2014/05/02

マンデラの70歳誕生日コンサート、ドキュメンタリーに

1988年6月11日、ロンドンのウェンブリー・スタジアム(Wembley Stadium)でネルソン・マンデラの70歳誕生日コンサート「The Nelson Mandela 70th Birthday Tribute」が開かれた。

マンデラ70歳誕生日コンサートのポスター

プロデューサーはイギリス人のトニー・ホリングワース(Tony Hollingsworth)。構想を練ったのは1986年の初めという。イベントの主眼は、「ネルソン・マンデラをはじめとする南アフリカの政治犯の釈放」「アパルトヘイトの撤廃」「南アフリカへの制裁」の3点を求めること。世界の注目を集めるためには、大物ミュージシャンの出演とテレビ中継が欠かせない。

大物ミュージシャンとテレビ中継を確保するため、ホリングワースは走り回る。その努力は並大抵のものではなかった。

大物ミュージシャンをひとりひとり説得に当たった。プリンス(Prince)やボノ(Bono)など断って来た者もいれば、ダイアー・ストレーツ(Dire Straits)やシンプル・マインズ(Simple Minds)など「他の大物が出演するなら出てもよいが、他のミュージシャンの説得に自分の名前を使って欲しくない」という者や「あいつが出演するなら、自分は嫌」とかダダをこねる者・・・。

スティング(Sting)のマネージャーは「ワールドツアー中だから」と本人に伝えてもくれなかったため、ホリングワーズはスティングが滞在するスイスのホテルまで直談判に行った。マンデラコンサートの前日、ベルリンでコンサートがあるという。「ベルリンコンサートが終わったその夜に、スティングとバンドメンバーをチャーター機でロンドンまで連れて行き、翌朝、いつも使っているのと同一の機材をウェンブリー・スタジアムに用意する。スティングが機材チェックをしてから30分演奏後、またチャーター機でヨーロッパ大陸まで連れて帰る」という条件でOKを取った。

スティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)には早くからアプローチしたが、全然連絡が取れなかった。承諾の返事があったのは、本番の3日前。「当日のサプライズ出演」ということにして、観客には知らせないことにした。ところが、当日、シンクラビーア(オーケストラの音を全部出す62鍵のシンセサイザー)がうまく作動しないという理由で演奏拒否。会場からバンドメンバー共々、立ち去ってしまう。空き時間を埋めるため、トレーシー・チャップマン(Tracy Chapman)が2度目のステージに立った。これが大当たり。トレーシー・チャップマンの大ブレークに結びついた。このコンサート以前のアルバム総売り上げが25万枚だったのが、コンサート後2週間で2百万枚も売れたのだ。

(トレーシー・チャップマン。若い!)

 スティーヴィー・ワンダーは結局、会場に戻って来る。すったもんだの挙句、ウィットニー・ヒューストン(Whitney Houston)の機材を使うことになった。

(ウィットニー・ヒューストン。亡くなってしまいましたね~。懐かしい。。。)

ソルトンペパ(Salt-n-Pepa)の演奏が終わる。次の出演者のアナウンスはない。メインステージは静かなまま。突然、暗闇から、『心の愛』(I Just Called to Say I Love You)が聞こえ始める。観客は騒然。ライトがスティーヴィー・ワンダーを照らす・・・。

11時間に及んだこのコンサートは67か国で中継され、視聴者は6億人以上といわれる。出演したミュージシャンは先に述べたスティング、トレーシー・チャップマン、シンプル・マインズ、ダイアー・ストレーツ、ウィットニー・ヒューストン、スティーヴィー・ワンダーの他に、ジョージ・マイケル(George Michael)、ユーリズミックス(Eurythmics)、アル・グリーン(Al Green)、ジョー・コッカー(Joe Cocker)、ナタリー・コール(Natalie Cole)、ウェット・ウェット・ウェット(Wet Wet Wet)、ブライアン・アダムズ(Bryan Adams)、ビージーズ(Bee Gees)、UB40サリフ・ケイタ(Salif Keita)、ユッスー・ンドゥール(Youssou N’Dour)、ジャクソン・ブラウン(Jackson Browne)、ピーター・ガブリエル(Peter Gabriel)、ミートローフ(Meat Loaf)、ジェシー・ノーマン(Jessye Norman)などなどなど。双子が生まれたため出演できなくなったダイアー・ストレーツのギタリストの代役に立ったのは、なんとエリック・クラプトン(Eric Clapton)!


南アフリカからはジョナス・グワングワ(Jonas Gwangwa)、ミリアム・マケバ(Miriam Makeba)、ヒュー・マセケラ(Hugh Masekela)、マフラティニ・アンド・マホテラ・クイーンズ(Mahlathini and the Mahotella Queens)らが参加。

更に、ハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte)、リチャード・アッテンボロー(Richard Attenborough)、ウーピー・ゴールドバーグ(Whoopi Goldberg)、リチャード・ギア(Richard Gere)などがスピーチを行った。

このコンサートが大成功に終わった後、出獄が決まったマンデラからホリングワースに連絡があった。フォローアップのコンサートを行ってくれ、というのだ。マンデラの依頼を受けて、1990年4月16日、Nelson Mandela: An International Tribute for a Free South Africaがやはりウェンブリー・スタジアムで開催され、世界60か国以上に中継された。

南ア国営放送(SABC)の広告

ホリングワーズは最近、このふたつのコンサートのドキュメンタリーを製作。名付けて『One Humanity』。今年4月27日の「フリーダムデー」(第1回民主総選挙の記念日)に初公開された。マンデラが亡くなった今、感慨深いものがある。


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