ラベル 農村 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 農村 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2018/01/21

妖術? 亡くなってから10日後にお棺の中で出産

南アフリカ共和国東ケープ州のムビザナ(Mbizana)市。ネルソン・マンデラの盟友オリヴァー・タンボ(Oliver Tambo)やマンデラの2番目の夫人ウィニー・マンデラ(Winnie Mandela)を輩出した、人口28万の田舎町である。といっても、ほとんどの南ア人は耳にしたこともないだろう。そのムビザナ市近くのムタイシ(Mthayisi)村が数日前、世界の注目を浴びた。

死後10日経った女性が出産したというのである。

ムビザナ市でのオリヴァー・タンボ銅像除幕式

ノムヴェリソ・ノマソント・ムドイ(Nomveliso Nomasonto Mdoyi)さんは33歳。5児の母。妊娠9か月だった今年初め、いきなり息苦しくなりそのまま亡くなった。自宅でのことだ。

1月13日土曜日に、葬式が執り行われることになった。遺体は葬儀屋に保管されていた。ところが葬儀の前日、ノムヴェリソさんが出産したというのだ。(正確には、葬儀屋職員がお棺を開けたら、ノムヴェリソさんの足の間に赤ちゃんの死体があったらしい。)

葬儀屋のオーナー、フンディレ・マカラナ(Fundile Makalana)さん曰く、「びっくりしたのと怖かったことで、赤ん坊の性別を確かめることもしませんでした。葬儀屋を20年以上していますが、死んだ女性が出産したなんて聞いたこともありません」。

2010/10/10

観光で沸くクヌ ネルソン・マンデラが成長、引退した村

東ケープ州のクヌ村(Qunu)。緑の中に人家が点在する、これといった産業もない寒村。18の集落からなり、人口約6万人。1997年まで、上水道も電気なかった。失業率90%。職のある10%は公務員である。

クヌ村にはもうひとつ、自慢することがある。ネルソン・マンデラが生まれ育ち、引退した場所であることだ。(マンデラはジョハネスバーグ、ケープタウン、マプトにも豪邸を持っているので、いつもクヌにいるわけではない。)

解放運動、そして南ア民主化の「顔」、ノーベル平和賞を受賞した世界で一番有名な南ア人、マンデラ。南アきっての「偉人」を擁しているにも関わらず、中央政府も東ケープ州も、マンデラが「人生のうちで一番幸福な時期を過ごした」というクヌ村の発展に無関心である。

新聞に名前が出ることはごくまれ。マンデラがクリスマスを過ごしたとか、牛やヤギが横断して危ないので(交通事故に遭う家畜を心配してのことか、車を心配してのことか不明) 田舎道に地下道が作られたとか、エイズ防止の一環で10~15歳に「処女テスト」を義務づけたとかいった程度。マンデラ博物館すら、本館は32キロ離れたムタタ(Mthatha)に建設され、クヌには「出店」があるだけ。

しかし、「マンデラ詣で」にやってくる観光客は増加の一方。昨年は約1万人が、ホテルもないクヌ村を訪れた。その殆どはイギリスから。ドイツ、アメリカと続く。外国勢に押され気味の南ア人だが、その大部分はハウテン州から。

 マンデラの豪邸の前にB&Bがオープンしたのは、2008年のこと。オーナーは、ノンクムブロ・コティ・マンデラ(Nonkumbulo Koti Mandela)さん。その名が示す通り、ネルソンの親戚だ。忙しい時には、週末に40人の宿泊客があるという。現在、12室を増築中。

やはりマンデラ邸の側に、最近観光客用アパートがオープンした。近くには、マンデラ家の墓地もある。テニスコート、図書室、レストラン、会議室、衛星TVを完備し、お値段は1泊137ランド(約1600円)と超手頃。

クヌ村が南アの経済発展から置き去りにされたおかげで、訪れるファンはマンデラの幼年期を追体験できる。マンデラが子供の頃泳いだ川、牛追いをした谷、教師に「ネルソン」という英語名を与えられた学校、始めて白人に会った店。。。

これらの村の「遺産」をうまく使って、経済発展を遂げ、雇用を創出できるかどうか。その発展が少数への富の集中ではなく、村民全員に恩恵をもたらすことが出来るかどうか。これからの課題である。

観光化が進みすぎて、「マンデラ」の看板が乱立したつまらない村になり、金儲けにトリツカレタ村人の心がすさんでしまう可能性もある。まだ自然と純朴さを残した今のうちに、訪れておくことをお勧めする。

(参考資料:2010年10月10日付「Sunday Times」など)

2010/09/26

寒村に双子が100組以上!? 東ケープ州

東ケープ州のフィドフェスヴィル(Viedgesville)は、半径10キロの円に収まる小さな村。そこに就学年齢の双子が100組以上いるという。ギネスブック記録確実だ。マスコミが押しかけたり、世界中の科学者の注目を浴びてもおかしくないが、やってきたのはサッサ(Sassa)。南アフリカ社会保障庁(SA Social Secirity Agency)である。

Sassaが設立されたのは、2005年。児童手当、老齢年金、身体障害者手当などの補助金年間900億ランド(1兆8100億円)を約1200万人の貧しい国民に支給している。人口の約4分の1が福祉手当を受給している計算だ。様々な手当てのうち、受給者が一番多いのが児童手当。対象となるのは、15歳以下の貧しい家庭の子供たち。ひとり当たり月250ランド(3000円)が約800万人に支給されている。

勿論、手当を受け取るには、受給資格を満たしていることを証明する必要があるが、公務員の汚職がはびこるお国柄、特に田舎では簡単にごまかせる。不正な受給額が全国で年15億ランド(180億円)にのぼると推定されており、とうとう1カ月ほど前、Sassaが設立以来初めての調査に乗り出した。

その手始めが、東ケープ州の農村地域である。内務省やSassaなど地元の役人、伝統的指導者、警察が住民とぐるになり、福祉手当の不正受給に関わっているといわれる。だが、証明するのは大変な作業である。

フィドフェスヴィルで村ぐるみの不正が行われているという密告情報を得たSasaa。本庁の職員が村に足を運び、児童手当を受けている子供をひとりひとり特定していった。存在しない可能性がある双子、なんと125組。

迎え撃つ住民たちは、一筋縄ではいかない。村全体で協力して話を合わせ、聞かれそうな質問を事前にリストアップし、練習までしていた。大人だけではない。4歳の子供に至るまで、親に教えられた通り平気で嘘をつくのだから恐れ入る。限りなく怪しくても、シラを切り通す。どう見ても生後15カ月程度の赤ちゃんを連れて来て「3歳だ」と言い張る親や、「別の州の親戚の家に遊びに行っている」とうそぶく親。出生届の記載誕生日が離れている子供2人を「双子だ」という親。村人たちの殆どが正規の学校教育を受けていないというが、その組織力としたたかさに調査員はあきれるばかり。

東ケープは、南アフリカで最も貧しい州のひとつだ。特に、旧ホームランドの農村部で貧困が目立つ。全国では60%以上が都市部に住むのに、東ケープ州では65%が農村部に住む。一人当たりの収入は、全国平均の半分。

根本的な貧困問題が解決しない限り、住民たちは更にしたたかになって、もっとバレにくい福祉手当の不正受給方法を考えだすに違いない。

(参考資料:2010年9月26日付「Sunday Times」など)