2010/11/19

ウィリアム・ケントリッジ 京都賞受賞

サッカーワールドカップ(W杯)をきっかけに、南アフリカに対する関心が高まるのではないか。実際に訪問して人々の暖かさや美しく雄大な自然に触 れ、日本で言われているほど危険ではないことに気づいてもらえるのではないか。様々な報道を通じて、「危険」一辺倒ではなく長所にも目が向き、多面的な理解が深まるのではないか。これらは、南アに思い入れのある人々共通の願いだったと思う。

残念ながら、報道では「危険さ」ばかりが喧伝され、一般の関心もW杯終了と同時に消滅したと聞いた。確かに、10月末から2週間ほど日本に滞在した間、南アの話題を殆ど耳にしなかった。南アが日本人にとって遠い国であることを再実感した。

ジョハネスバーグに戻って留守中の新聞を広げてみると、日本ではめったに南ア報道がないとは言え、当然のことながら空欄はなく、連日全国で事件が起きている。それも、ジョハネスバーグ市の警察官の20%が汚職に関わっているとか、治安相の妻が麻薬密輸の元締め容疑で取り調べを受けているとか、15歳の少女が出産した結合双生児の父親は、少女の実の父親だったとか、なかなかすさまじいニュースが満載されている。

これだけ騒々しい、ある意味ではエキサイティングな国なのに、日本人にとって存在しないも同然であることは、地理的な遠さと歴史的政治的な結びつきの弱さを考えると当然である。だがその一方で、最近益々外に目が行かなくなったと言われる日本人の一面を如実に表しているような気もする。

などと感慨にふけっている時、「Kentridge wins big in Japan」(ケントリッジ、日本で大きな賞を受賞)という見出しが目に飛び込んできた。11月11日付「ザ・タイムズ」紙の小さな囲み記事だ。南アで一番有名なアーチスト、ウィリアム・ケントリッジ(William Kentridge)が京都賞を受賞したというのである。

京都賞は「世界的な業績に与えられる民間の賞としては日本で最高」「スェーデンのノーベル賞に比される」そうで、「20カラットの金メダルと賞金5000万円(420万ランド)がついてくる」と「ザ・タイムズ」紙。

京都賞の主催者は、稲盛財団(Inamori Foundation)。京セラの設立者、稲盛和夫氏(現名誉会長)が1984年に設立した。HPによると、「京都賞」顕彰事業、研究助成事業、社会啓発事業を活動の3本柱にしている。

京都賞の受賞資格者は、「京セラの我々が今までにやってきたと同じように、謙虚にして人一倍の努力を払い、道を究める努力をし、己を知り、そのため偉大なものに対し敬虔なる心を持ちあわせる人」且つ「その業績が世界の文明、科学、精神的深化のために、大いなる貢献をした人」且つ「その人は自分の努力をしたその結果が真に人類を幸せにすることを願っていた人」。

業績を挙げただけではダメなのである。謙虚とか、敬虔とか、人類の幸福を願うとか、精神面が重視される。トテツモナイことを求められているようだが、実際問題、点数づけが難しい。

受賞対象は以下の3部門。

「先端技術部門」・・・「エレクトロニクス」「バイオテクノロジー及びメディカルテクノロジー」「材料科学」「情報科学」の4分野。

「基礎科学部門」・・・「生物科学(進化・行動・生態・環境)」「数理科学」「地球科学・宇宙科学」「生命科学(分子生物学・細胞生物学・神経生物学)」の4分野

「思想・芸術部門 」・・・「音楽」「美術(絵画・彫刻・工芸・建築・デザイン)」「映画・演劇」「思想・倫理」の4分野

今年の受賞者は、医学者の山中伸弥(Yamanaka Shinya)、数学者のラースロー・ロヴァース (László Lovász)、そしてケントリッジである。

山中氏の受賞理由は、「皮膚線維芽細胞にわずか4種類の転写因子遺伝子を導入することによって胚性幹細胞(ES細胞)と同様な多分化能をもつ人工多能性幹細胞(iPS細胞)を作りだすことに成功した。この技術は再生医療の可能性に道を開くのみならず、医学全般の飛躍的発展に大きく貢献することが期待される。 」

