知り合いの写真家は20年以上前、世界的な報道写真賞を受賞した。1994年、南アフリカの白人右翼3人が殺されたときの写真だ。命乞いをする姿がテレビカメラにも収められているし、スチールの写真家も複数現場にいてシャッターを切っていた。「でも、あいつの立ち位置がたまたま一番よかったんだ」とその場にいた別の写真家。
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この写真がWorld Press Photo Spot News部門3位(1995年)になった |
同じく南アの写真家ジョディ・ビーバー(Jodi Bieber )は『タイム』の表紙になったアフガニスタン人少女の写真で世界的に有名になった。その後も主に自分のプロジェクトに専念し、精力的に活動している。
撮った写真が世界的に有名になったり、大きな賞を受賞することがその後の成功に即つながるわけではないけれど、少なくともこれまで閉ざされていた色々なドアを開けてくれることは確かだろう。
ところが、撮った写真が世界的に有名になったばかりに、写真家としての活動をやめざるを得なかった不運な人もいる。
サム・ンジマ(Sam Nzima)がそのよい例。1976年6月16日、警察に撃たれたヘクター・ピーターソン(Hector Pieterson)を腕に抱えて走るムブイサ・マクブ(Mbuyisa Makhubu)と、並走するヘクターのお姉さんアントワネットを撮った写真が代表作。
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(South African History Archive) |
サム・ンジマは1934年8月8日、現ムプマランガ州で生まれる。父親は農場労働者。10代で写真に目覚め、コダックカメラを購入して、夏休みにクルーガー国立公園を訪れる観光客の写真を撮って小銭を稼ぎ始めた。