2012/04/29

18歳になった南アの民主主義を再考する デズモンド・ツツ大主教のメッセージ

2005年取材時。インタビューはお祈りから始まる。
1994年4月27日、南アフリカで史上初めて、全人種が参加した総選挙が実施された。翌年から、4月27日は「自由の日」(Freedom Day)として、国民の祝日に制定された。

あれから18年。南アの歴史に残る画期的な日に生まれた赤ちゃんは18歳の誕生日を迎え、選挙権を持つようになった。

「自由の日」は一般国民にとって歴史的意味を失い、単なる休日のひとつになっている。5月1日が「労働者の日」(Workers' Day)で祝日だから、大型連休の絶好のチャンス。今年の場合、4月30日の月曜日に休暇を取れば5連休だ。

しかし、アパルトヘイトに反対した功績で、1984年にノーベル平和賞を受賞したデズモンド・ツツ(Desmond Tutu)大主教は、南アの民主主義を再考する良い機会、という。

以下、4月29日付「サンデータイムズ」紙の一面に掲載された、ツツ大主教のメッセージを全文訳す。

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我が国の倫理的精神的健全さについて、南アフリカ国民の多くが大きな懸念を抱いています。幻滅を感じる国民は増える一方です。

新聞を手に取るたびに、テレビのスイッチをいれるたびに目に飛び込む新しいニュースは、政府内の汚職、与党内での醜い主導権争い、教育の危機、公益事業の充実を求める名目で行われたデモが引き起こした破壊的な行為、身の毛もよだつ暴力犯罪。。。

貧富の差が縮まるどころか、危険なほど大きく開いてしまうのを、私たちは許してしまいました。

とりわけ心配なのは、公益を達成するために、団結して社会改革を求める活動家だった南ア国民が、18年間の民主主義の間に、個人の富を蓄積することに夢中な国民になってしまったことです。

1994年、国民全員が初めて投票した時、私たちは活動家であることを止め、私たちの生活全般に関わる責任を、新しく選出された政府に譲り渡しました。そして、より良い生活という奇跡が与えられるのを、何もしないで待ったのです。政府が気前よく施してくれるのを待つ、受身の国民になってしまったのです。気前良い施しが与えられなければ、施しを与えるようデモを組織するようになったのです。

勿論、政府の批判すべき点を批判するのは当然のことです。しかし、同時に、私たちひとりひとりが、自分自身をしっかり見つめ、より良い社会を実現するために、自分に何ができるかを尋ねるべきではないでしょうか。

政府が責任を持って予算を使うためには、私たちに何が出来るだろうか。自分自身の生活水準を向上させるために、私たちは活発で組織化された国民として、何が出来るだろうか。

例えば、父兄会が年に一度集まって、子供たちが通う学校にペンキを塗ったり、掃除をしたりする。このようなことは、当然のことながら出来るのではないでしょうか。教会のメンバーや地域社会の住民組織が積極的に活動して、新生児の死亡を出来るだけ防止することなど、当然出来るのではないでしょうか。私たちが責任を持って、現在恐るべきレベルにある交通事故の発生率を減らすことなど、当然出来るのではないでしょうか。10日前、ソエトで知恵遅れの少女が集団強姦されましたが、子供たちにしっかりした価値観を植え付けることによって、このような事態が二度と起こらないようにすることなど、当然出来るのではないでしょうか。

自分はひとりで生きているわけではないという自覚を持って、私たち自身が始めるべきなのです。私たちひとりひとりが、地域社会、国家、大陸、世界といった、より大きな有機体の構成要素なのですから。

南アフリカ人は、深く傷ついた国民です。アパルトヘイトという、最近の傷を負っているだけではなく、それ以前の、植民主義という何世紀にもわたった傷が刻み込まれています。優越感を持つ者も、劣等感を持つ者もいます。助け合いという、世界共通の行動規範に基づいてお互いを愛する代わりに、何世代にもわたって、私たちはお互いを信じないように、嫌うように、場合によっては憎むように、教え込まれてきました。

しかし、成果を挙げるためには、チームワークを向上させる必要があります。それは、自分自身がチームの一員であることを理解することから始まります。私たちの夢や希望は、自分だけの中に、自分の物質的な幸福の中にだけにあるのではなく、お互いの中に深く関わり合っているのです。有機体がうまく機能するには、健康な細胞が欠かせないからです。

昨年私は、「裕福な者は-その殆どが白人なのですが-貧しい人々の生活を向上させるために、富の一部を寄付することを真剣に考慮し、太っ腹であることを見せるべきだ」と提案して批判されました。ですが、「より平等で、安定した持続可能な社会の実現に貢献することは、『持てる者』の利益にもなる」と示唆するのは、それほど突飛なことではないと思います。金銭的な貢献でなければ、物品を寄付してもいいのです。

更に、裕福な人だけが貢献すれば良いわけではありません。貧しい人にも、公益のために建設的な貢献をする義務があります。不清潔で不衛生な状況で生活するのは、必ずしも貧困のせいではありません。子供たちを毎日学校に行かせること、犯罪防止その他の地域社会の活動に参加すること、年取った隣人のために食事を作ることなど、富を持っていなくてもできる貢献があるのです。

神様は私たちに素晴らしい国を与えてくださいました。世界で一番素晴らしい国です。そして、神様は私たちひとりひとりに、贈り物を賜りました。南アフリカはまばゆいばかりの成功を収める可能性を内に秘めています。私たちは一致協力して、それを実現するべきなのです。

(参考資料:2012年4月29日付「The Sunday Times」)

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