ロヴァース氏の場合、「離散構造に関する先端的な研究を行うことによって、アルゴリズムの観点からさまざまな数学分野を結びつけ、離散数学、組合せ最適化、理論計算機科学などを中心とする数理科学の広い範囲に影響を与え、学術的側面と技術的側面の両面において、数理科学の持つ可能性を拡大することに多大 な貢献をした。」

いずれも素人にはチンプンカンプンながら、なんだか凄そうである。

ケントリッジは、「素描という伝統的技法をアニメーションやビデオ・プロジェクション等の多様なメディアの中に展開させながら、諸メディアが重層的に融合する現代的な新しい表現メディアを創り出し、社会と人間存在に対する深い洞察を豊かなポエジーをもって表現する独自の世界を創始した。」

う~ん。素人ではないが、やはりチンプンカンプンである。

精神面の評価はどうなるのか心配したが、結構まともで現実的な受賞理由だったので安心した。ゲイジュツカやテンサイに謙虚とか敬虔とかを求めるのは、ある意味で自己矛盾している。ピカソにせよ、ヘミングウェイにせよ、その他多くの偉業を残した人々にせよ、お友達にも敵にもなりたくない、人間的にはヒドイヤツが多いものなのだ。(勿論、中にはイイ人もいるだろうけど。。。)

京都賞が「素描とアニメーション等を融合させた新しい表現メディアを創出し、独自の世界を切り拓いた芸術家」 と絶賛するケントリッジは、1955年4月28日、ジョハネスバーグの裕福なユダヤ系南ア人の家庭に生まれた。現在も育った家に住んでいる。

木炭やパステルで描いたドローイングを撮影し、少し修正して撮影し、また少し修正して撮影し・・・という気の遠くなるような作業で作成したドローイングのアニメーションで有名だ。写実的なペインティング(絵具を使っての絵画)が出来ないためにドローイング(素描)にこだわったと言われているから、絵が描けないためにシルクスクリーンを使ったポップアートに走って大成功したアンディ・ウォーホール(Andy Warhol)に通じるところがあるかもしれない。ウォーホール同様、かなりの商売人でもある。

作品の多くにアーチスト自ら登場する。普段も、白い帽子に黒いシャツに白いスーツといった目立った格好で歩いているから、かなりの自意識を持っていると思われる。

日本では2009~2010年に、京都国立近代美術館、東京国立近代美術館、広島市現代美術館で個展『ウィリアム・ケントリッジ—歩きながら歴史を考える』を開催。昔の作品から最新作まで、全て見るのに最低半日はかかる大個展だった。

東京国立近代美術館での個展開催時に、運よく日本にいた。日本ではそれほど名前が知られていないせいか、日曜日と いうのに行列もない。南アでの展覧会よりずっと楽しめたのは、新しい場所、新鮮な目で見ることができたせいかもしれない。

南アでは、ケントリッジは神格化している。ピカソ同様、個別の展覧会や作品の冷静な鑑賞はあまり行われず、「ケントリッジだから素晴らしい」という風潮に満ちている。

今年5月2日、ジョハネスバーグ・アート・ギャラリーでの個展のオープニングはひどかった。

会場を埋め尽くすファンの大部分は白人。普段は寄りつかないインナーシティに押しかけ、ケントジッリを新興宗教の教祖のように崇め奉る。一段高い位置に立ったケントリッジは尊大な態度でスピーチを行う。ご神託でも受け賜るかのように、その一言一言に聞き入るファ ン。あまりの人だかりと騒音のため、作品鑑賞は不可能。少女ファンの金切声で演奏が聞こえないロックバンドを思い起こさせた。

肝心の個展はというと、名前に惑わされない一部の人の評価は「いまいち」。だが、批評家や一般市民は「さすがケントリッジ!」と感動していた。ベートーベンの第5やチャイコフスキーのピアノ協奏曲など超有名な楽曲が演奏されると、その質にかかわらず「ブラボー!」を連発し、簡単にスタンディングオベーションしてしまう南アのクラシックファンと似ている。とすると、これは南ア白人の民族性?

ケントリッジの受賞の言葉は、YouTubeにアップロードされている。
ウィリアム・ケントリッジ-京都賞2010-受賞の喜びを語る (作成者:稲盛財団)

(参考資料:2010年11月11日付「The Times」など)

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