイビングで同僚がサメに殺されて以来、海に戻れないでいる。しかし、収入がないのは辛い。銀行にボートを没収されるかもしれない事態に追い込まれた時、高い報酬をオファーされる。スリルを求める大金持ちが、サメのいる危険な海でダイビングしたいというのだ。。。

撮影場所はケープタウン近くのハンスベイ(Gansbaai)とハウトベイ(Hout Bay)。

水中のスタントウーマン、ハンリ・プリンスルー(Hanli Prinsloo)さんとダイビングシーンのボディダブル、エリーズ・フェルナンデス(Elise Fernndez)さんは、いずれも南ア人女性。