以下、訳者あとがきから。
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南アフリカに暮らす外国人にとって、魔訶不思議なことがある。「アパルトヘイトを支持していた」という南ア白人にまず会わないことだ。
アパルトヘイトは、1948年から1994年まで政権を担当した国民党による人種分離政策である。その間、定期的に総選挙が行われ、アパルトヘイトに反対する野党が存在したにも関わらず、毎回国民党が圧勝した。つまり有権者(白人のみ)の大半は国民党の政策アパルトヘイトを支持していたはず。それなのに、アパルトヘイトが終わってみると、「人種差別は良くない」ことで国民の意見が一致し、かつてアパルトヘイトを支持していたという白人にお目にかからないのだ。
そんな中、自分がレイシスト(人種差別主義者)だったこと、国民党より更に右翼の保守党に誇りを持って投票したことを正直に認めるゼルダ・ラグレインジは新鮮である。過去を認め、過去と向き合って初めて、自分を変えることができる。現実に前向きに対処できる。人間として成長できる。
そして、ゼルダ・ラグレインジの目を開かせたのは、20世紀が生んだ世界的偉人、南アフリカ初の黒人大統領ネルソン・マンデラだった。
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ゼルダは、政治とは縁もゆかりもない、ごく普通の家庭で育った。毎週日曜日に教会に行く、信心深い家庭。まわりの人々も皆そうだった。大人になったら、結婚して子供を持つ以外、とりたてて夢はなかった。
ゼルダが育ったコミュニティを形成するのは、オランダ語から派生したアフリカーンス語を第一言語とする、「アフリカーナ」と呼ばれる白人たち。黒人が人口の大半を占める南アフリカだが、ゼルダと黒人の付き合いは住み込みのメイドのジョガベスだけ。黒人は劣った存在、怖い存在と教え込まれ、その肌に触れることは「タブー」だった。ゼルダが「ある意味で我が家の一員」と感じ、ゼルダの「母親代わり」「命綱的存在」だったジョガベスにしても、アパルトヘイトの法律により、夫や自分の子供と一緒に住むことができない。収入を得るために他人の子供を育てながら、自分の子供の傍にいて、愛情を注ぎ、成長を見守ることが許されないジョガベスの境遇を、ゼルダはおかしいと感じない。
ごく「普通」と思っていたことが、現代世界の価値観からするとまったく「普通」ではないことに気がついたのは、大統領執務室で働き始めた20代のことだ。「まるで、これまで別の惑星に暮らしていたかのように感じた」とゼルダは本書の中で告白している。自分の国の現状や歴史にあまりに無知だった。黒人に居住の自由がないことも、1976年のソウェト蜂起で数多くの子供たちが殺されたことも知らず育った。ネルソン・マンデラについては、長年刑務所に入っていたテロリスト程度の知識しかなかった。