原題は『The Horse Whisperer』。直訳すると「馬に囁く人」。苦痛や恐怖を与えてしまう伝統的な「アメとムチ」手法ではなく、馬の本能やコミュニケーションシステムに精通し、馬にとって精神的負担が少ない、自然で優しい方法で調教する名人だ。
初代の「囁き手」は、アイルランド人のダニエル・サリヴァン(Daniel Sullivan。1810年死亡)。虐待を受けたりしてトラウマを抱える「問題児」のリハビリを得意とした。馬を前にして立ち、いつのまにか成功してしまう。その姿が馬に囁きかけ、馬と心を通わせているように見えたことから、「ホース・ウィスパラー」=「馬に囁く人」と呼ばれた。
南アフリカには「エレファント・ウィスパラー」と呼ばれる男がいた。そう、「象に囁く人」である。
ローレンス・アンソニーと象たち(財団HPから) |
ローレンンス・アンソニー(Lawrence Anthony)は1950年9月17日、ジョハネスバーグに生まれた。高校卒業後、ビジネスマンとして成功するが、自然好きが高じて、クワズールーナタール州最古の私設野生動物公園「トゥラトゥラ」(Thula Thula)を購入。同公園でエコサファリを推進すると同時に、残りの人生を環境保護に捧げることになる。
2000ヘクタールのトゥラトゥラ(「静か」の意)に、トラウマを受けた野生の象7頭を迎えたのは1999年のこと。ジンバブエの生まれ故郷から無理やり移動させられ、その過程で子供たちを殺された象たちは、人間に対する怒りと不信感に満ちていた。
アンソニー氏はその象たちの信頼を勝ち取ることに成功。象たちはトゥラトゥラでの生活を受け入れた。象人口は順調に増加し、現在では群2つ、計20頭の象がトゥラトゥラで暮らしている。この体験は『The Elephant Whisperer』(2010年)という本にまとめられた。
「象に囁く人」が世界的に有名になったのは、2003年のこと。戦火のイランへ飛び、バクダッド動物園の動物たちを救出したのである。この物語は『Babylon's Ark』(バビロンの箱舟)として、2008年に出版された。
アンソニー氏は、北部シロサイ(northern white rhinoceros)を絶滅から救うことにも奔走する。コンゴ民主共和国のジャングルに潜む、ルワンダの反乱軍の指導者に会いに行った。悪名高いLRA(Lord's Resistance Army)のジョセフ・コニー(Joseph Kony)である。
残念ながら、アンソニー氏の努力空しく、北部シロサイは絶滅してしまった。経緯を綴った『The Last Rhinos』(最後のサイ)は今年出版予定。
3月2日金曜日の早朝、アンソニー氏は自宅のベッドで息を引き取った。享年61歳。死因は睡眠中の心臓発作。過去にも2回、心臓発作の経験があったという。
そして、不思議なことが起こった。
一年半も姿を見せなかった象の群がふたつとも、アンソニー氏が亡くなって間もなく、家にやってきたのである。象たちがいた場所からアンソニー氏の家まで、象の足で12時間はかかると推定されているから、恐らく別の場所にいたふたつの群は、何らかの形でアンソニー氏の死を「察知」し、すぐ駆けつけたようだ。
アンソニー氏の母親レグ(Reg)さんによると、それ以来象たちは毎晩家を訪れている。まるで、アンソニー氏に「さよなら」を言うように。そして、別れを名残惜しんでいるかのように。
息子のジェイソン(Jason)さんが「いついかなる時にも、どんなことに対しても、ユーモアを忘れなかった」「世界を無限の可能性、機会、挑戦、冒険の場と見ていた」「不可能はないと信じていた」と語るアンソニー氏。象との間にも、超人的な絆を築いていたようだ。
「弔問」に訪れた象たち |
【関連HP】
「ローレンス・アンソニー財団」(Lawrence Anthony Foundation)
「トゥラトゥラ野生動物公園」(Thula Thula: Exclusive Private Game Reserve and Safari Lodge)
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